建安(けんあん)元年(196年)8月、揚州(ようしゅう)・呉郡(ごぐん)を平定して諸県を安定させた孫策(そんさく)は、次の目標を揚州(ようしゅう)・会稽郡(かいけいぐん)に定めました。この「孫策(そんさく)の会稽郡(かい・・・
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曹操が献帝を豫州(予州)・潁川郡・許県に迎え入れる
豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))の汝南郡(じょなんぐん)と潁川郡(えいせんぐん)を平定した曹操(そうそう)が、潁川郡(えいせんぐん)の許県(きょけん)に献帝(けんてい)を迎え入れるまでをまとめています。
【044】曹操が呂布を破って兗州を奪還する
兗州(えんしゅう)で反乱を起こした呂布(りょふ)に手を焼いていた曹操(そうそう)ですが、豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))の黄巾賊を平定して体勢を立て直すと、再度兗州(えんしゅう)奪還のために侵攻を開始します。
袁術の徐州侵攻と呂布の裏切り。劉備が徐州を失い呂布に投降する
建安(けんあん)元年(196年)6月、徐州(じょしゅう)に侵攻した袁術(えんじゅつ)と劉備(りゅうび)の戦いと呂布(りょふ)の裏切り(張飛(ちょうひ)と曹豹(そうほう)の諍(いさか)いによる下邳県(かひけん)の失陥)、呂・・・
献帝の洛陽入りと曹操の豫州(予州)侵攻
献帝(けんてい)が司隷(しれい)・河東郡(かとうぐん)・安邑県(あんゆうけん)から洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))に入るまでと、曹操(そうそう)の豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))侵攻についてまとめています。
【三国志年表詳細】195年の主な出来事と三国志群雄勢力図
195年【漢:興平(こうへい)2年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。