正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「き」から始まる人物の一覧⑯義姑(義姑姉)です。
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凡例
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後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
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き⑯
魯義姑姉
義姑(義姑姉)
生没年不詳。魯国の郊外に住む婦人。彼女の「義」の行いによって斉軍を退却させたことから、魯君より「義姑姉」の号を賜った。
匹婦の義
斉軍が魯へ侵攻し、都の近郊まで迫って来た時のこと。斉軍は1人の婦人を見かけた。
その婦人は1人の子を抱き、もう1人の子の手を引いて逃げていたが、軍勢が近づくと抱いていた子を置き去りにし、手を引いていた子を抱えて山へ逃げた。
置き去りにされた子は後を追って泣き叫んだが、婦人は振り返ることなく進み続けた。
斉の将は、その泣いている子に尋ねた。
斉の将「逃げていった者は、爾の母者か?」
子「はい」
斉の将「母者が抱いていた子は誰だ?」
子「分かりません」
そこで斉の将は婦人を追わせ、兵士たちが弓を引き絞って「止まれ。止まらねば射るぞ!」と叫ぶと、婦人は引き返してきた。
斉の将「お前が抱いていた子は誰で、捨てた子は誰なのだ?」
婦人「抱いていたのは妾の兄の子です。捨てたのは妾自身の子です。軍が迫って来るのを見て『2人とも守ることはできない』と思い、妾の子を捨てたのです」
斉の将「子に対する母の愛情は(海より深く、子を失うことは)胸を裂くほど耐え難いものだ。それなのに、お前は自分の子を捨て、兄の子を抱いて逃げた。なぜだ?」
婦人「己の子への愛は、私的な愛にすぎません。兄の子を守るのは公の義です。
もし公の義に背き、私的な愛情に従って兄の子を見捨て、妾の子だけを助けたなら、たとえ生き延びたとしても、魯君は吾を受け入れず、大夫たちも吾を養わず、国人や庶民も吾を仲間とは認めないでしょう。
そのようになれば、肩をすぼめても身を置く場所はなく、足を揃えて歩く場所すらなくなります。
我が子を捨てることは、確かに耐え難く辛いことです。ですが、どうして義を顧みずにいられましょうか。
だからこそ、涙を忍んで我が子を捨て、義を選びました。義を失ったまま、魯国の人間として生きることはできないのです」
これを聞いた斉の将は進軍を止め、人を遣わして斉君に報告して言った。
「魯を攻めるべきではありません。国境近くの山沢に住む婦人ですら、節を守ることを知り、義を行い、私情によって公を害さないのです。まして朝廷の臣下や士大夫たちは言うに及びません。どうか軍をお引きください」
これを受け、斉君は軍を引き返すことを許した。
魯君はこの話を聞くと、婦人に百端の束帛(束ねた絹布)を与え、「義姑姉」という号を授けた。
後世の評価
(義姑姉は)まことに公正・誠実であり、果断に義を実践した。
義とは、なんと偉大なものであろうか!
たとえ匹婦(一庶民の婦人)であっても、国家はその義によって支えられている。礼義によって国を治めるなら、なおさらである。
『詩経』に「明らかな徳行があれば、四方の国々もこれに従う」とあるが、まさにこのことを言うのである。
頌
斉君が魯を攻めた時、義姑には節義があった。
軍を見て山へ逃れる際、(自分の)子を捨て、姪(兄の子)を抱いた。
斉の将がその理由を問うと、(斉の将は)彼女の道理を称賛した。
一人の婦人の義によって、ついに斉兵は進軍をやめたのである。
出典
- 『列女伝』魯義姑姉
- 『呉書』虞陸張駱陸吾朱伝・裴松之注・姚信『集』
- 『呉書』陸績伝・裴松之注・姚信『集』
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「魯義姑姉」
画像出典:維基文庫 列女傳/卷5
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