十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)が解散してしまうと、袁紹(えんしょう)はさっそく味方であった韓馥(かんふく)が治める冀州(きしゅう)を奪おうと策略を巡(めぐ)らせます。
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袁術(えんじゅつ)が献帝(けんてい)の保護に動き出すと、袁紹(えんしょう)は袁術(えんじゅつ)派の孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵攻を開始。袁氏(えんし)同士の確執はついに軍事衝突へと発展し、反董卓(とうたく・・・
袁紹(えんしょう)が冀州(きしゅう)を手に入れると、曹操(そうそう)も拠(よ)って立つ地盤を手に入れたいと思うようになりました。 そんな時、兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)に黒山賊が侵攻を開始します。
劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の活躍で呂布(りょふ)が敗走すると、董卓(とうたく)は洛陽(らくよう)を放棄して長安(ちょうあん)に都を遷(うつ)しました。 いよいよ十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)が・・・
孫堅(そんけん)に敗れた董卓(とうたく)が長安(ちょうあん)に入った頃、反董卓(とうたく)連合の袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)の関係に変化が現れました。 確たる地盤を持たない袁紹(えんしょう)が、韓馥(かんふく)の・・・