呉(ご)の孫策(そんさく)、孫権(そんけん)の父親として知られる孫堅(そんけん)。『三国志演義』では敗戦続きであっけなく戦死してしまう孫堅(そんけん)ですが、実は反董卓(とうたく)連合の中で一番活躍していました。
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【三国志年表詳細】191年の主な出来事と三国志群雄勢力図
191年【漢:初平(しょへい)2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
孫堅が劉表に敗れた「襄陽の戦い」と朱儁の挙兵
袁術(えんじゅつ)と公孫瓚(こうそんさん)が手を組んで袁紹(えんしょう)と争うようになると、袁術(えんじゅつ)を敵視していた劉表(りゅうひょう)は共通の敵を持つ袁紹(えんしょう)と手を組みました。 袁術(えんじゅつ)は後・・・
なぜ袁紹と袁術は仲違いしたのか?袁紹と袁術の対立の原因とは?
191年冬、ついに袁紹(えんしょう)が袁術(えんじゅつ)に従っていた孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵出し、同じ袁氏(えんし)一族の間で戦いが起こりました。ではなぜ袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)は争うこ・・・
反董卓連合の崩壊。袁紹が孫堅を攻め、公孫瓚は河北に覇を唱える
袁術(えんじゅつ)が献帝(けんてい)の保護に動き出すと、袁紹(えんしょう)は袁術(えんじゅつ)派の孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵攻を開始。袁氏(えんし)同士の確執はついに軍事衝突へと発展し、反董卓(とうたく・・・