総勢40万を超える黄巾賊の一部は北上し、幽州(ゆうしゅう)の境まで迫っていました。
中央の討伐軍の到着を待つ地方の太守(たいしゅ)たちは、黄巾賊に対してどのように対応していたのでしょうか。

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幽州に進行する黄巾賊

幽州に進行する黄巾賊


タカオタカオ

前回は太平道(たいへいどう)が起こした反乱に対して、討伐軍が編成されたところまででしたよね。

王先生王先生

そうですね。
今回はいよいよ『三国志演義』の主役となる英雄たちが登場しますよ!

マリコマリコ

長かったぁ〜。
今まで知ってる人がいなかったから、楽しみです!

ご確認

この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における桃園の誓いについては、こちらをご覧ください。

「桃園の誓い」が象徴する劉備軍団を支えた任侠精神

義勇軍の募集


王先生王先生

冀州(きしゅう)で兵を挙げた黄巾賊は、北上して幽州(ゆうしゅう)の境まで進軍してきました。この時幽州(ゆうしゅう)を統治していたのは、漢の皇室の血を引く劉焉(りゅうえん)という人物です。

タカオタカオ

幽州(ゆうしゅう)も太平道(たいへいどう)の信者が多いところだからな。

王先生王先生

この知らせに、劉焉(りゅうえん)の部下で校尉(こうい)の鄒靖(すうせい)は、義勇兵を募集することを提案しました。

マリコマリコ

一般の人にも助けを求めたんですね、賢いっ!


黄巾の乱初期の黄巾賊の勢力範囲

黄巾の乱初期の黄巾賊の勢力範囲

劉備・関羽・張飛の出会い


王先生王先生

場面は変わって、幽州(ゆうしゅう)の涿郡(たくぐん)・涿県(たくけん)に立てられた義勇兵を募る高札の前で、ため息をもらしている人物がいます。

タカオタカオ

おぉっ!劉備(りゅうび)だっ!

マリコマリコ

劉備(りゅうび)さんって、幽州(ゆうしゅう)の人だったんですね。

王先生王先生

説明する必要はないかもしれませんが、『三国志演義』に描かれた劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の出会いをご紹介しておきますね。


義勇兵を募る高札の前でため息をついている劉備(りゅうび)に、張飛(ちょうひ)が声をかけます。

劉備(りゅうび)が「自分は漢室の一門にも関わらず、賊を討って民を救う力がないことを嘆(なげ)いていた」と話すと、張飛(ちょうひ)は仲間を集めて一緒に義勇兵に加わることを提案しました。


そして、2人が酒場で今後のことを話し合っていると、1人の大男が入ってきます。

劉備(りゅうび)は、これから義勇兵に志願しに行くと言うこの男を席に招くと、一緒に義勇兵に志願するように勧めました。この大男が関羽(かんう)です。

3人は、場所を張飛(ちょうひ)の家に移して今後のことを話し合うことにしました。




王先生王先生

では、『三国志演義』に描かれた3人の特徴と略歴を確認してみましょう。

劉備の特長と略歴

劉備(りゅうび)

姓は劉(りゅう)、名は備(び)、字(あざな)は玄徳(げんとく)。

劉備(りゅうび)の外見は、身長約173cm、耳は肩まで垂れ下がり、両手を下げれば膝の下まで届く。顔は白く唇は紅をつけたように赤いと記されています。

中山靖王(ちゅうざんせいおう)・劉勝(りゅうしょう)の末裔で、あまり学問を好まず、性格は寛大で口数が少なく、感情を外に出さなかったと言います。

『蜀書(しょくしょ)』先主伝(せんしゅでん)にはさらに、「闘犬や乗馬、音楽や美しい衣服を好んだ」とあります。

また、心の内に大望を抱き、天下の豪傑と交わるのを好んでいたため、若者はみな彼につき従ったと言われています。

劉備(りゅうび)はこの時28歳。草鞋(わらじ)やむしろを売って暮らしていました。




タカオタカオ

なんだか劉備(りゅうび)の特徴聞いたらバケモノみたいだね。

王先生王先生

中国では、外見が人並み外れていることが英雄の条件の1つなんですよ。

マリコマリコ

勉強は嫌いだったんですね、もっと真面目な人だと思ってました。

王先生王先生

劉備(りゅうび)は中郎将(ちゅうろうしょう)の盧植(ろしょく)に師事していたこともあるんですよ。

タカオタカオ

でも勉強はサボってたんだよね。音楽好きとか服に興味があるとか、もっと質素な暮らしをしてたのかと思ってた。

張飛の特長と略歴

張飛(ちょうひ)

姓は張(ちょう)、名は飛(ひ)、字(あざな)は翼徳(よくとく)。(正史では益徳(えきとく))

張飛(ちょうひ)の外見は、身長約184cm、ヒョウのような頭で目はまん丸く、虎のようなヒゲを生やした暴れ馬のような男と記されています。

この時は、酒や豚肉を売って暮らしていました。

自分の蓄(たくわ)えで仲間を集めることを提案していることから、3人の中では一番財力があったようです。




タカオタカオ

身長184cmって、思ったよりデカくないんだね。

王先生王先生

当時の男性の平均身長は、7尺(約161cm)ほどですから、十分背が高いですよ。

マリコマリコ

じゃあ劉備(りゅうび)さんも背が高いほうなんですね!

関羽の特長と略歴

関羽(かんう)

姓は関(かん)、名は羽(う)、字(あざな)は雲長(うんちょう)。

関羽(かんう)の外見は、身長約208cm、ヒゲの長さは約46cm。顔は熟したナツメのように赤黒く、鳳凰(ほうおう)の目に蚕(かいこ)のような眉毛をした屈強な男と記されています。

河東郡(かとうぐん)・解県(かいけん)の生まれで、傲慢な豪族を斬って各地を転々としていたところ、義勇兵の募集を聞きつけて志願しようとしていたのでした。




タカオタカオ

関羽(かんう)デカっ!イメージ通りだ(笑)

マリコマリコ

蚕(かいこ)のような眉毛は分かるんですけど、鳳凰(ほうおう)の目ってどんな目ですか?
鳥みたいにまん丸ってこと?

王先生王先生

分かりにくいですよね。
人相学で言う「鳳凰(ほうおう)の目」には、次のような特徴があります。

鳳凰の目

鳳凰(ほうおう)の目とは、細長い目の形で、遠くを見るような清らかでさわやかな眼差しであり、この目の持ち主は頭の回転が早く人間性も善良で、才覚を発揮して功名を得る暗示があります。




マリコマリコ

そうですよね。
『レッドクリフ』の関羽(かんう)さんも、切れ長の目の役者さんでした。

タカオタカオ

改めてみると、劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)ってフラフラしてるチャラ男と逃亡者と、肉屋のオヤジなんか。

王先生王先生

そうですねぇ〜、劉備(りゅうび)の血筋以外、お世辞にも出自が良いとは言えませんね。

マリコマリコ

でも、お国のために働きたい!という気持ちがあれば良いじゃないですか(笑)



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桃園の誓い

桃園の誓い

義兄弟の契りを結ぶ


王先生王先生

張飛(ちょうひ)の家で意気投合した劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の3人は、張飛(ちょうひ)の発案で義兄弟の契(ちぎ)りを結ぶことになりました。


ここに劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の3人、

姓は同じくないけれども、

兄弟の契りを結ぶからには心を一つにして力を合わせ、

苦難にあい危険にのぞむものを救い助けて、

上は国家の恩に報い、

下は民草を安らかにしたい。


同年同月同日に生まれなかったのは是非もない、

願わくは同年同月同日に死にたい。


皇天后土(こうてんこうど)の神も照覧あれ、

もし義に背き恩を忘れることあらば、

天の罰をこうむるであろう。


出典:完訳三国志(一)岩波書店


王先生王先生

兄弟の順は、劉備(りゅうび)が長兄、関羽(かんう)が次兄、張飛(ちょうひ)が末弟となることに決まりました。この契(ちぎ)りは義兄弟の契(ちぎ)りであるとともに、劉備(りゅうび)を主君とする主従の誓いでもあります。

この誓いは、張飛(ちょうひ)の家の裏にあった桃園で行われたことから「桃園の誓い(桃園結義)」と呼ばれています。



タカオタカオ

確かこの「桃園の誓い」は史実ではないんですよね。

王先生王先生

実はそうなんです。義兄弟の契(ちぎ)りを結んだという記述はありませんが、『蜀書(しょくしょ)』関羽伝(かんうでん)には「劉備(りゅうび)は2人と同じ床で眠り、その恩愛は兄弟のようであった」と記されています。

マリコマリコ

でもこの「桃園の誓い」がないと、三国志が始まった気がしないですよね!

王先生王先生

そうですね!
『三国志演義』には欠かせない名場面の1つです。

張世平と蘇双の支援


王先生王先生

劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の3人は兄弟の契(ちぎ)りを結ぶと、酒と料理の準備をして村の勇士を集め始めました。

3人が集めた人数は300人を超え、武器や防具を揃えることはできましたが、馬だけがどうしても手に入れることができません。

そこへたくさんの馬をつれた2人の商人が通りかかりました。名前を張世平(ちょうせいへい)と蘇双(そそう)と言います。

聞けば「毎年北方に馬を売りに行っていたが、黄巾賊が侵入してきたので引き返してきた」とのこと。

劉備(りゅうび)は2人を招いてもてなすと、自分達の志を打ち明けます。

それを聞いた2人は「賊がはびこっていては商売にならない」と、良馬50頭、金銀500両、鉄(はがね)1,000斤を用立ててくれました。3人はこのお金と鉄を使って、以後それぞれのトレードマークとなる武器を作ります。


  • 劉備(りゅうび):2本合わせの剣
  • 関羽(かんう):重さ82斤(約49kg)の冷艶鋸(れいえんきょ)と呼ばれる青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)
  • 張飛(ちょうひ):長さ1丈8尺(約4.40m、一説には6m以上)の蛇矛(だぼう)


タカオタカオ

これ絶対誇張入ってるよね(笑)
50kg近い青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)とか4m以上ある蛇矛(だぼう)とか、さすがに振り回せないでしょ!

王先生王先生

日本の織田軍の長槍隊は、約6.4mの槍を使ったとされていますけど、これは集団で使うことで効果を発揮しますからねぇ。

マリコマリコ

そんなこと、どうでも良いじゃないですか(笑)

王先生王先生

そうですね(笑)

劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の3人は、最終的に約500人の義勇兵を従えて、高札を立てた鄒靖(すうせい)に面会に行きました。


この「桃園の誓い」は、正史には記載されていない『三国志演義』の創作とされています。

また、関羽(かんう)の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)は中国の宋(そう)の時代、張飛(ちょうひ)の蛇矛(だぼう)は明(みん)の時代に生まれた武器ですので、残念ですが当時の彼らが使用した事実はありません。



王先生王先生

次回は、劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)が率いる義勇軍の活躍についてお話しします。

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人物相関図

人物相関図

次回

【007】黄巾賊討伐1:劉備・関羽・張飛の義勇軍と若き日の英雄たちの活躍

三国志演義の解説を順番に読もう!

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