張済の力を借りて李傕と郭汜を和解させた献帝は、長安を出て洛陽に向かいますが…。
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目次
献帝が華陰県に入る
画像出典:ChinaStyle.jp
前回は、献帝さんが長安を出て洛陽に向かったところまででしたよね。
うん、でもやっぱり納得がいかない郭汜が追って来たねっ!
そうですね。今回は追って来た郭汜にどう対処するのか?というところから始まります。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における「献帝の東遷」については、こちらをご覧ください。
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楊奉軍の登場
では、今回のお話を始めましょう。
天子(献帝)の御車が華陰県に差しかかった時のこと。その背後から鬨の声が湧き起こり、「その車待てっ!」と、天子(献帝)の一行を呼び止めました。
献帝の進路
献帝は涙を流しながら、
「狼の巣をやっと出たかと思えば、また虎の口じゃ、どうしたものであろう?」
と大臣たちに尋ねましたが、大臣たちはみな、ただただ青くなるばかりで答える者はいませんでした。
そんな時、太鼓の音が1つ鳴り響くと、山の後ろから1人の大将が現れます。
そして、その真っ先に立てられた大きな旗には「大漢楊奉」の4文字が記され、千人余りの軍勢を率いて攻め寄せて来ました。
これは李傕に敗れた後、終南山の麓に陣取っていた楊奉が、献帝の御車が通ると聞いて、わざわざこれを守護しに来たのです。
楊奉さんって、李傕さんへの反乱に失敗した人ですねっ!
そうそう。自分たちに褒美がないからって反乱を起こした奴ねっ!
確かに、タカオくんの言う通りですけどね…。
徐晃の武勇
突然現れた楊奉軍は、郭汜の軍と戦闘になります。
両軍がそれぞれその場に陣形を整えると、郭汜の大将・崔勇が進み出て、楊奉を「裏切り者っ!」と罵りました。
これに腹を立てた楊奉が、
「公明はどこにおるっ!」
と、陣中を見回して呼ばわると、大斧を手にした1人の大将が栗毛の馬を躍らせて崔勇に挑みかかり、2頭の馬が馳せ違うや否や、たったの1合で崔勇を斬って落としてしまいました。
この勢いに乗って楊奉軍が襲いかかると、郭汜の軍は大敗して20里(約8.6km)あまり退却します。
「そなたは朕(私)の危ういところを助けてくれた。大きな手柄である」
郭汜軍を退けた楊奉に献帝がこう声をかけると、楊奉は頭を地面につけてお礼を申し述べました。
そして献帝がまた、
「先程賊の大将を斬り捨てたのは何者だ?」
と問われたので、
「これは河東郡・楊県の者で、姓は徐、名は晃、字は公明と申します」
と楊奉がその大将を紹介すると、献帝は徐晃の労をねぎらいました。
その後、楊奉が護衛して華陰県に到着すると、将軍の段煨が出迎えて衣服や食事を献上し、その夜、献帝は楊奉の陣屋に泊まることになります。
おぉ〜っ、徐晃っ!こんなところに…。
また有名なの?強いもんねっ!
後に曹操に仕える名将だよっ!
そういう事は言わない方が…。でもこれで献帝さんも一安心ですねっ!
そうですねっ!
外戚・董承
ですが次の日、また郭汜が攻め寄せて来ます。
懲りない奴だな、こっちには徐晃がいるんだよっ!
これに真っ先に徐晃が出撃しますが、郭汜の大軍は八方から陣に迫り、献帝と楊奉を取り囲んでしまいます。
この思いがけない郭汜軍の動きで献帝の身に危機が迫った時、突然東南の方角から鬨の声が湧き起こり、1人の大将が軍を率いて攻め寄せて来ました。
これに驚いた郭汜軍は先を争って逃げ始めたので、徐晃はその勢いに乗って攻撃し、これを散々に撃ち破ります。
突然現れた大将は、外戚の董承でした。
そして、拝謁にやってきた董承は、涙を流してこれまでの話を打ち明ける献帝に、
「陛下、ご心配なされますな、私が楊将軍(楊奉)と共に、必ず2人の逆賊(李傕と郭汜)を打ち殺して天下を安らかにいたしましょう」
と言い、一行は夜通し先を急いで弘農郡に向かいました。
献帝の進路
外戚って何でしたっけ?
皇后や皇太后の親族のことだよ。
なるほど。じゃあ、亡くなった董太后さんの親戚ってことかな?
諸説ありますが、ここではそう思っていても問題ないでしょう。
献帝さんには、まだまだ味方がたくさんいるんですねっ!
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李傕・郭汜の追撃
画像出典:ChinaStyle.jp
李傕と郭汜が再び手を組む
さて、敗北した郭汜はと言うと…。
郭汜が敗軍を率いて帰って来ると、そこで李傕と出くわしました。
そこで郭汜は、
「楊奉と董承が天子(献帝)を救い出して弘農郡まで行ってしまった。
もし山東(東中国)に出て落ち着き場所ができたら、きっと諸侯どもに我々を征伐するように布告するだろう。
そうなれば、我々の一族の身も危うくなるぞ」
と言うと李傕は、
「今、張済の兵が長安を根城にしているから、あそこにはうっかり手をつけられない。
それなら、この隙に手勢を一緒に合わせて弘農郡に攻め込み、漢の天子(献帝)をぶち殺して、2人で天下を分け取るというのはどうだ?」
と言ったので、郭汜は喜んで承諾し、2人は兵を合わせて略奪しながら献帝を追ったので、彼らが通ったあとには何一つ残りませんでした。
李傕は今まで何してたんだ?
この2人が手を組んだら、厄介だよぉ〜っ!
確かに…。
そうですね。この時の李傕の動きは『三国志演義』では詳しく記されていません。
元白波賊に助けを求める
さて、李傕と郭汜が追って来たことを知った献帝側のお話です。
献帝の一行が東澗に差しかかった頃、李傕と郭汜が追って来たことを知った楊奉と董承は、兵を率いて御車の後方に移動して敵の襲来に備えました。
一方李傕と郭汜は「こちらは多勢、敵は小勢だ」と、李傕は左、郭汜は右に分かれて、山野を埋め尽くす勢いで押し寄せて来ます。
楊奉と董承は左右両側で死に物狂いで戦って、やっとの思いで天子(献帝)と皇后の御車を救い出しましたが、百官や女官たち、皇室に伝わる由緒ある品々やその他の調度品の類もすべて投げ捨ててしまいました。
そして、郭汜が兵を率いてそのまま弘農県の町に乱入して略奪を始めると、楊奉と董承は献帝を護衛して陝北に逃げますが、李傕と郭汜は手分けして追って来ます。
そこで楊奉と董承は、人を遣って李傕・郭汜と和睦を図る一方で、秘かに勅命を持たせて河東郡に使いを出して、元白波賊の首領・韓暹・李楽・胡才ら3手の軍勢に助けを求めました。
やっぱり全然敵わないや…。
元賊にまで助けを求めるのかよ。カオスだな(笑)
白波賊は、黄巾の乱の時に河東郡を中心に暴れ回っていた賊の集団のことです。
李傕・郭汜の追撃
さて、献帝の使者が元白波賊の首領のところに到着しました。
韓暹・李楽・胡才らは、献帝がこれまでの罪を赦し、官位まで賜ると聞いて、手勢を残らず引き連れて、喜び勇んで献帝の元にやって来ます。
そこで董承が3人を呼んで話し合うと、「協力して弘農郡を取り返そう」ということになりました。
この時 李傕と郭汜は、行く先々で老人や女・子供を殺して良民たちを駆り出して強壮な者を兵に加え、彼らを「決死隊」と呼んで一番前に押し出していました。
また、郭汜は部下に命じて衣服や色々な品物を捨てて置かせたので、李楽の軍が渭陽に到着すると、李楽の兵は先を争ってそれらを拾おうとして、その隊列はめちゃくちゃになってしまいます。
そこへ李傕・郭汜の両軍が四方から攻め立てたので李楽の軍は大敗し、楊奉・董承も支えきれず、献帝を守護して北に逃亡しました。
背後から賊軍が迫る中、李楽が献帝に言上します。
「もはや危険でございます。天子(献帝)様は、先に馬で落ち延びなされませ」
ですが献帝は、
「朕(私)は百官を見殺しにして行くわけにはゆかぬ」
と言うので、みな声を上げて泣きながら従い、胡才は乱軍の中で討ち死にしてしまいました。
やっぱり元賊だから、目の前の宝物に目が眩んじゃうんだ…。
さすが郭汜だな。賊の心理をよく分かってる(笑)
そうですね。この敗北で、ますます状況が悪くなってしまいました。
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献帝が洛陽に向かう
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献帝が黄河を渡る
さて、北に逃亡した献帝一行は、黄河の岸に行き当たります。
そこで李楽らが1艘の小船をみつけ、献帝と皇后は厳しい寒さの中、ようやく岸辺まで下り立ちましたが、その先は崖が高く切り立っていて船に乗り移ることができません。
そうこうしている間にも、追っ手は迫って来ます。
そこで楊奉が、
「馬の手綱を解いて結び合わせ、帝(献帝)の御腰にくくりつけ、船の中まで下ろそう」
と提案すると、国舅の伏徳は白い絹十数疋を差し出して、
「儂は乱軍の中でこの絹を拾ってきた。これをつないで下ろしましょう」
と言いました。
そこでまず、行軍校尉の尚弘が献帝と皇后を絹で包み、皆で協力して下ろしたので、ようやく船に乗ることができました。
岸辺にはまだ船に乗れない者たちが纜(船をつなぎとめる綱)につかまって先を争っていましたが、李楽は彼らを残らず川の中に斬り込み、献帝と皇后を向こう岸に渡すと、また船を返して残りの人々を渡します。
ですがこの時もまた、乗れない者たちが先を争ったので、手の指を切り落とされて、泣き叫ぶ声が天をふるわせました。
さすが元賊!やることが残酷だなぁ。
実は正史『三国志』では、追いすがる人たちの指を切り落としたのは董承なんです。
元賊だから、残酷な役回りをさせられちゃったんですね…。
ちなみに、国舅は「皇帝の母の家の父兄を指す言葉」ですが、伏徳は皇后の兄に当たります。
李楽と韓暹の暴走
さて、向こう岸に渡りきった時点で、献帝の側に残った者は十数人となっていました。
楊奉は1台の牛車を見つけ、やっとのことで司隷・河東郡・大陽県にたどり着きます。
ですが食べ物がなく、夕方になってとある瓦屋根の下に止まった時、献帝と皇后は百姓が捧げた粟飯を食べましたが、とても喉を通りませんでした。
次の日献帝は、
- 李楽を征北将軍
- 韓暹を征東将軍
に封じる詔を出します。
そしてこの時、離れ離れになっていた2人の大臣が献帝の元にたどり着きました。太尉の楊彪と太僕の韓融です。
そこでみな声を上げて再会を喜んでいると韓融は、
「李傕と郭汜は私を信用しておりますから、私は命をなげうって2人を説得し、戦を止めさせましょう」
と言って、2人の元に向かいました。
一方、李楽は献帝に「楊奉の陣屋にお入りになってしばらく休息される」ように申し上げましたが、楊彪が司隷・河東郡・安邑県に遷ってそこを都にするように勧めたので、献帝は安邑県に遷ることにします。
司隷・河東郡・安邑県
安邑県に着いてみると、そこは大きな屋敷などないところで、献帝と皇后は草木の乱れ茂った垣根のあばら屋に住み、献帝は大臣たちとこのあばら屋で政治の協議をすることになりました。
ですがしばらくすると、李楽らはだんだん専横を始め、百官らに少しでも気に入らないことがあると、献帝の御前でも構わず殴ったり罵るようになり、わざと濁った酒や粗末な食事を出して来ましたが、献帝はじっとこらえていました。
また李楽と韓暹は、連名で盗賊の仲間や巫女、奴隷など200名余りを推挙して、すべて校尉や御史などの官職につけたました。
お陰で官印を彫るのが間に合わなくなって、体裁も構わず、木片に錐で筋をつけただけのものを与えるような有り様でした。
おいおいおいおいおいっ、これじゃあ李傕と郭汜の時と同じだよっ!(笑)
本当、何のために逃げて来たのか分からないね…。
何しろ彼らは元が賊ですからね。
献帝が洛陽に向かう
さて、李傕と郭汜の方はと言うと…、
李傕と郭汜の元に向かった韓融が言葉を尽くして2人を説得したので、彼らもとうとう捕らえていた百官や女官たちを釈放します。
この年はひどい不作で、百姓たちは皆、棗や菜っ葉を食物にし、飢え死にした者たちの死体がそこかしこに放置されていましたが、献帝が安邑県に入ったことを知った河内太守の張楊は米や肉を、河東太守の王邑は絹の類を献上してきたので、献帝はそれらで飢えや寒さをしのぐことができました。
一方、董承と楊奉は先に洛陽の宮殿を修理させておき、
「洛陽は元々天子の都であった。安邑県のような手狭なところにいつまでもお引き留めしておくことはできない。やはり洛陽にお還しするのが当然だ」
と、献帝が洛陽にお帰りになることを希望しますが、李楽は、
「貴様らは天子(献帝)をお連れするが良い。俺はここにいる」
と言って、これに同意しませんでした。
そこで董承と楊奉は、天子(献帝)を守護して洛陽に向けて出発しますが、この時李楽はこっそり李傕・郭汜と手を組んで、一緒に天子(献帝)を手込めにしようと計画します。
ですが、この李楽の謀略を読んでいた董承・楊奉・韓暹らは、夜のうちに軍隊を整備して御車を守りつつ箕関に向かいました。
これに気づいた李楽は、李傕・郭汜の軍が到着するのを待たず、自ら手勢を率いて追撃します。
そして、箕山の麓で追いついた李楽は、
「止まれ止まれ、李傕・郭汜、ここにありっ!」
と叫びました。
そして、「漢の天子(献帝)はいかにしてこの災難を逃れるのでしょうか」というところで、『三国志演義』の第13回は終わりです。
お〜っ、また良いところで終わるねっ!
もう、誰が本当の味方か分からなくなってきたよ…。
本当ですねっ!
張済の力を借りて李傕と郭汜を和解させた献帝は、長安を出て洛陽に向かいますが、献帝を手元に置きたい郭汜の追撃を受けてしまいます。
そして献帝は、再び手を組んだ李傕・郭汜の追撃を受けながらも、楊奉・董承・韓暹・李楽・胡才らの助けを得て、なんとか司隷・河東郡・安邑県にたどり着きました。
ですが、董承らの勧めで洛陽を目指す献帝は、今度は増長した李楽の追撃を受けてしまうのでした。
次回は献帝の要請を受けた曹操が、ついに動きます。