正史(せいし)『三国志(さんごくし)』、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「き」から始まる人物の一覧⑱箕子(きし)です。

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凡例

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後漢(ごかん)〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史(せいし)『三国志(さんごくし)』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義(さんごくしえんぎ)』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。


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き⑱

箕子

箕子(きし)

生没年不詳。殷(いん)(商(しょう))王朝の王族。孔子(こうし)は「微子(びし)は去り、箕子(きし)は奴隷となり、比干(ひかん)は諫(いさ)めて死んだ」と言い、この3人を「殷(いん)の三仁(さんじん)」と称(たた)えた。

狂人を装う

帝辛(ていしん)(紂王(ちゅうおう))は生まれつき才知に富(と)んで弁舌に優(すぐ)れ、その体力や腕力は人並みをはるかに超えていたが、臣下たちを見下し、酒宴と享楽(きょうらく)を好んで女色に溺(おぼ)れ、特に妲己(だっき)を寵愛(ちょうあい)して、妲己(だっき)の言うことなら何でも従った。

帝辛(ていしん)(紂王(ちゅうおう))は、これを諌(いさ)めた鄂侯(がくこう)を処刑し、これを嘆(なげ)いた西伯昌(せいはくしょう)を羑里(ゆうり)に幽閉した。その後、赦(ゆる)された西伯昌(せいはくしょう)が(周(しゅう)に)帰国すると、諸侯(しょこう)の多くは紂王(ちゅうおう)に背(そむ)き、善政を行う西伯昌(せいはくしょう)のもとへ帰服するようになった。

西伯昌(せいはくしょう)が亡くなると、周(しゅう)の武王(ぶおう)は東方への討伐を開始し、盟津(めいしん)に到着した時には、周(しゅう)のもとに集まった諸侯(しょこう)は8百にも達していた。


紂王(ちゅうおう)が初めて象牙(ぞうげ)の箸(はし)を作らせた時、箕子(きし)は嘆(なげ)いて言った。

「王(おう)(紂王(ちゅうおう))が象牙(ぞうげ)の箸(はし)を用(もち)いるようになれば、必ず次には玉の杯(さかずき)を作るようになるだろう。玉の杯(さかずき)を作ったら、次は必ず遠方の珍(めずら)しい宝物や奇異な品々を求め、それを食膳(しょくぜん)に供するようになる。そして車馬や宮殿・邸宅も、次第にますます贅沢(ぜいたく)になっていくだろう。その流れはここから始まるのだ。もはや食い止めることはできない」

その後、紂王(ちゅうおう)はますます淫乱・放縦(ほうじゅう)な行いをするようになり、箕子(きし)はこれを諫(いさ)めたが、紂王(ちゅうおう)は聞き入れなかった。

ある人が箕子(きし)に「もはや国を去るべきでしょう」言うと、箕子(きし)は、

「人臣たる者が諫言(かんげん)しても聞き入れられず、そのまま去ってしまえば、それは君主の悪を世に明らかにし、その一方で自分自身は民衆から賞賛を受けることになる。吾(わたし)はそのようなことをするに忍びない」

と言い、髪を乱して垂(た)らし、狂人の振りをして奴隷となって世を避けて身を隠し、琴を弾(ひ)いて自(みずか)らの悲しみを慰(なぐさ)めたが、紂王(ちゅうおう)はそれでも箕子(きし)を捕(と)らえて幽閉した。


比干(ひかん)は、箕子(きし)が諫言(かんげん)しても聞き入れられず、その結果として狂人を装って奴隷になったのを見て、

「君(君主)に過失があるのなら、臣下が命を賭(と)して諫(いさ)めなければならない。(苦しんでいる)民に何の罪があるというのか!」

と言い、率直に言葉を尽くして紂王(ちゅうおう)を諫(いさ)めた。

すると紂王(ちゅうおう)は怒って「吾(わたし)は『聖人の心には7つの穴がある』と聞いている」と言い、比干(ひかん)の胸を切り裂(さ)いてその心臓を見た。


その後、殷(いん)の太師(たいし)と少師(しょうし)が、宗廟(そうびょう)の祭祀(さいし)に用(もち)いる楽器を携(たずさ)えて周(しゅう)に逃(のが)れて来ると、周(しゅう)の武王(ぶおう)はついに諸侯(しょこう)を率(ひき)いて紂王(ちゅうおう)を討伐し、敗れた紂王(ちゅうおう)は火の中に身を投じて死んだ。

そこで武王(ぶおう)は妲己(だっき)を殺害し、箕子(きし)を牢獄から解放した。

武王の質問に答える

周(しゅう)の武王(ぶおう)は殷(いん)を滅ぼした後、箕子(きし)を訪(たず)ねて教えを求めて言った。

「ああ、天はひそかに民の居るべき場所を定め、互いに調和して暮らせるようにしているが、我(わたし)は人々が従うべき常なる道理や秩序が、どのように定められているのかを知らない」

すると箕子(きし)は答えて、

「昔、鯀(こん)は大洪水を堰(せ)き止めようとしたが、そのために『五行の理』を乱してしまった。そこで天帝(てんてい)は怒り、『洪範九等(こうはんきゅうとう)(王が国を治めるための9つの政治道徳の原則)』を授(さず)けなかったため、人の守るべき常の道も乱れてしまった。その後、鯀(こん)は誅(ちゅう)されて死に、その子の禹(う)が後を継いで興(おこ)ると、天は禹(う)に『洪範九等(こうはんきゅうとう)』を授(さず)け、人々の守るべき秩序を定めたのである」

と言い、『洪範九等(こうはんきゅうとう)』について説明した。

洪範九等についての全文
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第1は五行(ごぎょう)。第2は五事(ごじ)。第3は八政(はっせい)。第4は五紀(ごき)。第5は皇極(こうきょく)。第6は三徳(さんとく)。第7は稽疑(けいぎ)。第8は庶徴(しょちょう)。第9は五福(ごふく)を享受(きょうじゅ)し、六極(ろっきょく)を畏(おそ)れることである。

第1:五行(ごぎょう)

五行(ごぎょう)とは、1に水、2に火、3に木、4に金、5に土である。

水の性質は下へ潤(うるお)すこと。火の性質は上へ燃え上がること。木の性質は曲がったり伸びたりすること。金の性質は変革し形を変えること。土の性質は作物を育てること。

水から塩味が生じ、火から苦味が生じ、木から酸味が生じ、金から辛味が生じ、土から甘味が生じる。

第2:五事(ごじ)

五事(ごじ)とは、1に容貌(ようぼう)、2に言葉、3に見ること、4に聞くこと、5に考えることである。

  1. 容貌(ようぼう)は恭敬(きょうけい)であるべきである。
  2. 言葉は道理に従うべきである。
  3. 見ることは明察であるべきである。
  4. 聞くことは聡明であるべきである。
  5. 考えることは英知を備(そな)えるべきである。

恭敬(きょうけい)は粛然(しゅくぜん)たる態度を生み、従順な言葉は政治を正し、明察は知恵を生み、聡明は計略を生み、英知は聖人を生む。

第3:八政(はっせい)

八政(はっせい)とは、1に食糧、2に財貨、3に祭祀(さいし)、4に司空(しくう)(土木・治水の官職)、5に司徒(しと)(教育・民政の官職)、6に司寇(しこう)(司法・刑罰の官職)、7に賓客(ひんかく)(外交)、8に軍事である。

第4:五紀(ごき)

五紀(ごき)とは、1に年、2に月、3に日、4に星辰(せいしん)(星座)、5に暦法である。

第5:皇極(こうきょく)

皇極(こうきょく)とは、天下の中心となる規範である。皇(君主・天子(てんし))が規範(道徳的規範・政治の原理原則)を確立し、五福*1を集めて庶民(領民)に広く施(ほどこ)す。すると庶民(領民)はその規範に従い、汝(あなた)(君主・天子(てんし))がその正しい道を守り続けることを支えるのである。

すべての庶民(領民)は、淫朋(いんぽう)(私党や派閥)を作ってはならない。また、私的な情誼(よしみ)や依怙贔屓(えこひいき)によって結びついてはならない。ただ汝(あなた)(君主・天子(てんし))が立てた公正な規範のみを基準とすべきである。

まだ理想の規範に達しておらず欠点がある者であっても、皇(君主・天子(てんし))はこれを排斥せずに受け入れるべきである。そしてその者が教化を受けて徳を愛するようになったならば、汝(あなた)(君主・天子(てんし))は福を授(さず)ける。そのように徳へと導かれた人こそ、真に皇極(こうきょく)の道にかなった人なのである。

弱い者を侮(あなど)り、地位や才能の高い者ばかりを恐れ敬(うやま)ってはならない。能力と実行力がある者の善い働きを認めて登用すれば、国は栄え、正しい人々は富(と)み、広く福を受けるのである。

汝(あなた)(君主・天子(てんし))が教化してもなお徳を好まず正道に従わない者がいるなら、その罪はその者自身に帰する。しかし、徳を好まない者にまで恩賞を与えるならば、その者はかえって汝(あなた)(君主・天子(てんし))に害を及ぼし、災いの種となる。

偏(かたよ)ることなく、依怙贔屓(えこひいき)することなく、王(おう)の義に従え。

私的な好みによって行動せず、王(おう)の道に従え。

私的な憎しみによって行動せず、王(おう)の道を歩め。

偏(かたよ)らず徒党を組まなければ、王道は広大である。

徒党を作らず偏(かたよ)らなければ、王道は公平である。

背(そむ)かず正道をはずれることがなければ、王道は正直(せいちょく)(公正で偏(かたよ)りのない道)となる。

すべてをこの規範へ集め、すべてをこの規範へ帰着させよ。これこそが不変の規範であり、これこそが手本とする教訓であって、天帝(の御心(みこころ))に順(したが)うものである。

すべての庶民(領民)がこの規範に順(したが)い実行すれば、天子(てんし)の光に近づくことができる。天子(てんし)とは民の父母として天下に君臨する者なのである。


脚注

*1人としての5つの幸福。寿命が長いこと、財力が豊かなこと、無病息災であること、徳を好むこと、天寿をまっとうすることの5つ。

第6:三徳(さんとく)

三徳(さんとく)とは、1に正直(せいちょく)、2に剛克(ごうこく)、3に柔克(じゅうこく)である。

天下が平和で安定している時には正直(せいちょく)(公正で偏(かたよ)りのないこと)を用(もち)い、強情(ごうじょう)で従わない者には剛克(ごうこく)(剛(つよさ)をもって悪や困難に打ち勝つこと)を用(もち)い、内心から従順な者には柔克(じゅうこく)(優しさや寛容(かんよう)さをもって物事をうまく収(おさ)めたり困難に打ち勝つこと)を用(もち)い、優柔不断で流されやすい者には剛克(ごうこく)を用(もち)い、才能が高く明敏な者には柔克(じゅうこく)を用(もち)いる。

辟(へき)(君主)だけが福(恩賞)を与えることができ、辟(へき)(君主)だけが威(刑罰)を執行することができ、辟(へき)(君主)だけが玉食*2を享受(きょうじゅ)することができる。

臣下は福(恩賞)を与えてはならず、威(刑罰)を執行してはならず、また君主のような待遇や権威を享受(きょうじゅ)してはならない。

もし臣下が福(恩賞)を与え、威(刑罰)を執行し、君主のような待遇や権威を享受(きょうじゅ)するならば、王家に害を及ぼし、国家に災いをもたらす。その結果、人々は偏(かたよ)りや依怙贔屓(えこひいき)に走って正しい道を失い、民は身分を越えて勝手な振る舞いをし、秩序を乱すようになる。


脚注

*2玉器を用(もち)いた尊貴な食事のことで、転じて君主だけに許された最高の待遇・権威を意味する。

第7:稽疑(けいぎ)

稽疑(けいぎ)とは、疑わしいことを卜(ぼく)して(占って)考え定めることである。

疑わしい事柄を考察するためには、卜人(ぼくじん)(亀卜(きぼく)*3を行う者)と筮人(ぜいじん)(筮竹(ぜいちく)*4による占いを行う者)を選び立て、卜(ぼく)と筮(ぜい)を行わせる。

その結果には7種の兆候(ちょうこう)があり、1つを「雨(う)」、1つを「済(せい)・霽(せい)(晴れ)」、1つを「涕(てい)・蒙(もう)(曇(くも)り)」、1つを「霧(ぶ)・圉(ぎょ)・驛(えき)(雲がちぎれ飛ぶ)」、1つを「克(こく)(交錯する)」、1つを「貞(てい)」、1つを「悔(かい)」と言う。

前の5つは「卜(ぼく)(亀甲占い)」、後の2つは「占(せん)(筮竹(ぜいちく)による易占(えきうらな)い)」に用(もち)いて事態の変化や吉凶を推(お)し量(はか)り、3人の占者(せんしゃ)に占わせた場合は、2人の意見が一致すればその意見に従う。

汝(あなた)(君主・天子(てんし))に大きな疑問や重大な決断すべき事柄が生じたならば、まず自分自身の心に問(と)い、卿士(けいし)たちと相談し、庶民の意見を求め、さらに卜筮(ぼくぜい)に問(と)う。

汝(あなた)(君主・天子(てんし))自身の心・亀卜(きぼく)*3・筮竹(ぜいちく)*4・卿士(けいし)・庶民がみな賛成するならば、これを「大同」と言い、汝(あなた)(君主・天子(てんし))自身は健康で強く、子孫もまた吉事に逢(あ)うであろう。

汝(あなた)(君主・天子(てんし))自身の心・亀卜(きぼく)*3・筮竹(ぜいちく)*4は賛成しているが、卿士(けいし)・庶民が反対している場合は「吉」である。

卿士(けいし)・亀卜(きぼく)*3・筮竹(ぜいちく)*4は賛成しているが、汝(あなた)(君主・天子(てんし))自身の心・庶民が反対している場合は「吉」である。

庶民・亀卜(きぼく)*3・筮竹(ぜいちく)*4は賛成しているが、汝(あなた)(君主・天子(てんし))自身の心・卿士(けいし)が反対している場合は「吉」である。

汝(あなた)(君主・天子(てんし))自身の心・亀卜(きぼく)*3は賛成しているが、筮竹(ぜいちく)*4・卿士(けいし)・庶民が反対している場合、それが国内の事柄について行うなら「吉」、国外の事柄について行うなら「凶」である。

亀卜(きぼく)*3・筮竹(ぜいちく)*4が人々(君主・卿士(けいし)・庶民)の判断に反する場合、静かに現状を保(たも)つなら「吉」、行動を起こせば「凶」である。


脚注

*3亀の甲羅を焼いて占う方法。

*450本の細い竹の棒(筮竹(ぜいちく))を使って占う方法。易占(えきせん)。

第8:庶徴(しょちょう)

庶徴(しょちょう)とは、さまざまな自然の徴候(ちょうこう)である。

さまざまな自然の徴候(ちょうこう)(気象)には、雨・陽(晴れ)・奧(温暖)・寒(寒冷)・風の5つがあり、これら5つの気象がすべて揃(そろ)い、それぞれが順序よく巡(めぐ)れば、さまざまな草木が青々と生い茂(しげ)る(=天下が豊かになる)。

そのうちの1つだけが過剰になると「凶」であり、そのうちの1つだけが極端に欠乏すると、「凶」である。

休徴(きゅうちょう)(善(よ)い徴候(ちょうこう))とは、以下の通りである。

  • (君主が)厳粛(げんしゅく)(粛(しゅく))であれば、時節に応じた雨が降る。
  • (君主が)よく治(おさ)めて(治)いれば、時節に応じた日照(ひで)りが現れる。
  • (君主が)叡智(えいち)(知)をもっていれば、時節に応じた暖かさが現れる。
  • (君主が)深く謀(はか)って(謀)いれば、時節に応じた寒さが現れる。
  • (君主が)聖人(聖)であれば、時節に応じた風が吹く。

咎徴(きゅうちょう)(悪い徴候(ちょうこう))とは、以下の通りである。

  • (君主が)狂気(狂)であれば、常にとめどなく雨が降る。
  • (君主が)身の程知らず(僭(せん))であれば、常にとめどなく日照(ひで)りが続く。
  • (君主が)緩(ゆる)み怠(なま)けて(舒(じょ))いれば、常にとめどなく暖かさが続く。
  • (君主が)過酷(かこく)で急進(急)であれば、常にとめどなく寒さが続く。
  • (君主が)暗愚(あんぐ)(霧(ぶ))であれば、常にとめどなく風が吹く。

王(おう)の過失は1年という単位に現れ、卿(けい)・士(し)(高官)の過失は1ヶ月という単位に現れ、師(し)・尹(いん)(諸官の長)の過失は1日という単位に現れる。

歳・月・日・時が乱れなければ、百穀(ひゃっこく)は実(みの)り、治用(政治)は明瞭(めいりょう)になり、畯民(しゅんみん)(優(すぐ)れた民)は顕彰(けんしょう)され、家(国家)は平穏(へいおん)安泰(あんたい)になる。

日・月・歳・時がすでに乱れてしまえば、百穀(ひゃっこく)は実(みの)らず、治用(政治)は明瞭(めいりょう)でなくなり、畯民(しゅんみん)(優(すぐ)れた民)は隠微(いんび)(衰退(すいたい))し、家(国家)はこれによって安寧(あんねい)でなくなる。

庶民は星のようなものである。星の種類や位置によっては、風を好むものもあれば、雨を好むものもある。日月の運行には冬や夏があり、月が星に従う(特定の星座にかかる)と、風が吹き雨が降るのである。

第9:五福(ごふく)・六極(りっきょく)

五福(ごふく)(5つの福)とは、

  1. 寿(長寿であること)
  2. 富(富裕であること)
  3. 康寧(身体が健康で心も安らかであること)
  4. 攸好德(徳を好み徳を行うことを善(よ)しとすること)
  5. 考終命(天から授(さず)かった寿命をまっとうし、その命を終えること)

である。

六極(りっきょく)(6つの災厄(さいやく))とは、

  1. 凶短折(不幸なことによって寿命を縮められ、若くして死ぬこと)
  2. 疾(病気)
  3. 憂(憂(うれ)い悩むこと)
  4. 貧(貧困)
  5. 悪(邪悪で善を好まないこと)
  6. 弱(心身が衰弱(すいじゃく)し、力が弱いこと)

である。


そこで武王(ぶおう)は箕子(きし)を朝鮮(ちょうせん)に封じたが、箕子(きし)を臣下として仕えさせることはしなかった。

備考

『史記(しき)』宋微子世家(そうびしせいか)には「箕子(きし)は武王(ぶおう)によって朝鮮(ちょうせん)に封ぜられた」とあるが、『漢書(かんじょ)』地理志(ちりし)には「殷(いん)王朝の政治が衰(おとろ)えたとき、箕子(きし)はその地を去って朝鮮(ちょうせん)へ赴(おもむ)いた」とあり、「武王(ぶおう)によって朝鮮(ちょうせん)に封ぜられた」とは記(しる)されていない。

箕子朝鮮
麦秀(ばくしゅう)の詩

箕子(きし)が周(しゅう)に朝見した時のこと。殷虛(いんきょ)(かつての殷(いん)の都の跡)に通りかかると、宮殿や宗廟(そうびょう)が破壊され、その跡地には禾(のぎ)や黍(きび)(などの穀物(こくもつ))が生(お)い茂っているのを見た。

箕子(きし)はこれを見て深く悲しんだが、声を上げて泣くことはできず、また涙を流すのも婦人のような振る舞いになると考え、そこで『麦秀(ばくしゅう)の詩』を詠(うた)って殷(いん)の滅亡を嘆(なげ)いた。


麥秀漸漸兮,禾黍油油。
彼狡僮兮,不與我好兮!

麦はすくすくと伸び育ち、禾(のぎ)や黍(きび)は青々と茂っている。
あの狡童(こうどう)(ずる賢い子供)は、我(わたし)と心を1つにはしてくれなかった!


ここで言う「狡童(こうどう)」とは、紂王(ちゅうおう)のことである。殷(いん)の民がこの歌を聞くと、皆涙を流した。

朝鮮に文明を伝える

箕子(きし)は「八条の教え」を制定して朝鮮(ちょうせん)の人々に礼義や道徳を教え、農耕や養蚕ようさん、機織はたおりの技術を伝えた。

(「八条の教え」により、)人の物を盗んだ者は、男であれば被害者の家の奴隷とされ、女であれば召使いとされた。50万銭を納めれば自由の身になることができたが、そのような経歴は人々から恥と見なされたため、結婚相手を見つけることは難しかった。

そのため、人々はついに互いに盗みを働かなくなり、家々では戸を閉ざす必要もないほどであった。また婦人たちは貞節で誠実であり、みだらな行いをすることがなかった。

出典
  • 『史記(しき)』殷本紀(いんほんぎ)
  • 『史記(しき)』宋微子世家(そうびしせいか)
  • 『漢書(かんじょ)』地理志(ちりし)

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