171年【漢:建寧4年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
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171年の主な人員配置
後宮
天子・皇后 | 人物 |
---|---|
天子(皇帝) | 劉宏(霊帝) |
皇太后 | 竇太后(桓思竇皇后) |
皇后 | 宋皇后(7月〜) |
朝廷
官職 | 人物 |
---|---|
太傅 | 胡広 |
司徒 | 許訓 → 橋玄 → 許栩 |
司空 | 橋玄 → 来艶 → 宗倶 |
太尉 | 聞人襲 → 李咸 |
太常 | 来艶 → 宗倶(〜7月) |
太僕 | 李咸(〜3月) |
執金吾 | 宋酆 |
五官中郎将 | 董重 |
使匈奴中郎将 | 張奐 |
度遼将軍 | 皇甫規 |
破羌将軍 | 段熲 |
地方官
官職 | 人物 |
---|---|
玄菟太守 | 公孫琙 |
丹陽太守 | 陳夤 |
鬱林太守 | 谷永 |
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171年の主な出来事
月 | 出来事 |
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春 |
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2月 |
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3月 |
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4月 |
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5月 |
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7月 |
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10月 |
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冬 |
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171年の三国志群雄勢力図
建寧4年(171年)の三国志群雄勢力図
171年の情勢
171年の時点では、漢の領内にまだ独立勢力はありません。
特記事項
霊帝が元服
この年、霊帝が元服し、7月に貴人の宋氏が皇后に立てられました。
黄門令の董萌が獄死
168年に起こった竇武と陳蕃によるクーデターの失敗により、竇武の娘である竇太后は、曹節・王甫らによって南宮に幽閉されていました。
この年の10月、霊帝は自分が帝位に即くことができたのは竇太后のお陰であるとし、群臣を率いて南宮の竇太后に謁見し、長寿を祝福しました。
また、黄門令の董萌が竇太后の冤罪を訴えたので、霊帝は彼に従って竇太后と親しく接するようになります。
これを面白く思わない曹節・王甫らは「永楽宮(霊帝の母・董太后)を誹謗中傷した」として董萌を捕らえると、董萌は獄死してしまいました。
168年の竇武と陳蕃によるクーデターを契機として、翌年には清流派の党人を弾圧する「第二次党錮の禁」が起こりました。
ですが、この年の董萌の獄死に見られるように、清流派と濁流派の対立は、まだまだ続いていたようです。