正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「か」から始まる人物の一覧㉕、河東郡(平陽郡)賈氏③(河東公主・臨海公主・賈遊・賈暢・賈蓋・賈衆)です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
河東(平陽)賈氏系図
河東郡(平陽郡)賈氏系図
※親が同一人物の場合、左側が年長。
赤字がこの記事でまとめている人物。
河東郡が分割されて襄陵県が平陽郡に編入されたため、賈充以降は平陽郡賈氏となる。この記事で扱う人物は、全員平陽郡賈氏となるが、便宜上、河東郡(平陽郡)賈氏として扱う。
賈謐(韓謐)については南陽郡韓氏として扱う。
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この記事では河東郡(平陽郡)賈氏④の人物、
についてまとめています。
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か㉕[河東(平陽)賈氏③]
第4世代(河東公主・臨海公主・賈遊・賈暢・賈蓋・賈衆)
河東公主
生没年不詳。司隷・平陽郡・襄陵県の人。父は恵帝(司馬衷)。母は賈后(賈南風)。妹に臨海公主、始平公主、哀献皇女。
河東公主が病気になると、巫師は「政令を緩和せよ」と言い、賈后(賈南風)は詔と称して天下に大赦した。
西晋の永康元年(300年)、賈后(賈南風)の死後、孫秀の子・孫会に嫁いだ。
臨海公主
生没年不詳。司隷・平陽郡・襄陵県の人。父は恵帝(司馬衷)。賈后(賈南風)。姉に河東公主。妹に始平公主、哀献皇女。
臨海公主は初め、清河公主に封ぜられたが、洛陽の戦乱の中で人に掠われ、呉興県の銭温に売られた。銭温は公主を女に与え、女は公主をとても酷く扱った。
元帝(司馬睿)が建鄴に出鎮すると、公主は県の役所に駆け込んで自らの素性を語った。
元帝(司馬睿)は銭温とその女を誅殺し、公主を改めて臨海公主に封じ、宗正の曹統に娶らせた。
賈遊・彦将
生没年不詳。司隷・平陽郡・襄陵県の人。父は不詳。
父・賈模の後を継ぎ、太子侍講、員外散騎侍郎を歴任した。
賈暢
生没年不詳。司隷・平陽郡・襄陵県の人。父は不詳。賈充の従孫。
西晋の太康元年(280年)に呉が平定されると、従祖父・賈充の封邑を分け与えられ、新城亭侯に封ぜられた。
賈蓋
生没年不詳。司隷・平陽郡・襄陵県の人。父は不詳。賈充の従孫。
西晋の太康元年(280年)に呉が平定されると、従祖父・賈充の封邑を分け与えられ、安陽亭侯に封ぜられた。
賈衆
生没年不詳。司隷・平陽郡・襄陵県の人。父は不詳。賈充の従孫。
西晋の太康元年(280年)に呉が平定されると、関内侯であった賈衆は封邑を加増された。
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