三国時代[魏の景元3年(262年)]の司州が管轄する郡(領郡)と、それぞれの郡が管轄する県(領城)の詳細地図です。
後漢の末期の司隷校尉部(司隷)の地図はこちら
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目次
司州の領郡
司州(ししゅう)の領郡地図
司隷の領郡
領郡
河南尹、河内郡、河東郡、平陽郡、弘農郡の5郡。
州治所
河南尹・洛陽県
特記事項
- 魏の黄初元年(220年)、後漢の司隷校尉部(司隷)から京兆尹・左馮翊・右扶風の3郡を除いた地域が司州として設置されました。
- 魏の正始8年(247年)、河東郡が分割されて平陽郡が設置されました。
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司州各郡の領県
河南尹(かなんいん)
河南尹の場所
河南尹の領城地図
河南尹の領城
領城
洛陽県、河南県、梁県、滎陽県、
巻県、原武県、陽武県、中牟県、
開封県、菀陵県、平陰県、穀城県、
緱氏県、鞏県、成皋県(成睾県)、京県、
密県、新城県、匽師県、新鄭県、
平県、陸渾県、陽城県、陽翟県の24城。
郡治所
洛陽県
特記事項
- 魏の黄初元年(220年)、火徳である後漢が、火に勝つ水(さんずい)を避けて雒陽県と表記していたものを、洛陽県に戻しました。
- 平陰県が河陰県に改称されました。
- 弘農郡から陸渾県が編入されました。
- 豫州・潁川郡から陽城県と陽翟県が編入されました。
- 豫州・潁川郡・輪氏県が廃止されました。
河内郡(かだいぐん)
河内郡の場所
河内郡の領城地図
河内郡の領城
領城
懐県、河陽県、軹県、沁水県、
野王県、温県、州県、平皋県(平睾県)、
山陽邑、武徳県、獲嘉侯国、修武県、
共県、汲県、朝歌県、林慮県の16城。
郡治所
懐県
特記事項
- 波県が廃止されました。
- 蕩陰県が廃止されました。
河東郡(かとうぐん)
河東郡の場所
河東郡の領城地図
河東郡の領城
領城
安邑県、汾陰県、蒲阪県、大陽県、
解県、聞喜邑、河北県、猗氏県、
垣県(東垣県)、濩沢侯国、端氏県の11城。
郡治所
安邑県
特記事項
- 魏の正始8年(247年)、河東郡から汾水以北の10県を分離して平陽郡が設置されました。
平陽郡(へいようぐん)
平陽郡の場所
平陽郡の領城地図
平陽郡の領城
領城
平陽侯国、楊県、臨汾県、皮氏県、
絳邑県、永安県、襄陵県、北屈県、
蒲子県、狐讘県の10城。
郡治所
平陽侯国
特記事項
- 魏の正始8年(247年)、河東郡から汾水以北の10県を分離して平陽郡が設置されました。
- 蒲子県には匈奴南部都尉(匈奴南部帥)が置かれました。
- 狐讘県が新設されました。
弘農郡(こうのうぐん)
弘農郡の場所
弘農郡の領城地図
弘農郡の領城
領城
弘農県、陝県、黽池県(澠池県)、新安県、
宜陽県、盧氏県、湖県、華陰県の8城。
郡治所
弘農県
特記事項
- 陸渾県が河南尹に編入されました。
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司隷から司州移行の経緯が、よくわかった。