暴君化した董卓(とうたく)の誅殺(ちゅうさつ)を画策したことで知られる王允(おういん)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
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反董卓連合の崩壊。袁紹が孫堅を攻め、公孫瓚は河北に覇を唱える
袁術(えんじゅつ)が献帝(けんてい)の保護に動き出すと、袁紹(えんしょう)は袁術(えんじゅつ)派の孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵攻を開始。袁氏(えんし)同士の確執はついに軍事衝突へと発展し、反董卓(とうたく・・・
反董卓連合が劉虞を天子に推戴する。袁紹と袁術の間に生まれた亀裂
191年1月、袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)は、幽州牧(ゆうしゅうぼく)・劉虞(りゅうぐ)に使者を送って天子に即位するように願いました。袁紹(えんしょう)による天子推戴(すいたい)の経緯とその影響について考えてみま・・・
【三国志年表詳細】189年の主な出来事と三国志群雄勢力図
189年【漢:中平(ちゅうへい)6年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
暴君になったのは○○のせい!?朝廷で権力を握った董卓の思惑とは
朝廷で権力を握った董卓(とうたく)は、天子の廃立に始まり数々の略奪・暴行を働いたために、袁紹(えんしょう)を盟主とする反董卓(とうたく)連合が結成されました。では、なぜ董卓(とうたく)は諸侯の反感を買うようなことをしたの・・・