191年4月、長安(ちょうあん)に遷都(せんと)した後も洛陽(らくよう)郊外の畢圭苑(ひつけいえん)に駐屯していた董卓(とうたく)は、ついに長安(ちょうあん)に入りました。
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【021】虎牢関の戦い:三英雄(劉備・関羽・張飛)が呂布と戦い敗走させる
関羽(かんう)の活躍で華雄(かゆう)を討ち取った十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)は、ついに董卓(とうたく)が守る虎牢関(ころうかん)に駒を進めます。ですが、そこには猛将・呂布(りょふ)が待ち受けていました。
【020】温酒斬華雄:関羽が猛将・華雄を斬り、十八路諸侯の危機を救う
汜水関(しすいかん)で孫堅(そんけん)を打ち破った華雄(かゆう)は反撃に転じ、今度は十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)の陣に攻め寄せました。いよいよ劉備(りゅうび)の義弟・関羽(かんう)が活躍します。
伝国璽(伝国の玉璽)の役割と伝国璽のゆくえ
董卓(とうたく)が破壊した洛陽(らくよう)で、孫堅(そんけん)によって発見された伝国璽(でんこくじ)(伝国の玉璽(ぎょくじ))。伝国璽(でんこくじ)を手に入れることにはどのような意味があったのでしょうか。
董卓軍の敗因は呂布の裏切りだった!?陽人の戦いと孫堅の洛陽入り
191年2月、ついに孫堅(そんけん)が洛陽(らくよう)に向けて進軍を開始しました。反董卓(とうたく)連合の初勝利となった「陽人(ようじん)の戦い」から、孫堅(そんけん)が洛陽(らくよう)に入るまでをまとめています。