劉備と呂布の仲を裂く『駆虎呑狼の計』が失敗に終わった曹操は、続いて『二虎競食の計』を仕掛けますが…。
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目次
劉備の出陣
画像出典:ChinaStyle.jp
前回は、曹操が劉備に『駆虎呑狼の計』を仕掛けたところまででしたよね。
劉備さんと袁術さんを戦わせる計略ですねっ!
その前の『二虎競食の計』は見破ったけど、今度はどうかな?
どうでしょうねぇ?今回は、劉備のところに曹操の使者が到着したところから始まります。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における「呂布の裏切り」については、こちらをご覧ください。
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これまでのあらすじ
まず、『駆虎呑狼の計』について簡単におさらいしておきましょう。
呂布と劉備が徐州で手を結んでいることを危険視した曹操は、荀彧の進言によって、
劉備を徐州牧に任命すると同時に、劉備に呂布を攻めるように密命を下す『二虎競食の計』
を実行に移しました。ですが、曹操の思惑に気づいた劉備は、その密書を呂布に見せて身の潔白を証明したので、呂布と劉備の仲を裂くことはできませんでした。
『駆虎呑狼の計』が失敗に終わると荀彧は、
劉備に袁術討伐の勅命を下す一方で、袁術にそのことを知らせる『駆虎呑狼の計』
を進言します。劉備と袁術が戦えば呂布のこと、必ず二心を抱き、劉備を裏切るだろうという計略です。
曹操はこれに従って袁術と劉備に使者を派遣しました。
今度は勅命だから、無視するわけにはいかない。
後は呂布さんが裏切らないことを祈るしかないですね。
そうですね。
張飛の約束
では、今回のお話を始めましょう。
使者が到着したと聞いた劉備は、城外に出迎えて詔書を開いてみると、「袁術を討て」とのこと。劉備は仰せを承り、まず使者を送り返しました。
使者が帰った後、糜竺が、
「これもやはり曹操の計略でしょう」
と言うと劉備も、
「これもやはり曹操の計であろうが、勅命とあっては背くわけにはいかぬ」
と言い、そこで勢揃いをして日にちを決めて出陣することにしました。
その軍議の席で、まず孫乾が「城を守備する者を決める」ことを提案します。
これに劉備が、
「弟たちのどちらが守備をするか…」
と考えていると、
「私がこの城を守りましょう」
と関羽が名乗り出ました。ですが劉備は、
「私は毎日、お前を相談相手にしようと思っているのに、別々になってしまっては困る」
と言うので、今度は張飛が、
「俺が守ることにしましょうぞ」
と進み出ます。ですがこれも劉備は、
「お前には守りおおせまい。1つには酒グセが悪くて兵士を鞭打つ癖があるし、2つには軽はずみで人の忠告を聞こうとしないから、安心して任せることはできぬ」
と言いました。すると張飛は、
「それならば、今日から酒も飲まず、兵士を殴ることもせず、また人の忠告をよく聞くことにしましょう」
と宣言します。そしてこれに糜竺が、
「口先だけでは済みませぬぞ」
と釘を刺すと、張飛は腹を立て、
「俺は兄貴に仕えて久しいが、約束を違えたことは1度もないぞ。なぜ俺を見くびるのだっ!」
と言うので劉備は、
「そうは言っても、どうも安心できぬ。やはり陳元龍(陳登)どのに補佐を頼むことにしよう」
と言い、陳登に「酒を飲み過ごさぬよう監督し、間違いをしでかさないように」頼むと、いよいよ騎兵歩兵3万を率いて徐州を出発し、南陽に向かって進軍を開始しました。
あぁ〜、これじゃ曹操さんの思う壺だ…。
張飛、これ絶対約束破るぞ(笑)
これだけ強く約束したんだから、大丈夫でしょっ!
ちなみに南陽というのは、荊州・南陽郡のことです。
関羽が荀正を斬る
では、もう一方の袁術の陣営の方を見てみましょう。
袁術は、劉備が南陽郡に侵攻していると知ると大いに腹を立て、
「むしろを編み、くつを作っていた下郎めが、大城を我がものにして諸侯の列に加わるだけでも過分じゃ。儂の方から征伐しようと思っていたところへ、手前の方から押し寄せて来るとはっ!憎々しいやつめっ!」
と言って大将の紀霊に10万の兵をつけ、徐州に攻め込ませました。
両軍は徐州・下邳国の盱眙県で遭遇し、兵数が少ない劉備軍は、山陰の川沿いを選んで陣取ります。
紀霊は山東の人で、1振りの三尖の薙刀、5千斤の重さの得物を使っていました。
この日紀霊は兵を率いて出陣すると、
「劉備の土百姓め、よくも領分に入り込みおったなっ!」
と大声に罵ります。
そして、これに劉備が、
「私は天子(献帝)の詔を受けて不忠者を征伐するのじゃ。それを拒むとあっては、ますます罪が重いぞっ!」
と言い返すと、紀霊は怒り猛り、馬を蹴立てて薙刀を振り回して、まっすぐに劉備に打ちかかります。
「下郎め、無礼を働くなっ!」
これにすかさず関羽が馬を乗り出して紀霊と打ち合うこと30合、なかなか勝負がつかず、紀霊が「しばらく待てっ!」と大声で叫んだので、関羽は陣に戻って様子を見ていました。
すると紀霊は、副将の荀正という者を出してきます。
これを見た関羽が、
「紀霊を出せっ!あいつと勝負をつけるのだっ!」
と呼ばわると、荀正は、
「貴様のような名もない男が、紀将軍(紀霊)の相手になれぬわっ!」
と言い返します。
これに大いに腹を立てた関羽は真っ直ぐ荀正に挑みかかり、馬が馳せ違ったかと思うと、一刀のもとに荀正を斬って落としました。
これを合図に、劉備が兵に攻撃を命じたので紀霊は大敗し、退却して下邳国・淮陰県の河口を守り、出撃はせず両軍にらみ合いとなりました。
さすが関羽っ!
兵の少なさを物ともしていませんね。
そうですねっ!
この時、正史『三国志』では、袁術は曹操に敗れて本拠地を揚州・九江郡・寿春県に移しており、徐州と領地を接していました。
『三国志演義』では、袁術は反董卓連合に参加した時のまま荊州・南陽郡を領地としており、ここでは先に袁術が徐州に侵入し、徐州が戦場になっています。
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張飛の失態
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張飛が禁酒を破る
ではここで、張飛が守る下邳県の様子を見てみましょう
劉備たちが出陣してからというもの、張飛は事務仕事は陳登に任せ、軍事に関わる重要事項だけを自分で処理していました。
ある日、張飛が宴会を開いて下邳県の官吏たちを招きました。
そこで張飛は、
「出陣する時、兄貴は俺に『酒を慎み間違いを起こさぬように』と言いつけられた。
各々方、今日は存分に飲んで、明日からは禁酒して、俺の守備を助けてもらいたい。だから今日はみんな、飲めるだけ飲んでくれっ!」
と言い、言い終わると、立ち上がって1人1人に酒を勧め始めます。
張飛が元陶謙配下の大将・曹豹の前まで来ると、
「私は禁酒の誓いを立てましたゆえ、飲むことはできません」
と、曹豹は張飛が勧める酒を断りました。
ですが張飛は、
「戦商売の男が、どうして酒を飲まぬということがあるっ!どうしてもお前に、1杯は飲んでもらうぞっ!」
と言って聞かないので、仕方なく曹豹は1杯飲み干します。
全員に酒を勧め終わった張飛は、自分は大杯になみなみと酒を注いで、あれよあれよという間に数十杯を飲み干してしまいました。
あぁ〜、飲んじゃったっ!
やっぱりな(笑)
まぁ、飲み過ぎなければ…。
もう大杯で数十杯も飲んでますよ(笑)
張飛が曹豹を鞭打つ
酔いが回ってくると、張飛はまた、みなに酒を勧め始めました。
すると張飛は、真っ先に曹豹のところに向かいます。
「もう飲めませんっ!」
ですが今度は、曹豹はなんと言っても飲まないので、張飛はついに酒グセの悪さが出て怒り出し、
「俺の命令に背いたからには、棒打ち100回だっ!」
と、足軽に命じて曹豹を縛り上げさせました。
これを見た陳登は、
「玄徳(劉備の字)どのが出陣の際に、言い残していかれたお言葉をお忘れか?」
と止めに入りますが、
「お前は文官だから文官のことだけやっておれ、俺に構うな」
と言って聞きません。
そこで仕方なく曹豹は、
「翼徳(張飛の字)どの、私の婿の顔に免じて許してくだされ…」
と張飛に哀願しました。
すると、婿という言葉に反応した張飛は、婿の名前を尋ねます。
「呂布でござる」
呂布の名前を聞いた張飛は大いに腹を立て、曹豹に言いました。
「俺は本当にお前を打たせるつもりではなかった。なのに呂布の名前を出して脅そうとするとはっ!これはお前を打つのではない。呂布を打っておるのだっ!」
そう言うと張飛は、ついに曹豹を打ちすえさせます。
そして50回ほど打たせた時、皆が必死で止めるのを聞いて、張飛はやっと曹豹を許しました。
最悪の状況だな…。
本当、だから飲むなって言われてたのに…。
こりゃ、曹豹は怨んでるぞぉ〜(笑)
ちなみに、呂布の先妻が曹豹の娘だったとされています。
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劉備、徐州を失う
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呂布の裏切り
さて、張飛に棒打たれた曹豹が家に帰って来ました。
曹豹は骨の髄まで張飛を怨み、その夜のうちに小沛[豫州(予州)・沛国・沛県]の呂布に手紙を届けさせます。
その手紙には、張飛の無礼を詳しく述べた上、
「劉備は淮南に出掛けているから、今夜、張飛が酔っ払っているうちに兵を出して徐州を取れ。この機会を外したら、後悔してもしきれないぞ」
とありました。
この手紙を見た呂布は、早速陳宮を呼んで相談すると、
「小沛は長く留まるべき処ではありません。徐州に隙がある今を逃しては、2度と好機は巡ってこないでしょう」
と言います。
そこで呂布は、直ちに鎧兜に身を固め、赤兎馬に跨がって、方天画戟を手に5百騎を率いて出陣し、その後から陳宮と高順が大軍を率いて続きました。
え〜っ!呂布さんっ!それはないよ…。
だって呂布だよ(笑)
劉備さんは曹操さんからの密命を断って、呂布さんを守ったんだよっ!
これが呂布だよ(笑)
確かに。これを警戒して袁紹・袁術は呂布を受け入れませんでしたからね。
呂布に徐州を奪われる
呂布の軍勢は、すぐに徐州(下邳県)に到着しました。
呂布の軍勢が徐州に着いたのは夜の四更(午前1時〜3時頃)、月の光は澄み渡り、城内は静まりかえっています。
呂布が城門の前まで進み出て、
「劉使君(劉備)どのより内密の使者じゃ。城に登って来られい」
と呼ばわると、知らせを聞いた曹豹が城壁に登って顔を出し、すぐに城門を開きました。
この時張飛は屋敷で酔いつぶれていましたが、側の者が慌てて揺り起こされ、
「呂布が城門を開けさせて、攻め込んで参りました」
と聞いて大いに怒り、慌てて鎧を身につけると、1丈8尺の蛇矛を引っさげ、やっと屋敷の門まで出て馬に跨がります。
この時すでに呂布の軍勢が殺到しており、張飛はこれを迎え撃ちますが、まだ酔いが冷めておらず、配下の強者18騎に守られて、東門から逃げ出しました。
また、屋敷には劉備の妻子がいましたが、彼女らを助け出す余裕はありませんでした。
この時曹豹は、張飛がわずか十数人しか連れておらず、まだ酔いが冷めていないことを侮って、百人余りを率いて追って来ました。
追っ手の中に曹豹を見つけた張飛は馬を蹴立てて曹豹に襲いかかり、3合ばかり打ち合って、曹豹はやはり敵わないと逃げ出します。
張飛がこれを追って川岸で追いつくと背中を一突き、曹豹は馬もろとも川に落ちて死んでしまいました。
張飛は城を脱出した兵を集めると、劉備たちのいる淮南に向かい、呂布は城内で住民たちを安堵させ、百人の足軽に劉備の屋敷の門を守らせて、勝手に人が入れないようにしました。
やっぱり城を取られたか…。
劉備さんの妻子まで捕まっちゃいましたね。
曹豹はまあ、予想通りだね(笑)
これで劉備は、帰るところがなくなってしまったことになりますね。
張飛の懺悔
さて、徐州を奪われた張飛は、劉備たちのいる盱眙県に到着しました。
劉備に対面した張飛は、曹豹が裏切って呂布を引き入れ、徐州を奪われた経緯を詳しく話します。
その場にいた者はみな言葉を失いましたが、劉備は大きく息をついて、
「手に入れたからといって嬉しくもない城を失ったからといって、気を落とすことはない」
と言いました。
続いて関羽が、
「姉上(劉備の妻)はどこにおられる?」
と尋ね、張飛が、
「みな城内に生け捕りになった」
と答えると、劉備は黙って一言も発しませんでしたが、関羽は地団駄踏んで口惜しがり、
「おいっ、お前が城の守備と決まった時、お前は何と言った?兄上はお前に何を言いつけられたっ!?
今、城は取られ、姉上は生け捕られ、それでどの面下げてここへやって来たのだっ!」
と、張飛に怒鳴りつけました。
張飛は穴があったら入りたい心地で聞いていましたが、突然剣を抜いたかと思うと、自分の首に当てて自害しようとします。
そら関羽も怒るよ。てか劉備も怒れよ(笑)
まだ袁術さんとの戦いも終わってないんだよね。
うん。それに劉備と呂布が敵対して、曹操の思う壺だな。
そうですね。そして「張飛の生命はいかになりましょうや」というところで、『三国志演義』の第14回が終わります。
まあ、張飛の自害はないだろうけど、袁術と呂布の2人を敵に回して大変だな…。
曹操の計略により、袁術と戦うはめになった劉備は、寡兵(少ない兵)ながら互角の戦いを進めていました。
ですが、後の守りに残した張飛の失態により、呂布に徐州を奪われてしまいます。
これにより劉備は帰る場所を失い、前面には袁術、後方には呂布の2人を敵に回すことになってしまいました。
次回も、徐州を奪った呂布と、劉備、袁術の戦いが続きます。