総勢40万を超える黄巾賊の一部は北上し、幽州の境まで迫っていました。
中央の討伐軍の到着を待つ地方の太守たちは、黄巾賊に対してどのように対応していたのでしょうか。
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幽州に進行する黄巾賊
前回は太平道が起こした反乱に対して、討伐軍が編成されたところまででしたよね。
そうですね。
今回はいよいよ『三国志演義』の主役となる英雄たちが登場しますよ!
長かったぁ〜。
今まで知ってる人がいなかったから、楽しみです!
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における桃園の誓いについては、こちらをご覧ください。
義勇軍の募集
冀州で兵を挙げた黄巾賊は、北上して幽州の境まで進軍してきました。この時幽州を統治していたのは、漢の皇室の血を引く劉焉という人物です。
幽州も太平道の信者が多いところだからな。
この知らせに、劉焉の部下で校尉の鄒靖は、義勇兵を募集することを提案しました。
一般の人にも助けを求めたんですね、賢いっ!
黄巾の乱初期の黄巾賊の勢力範囲
劉備・関羽・張飛の出会い
場面は変わって、幽州の涿郡・涿県に立てられた義勇兵を募る高札の前で、ため息をもらしている人物がいます。
おぉっ!劉備だっ!
劉備さんって、幽州の人だったんですね。
説明する必要はないかもしれませんが、『三国志演義』に描かれた劉備・関羽・張飛の出会いをご紹介しておきますね。
義勇兵を募る高札の前でため息をついている劉備に、張飛が声をかけます。
劉備が「自分は漢室の一門にも関わらず、賊を討って民を救う力がないことを嘆いていた」と話すと、張飛は仲間を集めて一緒に義勇兵に加わることを提案しました。
そして、2人が酒場で今後のことを話し合っていると、1人の大男が入ってきます。
劉備は、これから義勇兵に志願しに行くと言うこの男を席に招くと、一緒に義勇兵に志願するように勧めました。この大男が関羽です。
3人は、場所を張飛の家に移して今後のことを話し合うことにしました。
では、『三国志演義』に描かれた3人の特徴と略歴を確認してみましょう。
劉備の特長と略歴
姓は劉、名は備、字は玄徳。
劉備の外見は、身長約173cm、耳は肩まで垂れ下がり、両手を下げれば膝の下まで届く。顔は白く唇は紅をつけたように赤いと記されています。
中山靖王・劉勝の末裔で、あまり学問を好まず、性格は寛大で口数が少なく、感情を外に出さなかったと言います。
『蜀書』先主伝にはさらに、「闘犬や乗馬、音楽や美しい衣服を好んだ」とあります。
また、心の内に大望を抱き、天下の豪傑と交わるのを好んでいたため、若者はみな彼につき従ったと言われています。
劉備はこの時28歳。草鞋やむしろを売って暮らしていました。
なんだか劉備の特徴聞いたらバケモノみたいだね。
中国では、外見が人並み外れていることが英雄の条件の1つなんですよ。
勉強は嫌いだったんですね、もっと真面目な人だと思ってました。
劉備は中郎将の盧植に師事していたこともあるんですよ。
でも勉強はサボってたんだよね。音楽好きとか服に興味があるとか、もっと質素な暮らしをしてたのかと思ってた。
張飛の特長と略歴
姓は張、名は飛、字は翼徳。(正史では益徳)
張飛の外見は、身長約184cm、ヒョウのような頭で目はまん丸く、虎のようなヒゲを生やした暴れ馬のような男と記されています。
この時は、酒や豚肉を売って暮らしていました。
自分の蓄えで仲間を集めることを提案していることから、3人の中では一番財力があったようです。
身長184cmって、思ったよりデカくないんだね。
当時の男性の平均身長は、7尺(約161cm)ほどですから、十分背が高いですよ。
じゃあ劉備さんも背が高いほうなんですね!
関羽の特長と略歴
姓は関、名は羽、字は雲長。
関羽の外見は、身長約208cm、ヒゲの長さは約46cm。顔は熟したナツメのように赤黒く、鳳凰の目に蚕のような眉毛をした屈強な男と記されています。
河東郡・解県の生まれで、傲慢な豪族を斬って各地を転々としていたところ、義勇兵の募集を聞きつけて志願しようとしていたのでした。
関羽デカっ!イメージ通りだ(笑)
蚕のような眉毛は分かるんですけど、鳳凰の目ってどんな目ですか?
鳥みたいにまん丸ってこと?
分かりにくいですよね。
人相学で言う「鳳凰の目」には、次のような特徴があります。
鳳凰の目
鳳凰の目とは、細長い目の形で、遠くを見るような清らかでさわやかな眼差しであり、この目の持ち主は頭の回転が早く人間性も善良で、才覚を発揮して功名を得る暗示があります。
そうですよね。
『レッドクリフ』の関羽さんも、切れ長の目の役者さんでした。
改めてみると、劉備・関羽・張飛ってフラフラしてるチャラ男と逃亡者と、肉屋のオヤジなんか。
そうですねぇ〜、劉備の血筋以外、お世辞にも出自が良いとは言えませんね。
でも、お国のために働きたい!という気持ちがあれば良いじゃないですか(笑)
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桃園の誓い
義兄弟の契りを結ぶ
張飛の家で意気投合した劉備・関羽・張飛の3人は、張飛の発案で義兄弟の契りを結ぶことになりました。
ここに劉備・関羽・張飛の3人、
姓は同じくないけれども、
兄弟の契りを結ぶからには心を一つにして力を合わせ、
苦難にあい危険にのぞむものを救い助けて、
上は国家の恩に報い、
下は民草を安らかにしたい。
同年同月同日に生まれなかったのは是非もない、
願わくは同年同月同日に死にたい。
皇天后土の神も照覧あれ、
もし義に背き恩を忘れることあらば、
天の罰をこうむるであろう。
出典:完訳三国志(一)岩波書店
兄弟の順は、劉備が長兄、関羽が次兄、張飛が末弟となることに決まりました。この契りは義兄弟の契りであるとともに、劉備を主君とする主従の誓いでもあります。
この誓いは、張飛の家の裏にあった桃園で行われたことから「桃園の誓い(桃園結義)」と呼ばれています。
確かこの「桃園の誓い」は史実ではないんですよね。
実はそうなんです。義兄弟の契りを結んだという記述はありませんが、『蜀書』関羽伝には「劉備は2人と同じ床で眠り、その恩愛は兄弟のようであった」と記されています。
でもこの「桃園の誓い」がないと、三国志が始まった気がしないですよね!
そうですね!
『三国志演義』には欠かせない名場面の1つです。
張世平と蘇双の支援
劉備・関羽・張飛の3人は兄弟の契りを結ぶと、酒と料理の準備をして村の勇士を集め始めました。
3人が集めた人数は300人を超え、武器や防具を揃えることはできましたが、馬だけがどうしても手に入れることができません。
そこへたくさんの馬をつれた2人の商人が通りかかりました。名前を張世平と蘇双と言います。
聞けば「毎年北方に馬を売りに行っていたが、黄巾賊が侵入してきたので引き返してきた」とのこと。
劉備は2人を招いてもてなすと、自分達の志を打ち明けます。
それを聞いた2人は「賊がはびこっていては商売にならない」と、良馬50頭、金銀500両、鉄1,000斤を用立ててくれました。3人はこのお金と鉄を使って、以後それぞれのトレードマークとなる武器を作ります。
- 劉備:2本合わせの剣
- 関羽:重さ82斤(約49kg)の冷艶鋸と呼ばれる青龍偃月刀
- 張飛:長さ1丈8尺(約4.40m、一説には6m以上)の蛇矛
これ絶対誇張入ってるよね(笑)
50kg近い青龍偃月刀とか4m以上ある蛇矛とか、さすがに振り回せないでしょ!
日本の織田軍の長槍隊は、約6.4mの槍を使ったとされていますけど、これは集団で使うことで効果を発揮しますからねぇ。
そんなこと、どうでも良いじゃないですか(笑)
そうですね(笑)
劉備・関羽・張飛の3人は、最終的に約500人の義勇兵を従えて、高札を立てた鄒靖に面会に行きました。
この「桃園の誓い」は、正史には記載されていない『三国志演義』の創作とされています。
また、関羽の青龍偃月刀は中国の宋の時代、張飛の蛇矛は明の時代に生まれた武器ですので、残念ですが当時の彼らが使用した事実はありません。
次回は、劉備・関羽・張飛が率いる義勇軍の活躍についてお話しします。
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人物相関図
次回
【007】黄巾賊討伐1:劉備・関羽・張飛の義勇軍と若き日の英雄たちの活躍