『三国志 Three Kingdoms』を観ていると、登場人物が怒りで血を吐いて倒れるシーンがよく見られます。途中から「まただっ!」と笑って観ていた人も多いのではないでしょうか?そんな吐血・憤死シーンをまとめてみました。
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目次
吐血シーンまとめ
袁紹(えんしょう)
第29話「夜、烏巣を襲う」①
記念すべき吐血した人物・第1号は、袁紹でした。
曹操に烏巣を強襲された袁紹は、自ら兵を率いて、空になっているであろう曹操軍の本陣に攻撃を仕掛けます。
ですが、これを読んでいた曹操は本陣に曹仁を残し、袁紹軍を罠を仕掛けた本陣に誘い込みました。
予期せぬ猛反撃を受けた袁紹は慌てて自軍の本陣に撤退しようとしますが、逆に空になった袁紹軍の本陣が、曹操軍の攻撃に晒されているとの報告が届きます。
この報告を聞いた袁紹は「曹操めっ!貴様は不倶戴天の敵だっ!」と叫び、血を吐いて馬から転げ落ちました。
第29話「夜、烏巣を襲う」②
本拠地の冀州に撤退する袁紹の前に、曹操に寝返った許攸が現れました。
怒りに任せて突撃を命じた袁紹は伏兵により散々に打ち負かされ、半年前に出征した時には70万の大軍を擁していた袁紹軍も、わずか100人足らずとなってしまいます。
「もはやこれまでかっ! なにゆえ天は袁を助けてくれんのだっ!」
剣を抜いて自害しようとした袁紹は、血を吐いて気を失ってしまいました。
周瑜(しゅうゆ)
第41話「苦肉の策」
周瑜の初めての吐血は、矢傷を負う前のことでした。
曹操を破るには火攻めを用いることは決まりました。「苦肉の策」によって黄蓋を投降させる準備も整いました。
すべて順調に進んでいる…。
ですが小喬と長江を眺めていた周瑜は、今の季節の風は北西の風であり、火攻めを用いれば炎は味方の方へ燃え広がってしまうことに気づいてしまいます。
「これでは火攻めはできないっ!」そう思った周瑜は、大きな悲鳴をあげてその場に倒れ込みました。
第47話「智略で南郡を取る」①
曹操との「赤壁の戦い」に勝利した周瑜は、曹仁が守る南郡を攻めましたが、敵の計略にかかり、その身に猛毒の矢を受けてしまいます。
医者が言うには、この傷を治すには100日は安静が必要。その間、感情を高ぶらせれば、傷口が開いて症状が悪化してしまうとのことです。
矢傷を押して出陣した周瑜は、曹仁が罵る言葉に怒り、血を吐いて落馬してしまいました。
第47話「智略で南郡を取る」
曹仁の目の前で血を吐いて落馬した周瑜は、これを逆手に取り、自分は死んだことにして、曹仁の攻撃を誘います。
これを待ち伏せて曹仁を撃ち破った周瑜は、そのまま空になった南郡に攻め寄せますが、南郡はすでに劉備配下の趙雲に落とされていました。
南郡を巡っては、孔明と周瑜の間で「周瑜が南郡を取り損なった折には、劉備が取って良い」という約束が交わされており、趙雲は「周瑜が戦死した」と聞いたので城を取ったのだと言ったのです。
これを聞いた周瑜は、悔しさのあまり血を吐いて馬から転げ落ちました。
第47話「智略で南郡を取る」③
陣に戻って安静にしていた周瑜は、自分たちが曹仁と戦っている間に、孔明は南郡をはじめとする荊州の3つの城を、易々と手に入れていたことを聞きました。
これを聞いた周瑜は咳き込んで血を吐くと、
「この上もない恥辱…、この上もない恥辱だっ!仇を討たずして、この周瑜、死んでも死にきれぬわっ!諸葛孔明よ、いずれお主の身体を八つ裂き、切り刻んでくれようぞっ…」
と言い、必ずや20日以内に荊州を奪い返してみせようぞと、孫権に3万の増兵を求めました。
第51話「再び荊州を求める」
巴陵に駐屯していた周瑜は、孔明が書いた書物を読んでいました。この時不意に咳き込んだ周瑜は、書物に血がついていることに気づきます。
この時すでに周瑜の病状は、感情を荒立てなくても血を吐くほどに悪化していました。
第56話「再び周瑜を怒らせる」①
劉備から荊州を取り返すため、周瑜は「劉備と孫権の妹・孫小妹(孫尚香)との結婚を口実に、劉備を呉に招いて人質に取る」計略を立てました。
ですが、単なる口実に過ぎなかった結婚は現実のものとなり、劉備は呉を脱出しようとしています。周瑜は劉備を逃がさぬよう、先回りをして河岸で待ち受けました。
そして、ついに劉備を追い詰めたと思ったその時、横合いから黄忠と魏延の部隊が現れます。
またも孔明に邪魔をされた周瑜は、怒り心頭に発っして血を吐きながら攻撃を命じましたが、黄忠・魏延の一斉射撃を受け、劉備の捕縛を断念しました。
第56話「再び周瑜を怒らせる」②
黄忠・魏延に助けられた劉備は、用意した船に乗り込みます。
「周郎の妙計天下を安んず、妻を失いまた兵を挫く」
逃げ去っていく船から届くこの言葉を聞いた周瑜は、再度血を吐いて気を失ってしまいました。
第56話「再び周瑜を怒らせる」③
「周郎の妙計天下を安んず、妻を失いまた兵を挫く…」
屋敷に戻っても怒りが収まらない周瑜は、また血を吐きました。
「厳重に包囲したが、劉備は網をかいくぐり逃げたっ!挙げ句諸葛亮のあの言葉。人をからかいおって…。狡猾で忌々しい奴めっ!」
そう言った周瑜ですが、
「(孔明は)私を怒らせようと煽っているのだ。姑息な手段で怒りの火に油を注ぎ、挙げ句は私の命を奪う気だ…。よかろうっ!怒りはせぬっ!」
と、怒りを静めました。
関羽(かんう)
第72話「麦城に敗走す」
劉備に荊州を任されていた関羽が曹操軍の樊城を攻めると、孫権配下の呂蒙が空になった荊州に攻め入り、荊州を奪ってしまいます。
退路を断たれた関羽は、やむなく樊城攻略を諦めて撤退しますが、馬良ともはぐれ、兵も千人足らずに減ってしまいました。
「私の油断で荊州を失った。一敗地に塗れる…」
関羽がそうつぶやいた時、前方から廖化の兵が現れます。
「劉封どのと孟達どのに援軍を求めたものの、杯の水で馬車一杯の薪の火を消すも同然と、断られましたっ!」
この報告を聞いた関羽は、腕に受けた傷口から血をにじませ、血を吐いて落馬してしまいました。
劉備(りゅうび)
第82話「陸遜、連営を焼く」
関羽の仇討ちのため呉に攻め入った劉備は、陸遜の火計に大敗し、白帝城に逃げ込みました。
そこへ、呉の使者として孔明の兄・諸葛瑾がやって来ます。
「呉王(孫権)はおっしゃっております。夷陵で呉が勝利したは、思いもよらぬ幸運。是非とも陛下にお詫びしたいと。呉王は望まれておいでです。陛下が遺恨を消し去られ、再び呉と連盟し、魏に対抗されんことを」
これを聞いた劉備は、怒りのため血を吐いて、「朕を侮辱しに参ったのかっ!」と言うと、そのまま気を失ってしまいました。
王朗(おうろう)
第85話「罵って王朗を殺す」
曹真の軍師として孔明の北伐軍と対峙した王朗は、陣頭に進み出て孔明に舌戦を挑みました。
ですが、孔明に完膚なきまでに論破された王朗は、血を吐いてそのまま亡くなってしまいました。
曹真(そうしん)
第90話「曹真、敵を軽んじる」
司馬懿の敗北により曹真が大都督に返り咲くと、なぜか蜀軍は撤退を開始。これまで蜀軍に奪われた城を取り返した曹真は、嬉々として陳倉城に入ります。
ですがこれは、低地にある陳倉城は長雨で水に浸かり、武器や鎧、兵糧などが使い物にならなくなってしまうことを見越した孔明の計略でした。
ろくに反撃もできぬまま敗北した曹真は、蜀軍の鎧を着て逃げる始末です。
そこへ援軍に駆けつけた司馬懿が、
「おやおや、賊兵かと思えば大都督でありましたか?」
と曹真を嘲ると、曹真は血を吐いて憤死してしまいました。
諸葛亮(しょかつりょう)
第94話「星落ち、五丈原に逝く」
孔明は司馬懿を上方谷に誘い込み、谷口を封鎖して火計を仕掛けることに成功します。
司馬懿自身も観念し、自害しようと首に剣を当てたその時、雨の雫が落ちたかと思うと、その雨はすぐに土砂降りに変わりました。
「祁山はここ9ヶ月、まるで雨が降らなかったと申すのに、今日に限って何故かような土砂降りになるのだっ!私は見放されたっ!」
そう叫ぶと孔明は、血を吐いてその場に倒れ込みました。
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憤死シーンまとめ
袁紹(えんしょう)
第30話「曹操、河北を平らぐ」
憤死した人物・第1号も袁紹です。
映像はなく、「袁紹は憤りの中、吐血し急死」というナレ死でした。
王朗(おうろう)
第85話「罵って王朗を殺す」
憤死と言えばこの人っ!
孔明に舌戦を挑んだ王朗は完膚なきまでに論破され、血を吐いてそのまま亡くなってしまいました。
曹真(そうしん)
第90話「曹真、敵を軽んじる」
孔明の計略に敗れ陳倉城を奪われた曹真は、敵の目を眩ますため蜀軍の鎧を着て逃げ出しました。
観念した曹真が息子の曹爽に自分を斬れと命じたその時、陰平から援軍に駆けつけた司馬懿が追いつきます。
司馬懿は曹真の隣に腰を下ろし、
「おやおや、賊兵かと思えば大都督でありましたか?」
と言って曹真の首根っこをポンと叩くと、曹真は屈辱から血を噴いて憤死してしまいました。
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吐血・憤死した人物一覧表
吐血・憤死した人物一覧表
人物 | 吐血 | 死因 | |
---|---|---|---|
1 | 袁紹 | 2回 | 憤死 |
2 | 周瑜 | 8回 | 病死 |
3 | 関羽 | 1回 | 討死 |
4 | 劉備 | 1回 | 病死 |
5 | 王朗 | 1回 | 憤死 |
6 | 曹真 | 1回 | 憤死 |
7 | 諸葛亮 | 1回 | 病死 |
『三国志 Three Kingdoms』を観ていると、しょっちゅう誰かが吐血していたような感覚がありましたが、全話を通して7名と、意外と少なかったですね。
憤死した人物は、袁紹・王朗・曹真の3名。
周瑜は最期に「孔明に対する恨み言」を言って亡くなりますが、孫権らに看取られながら寝台の上で静かに亡くなっています。
孔明に対する憤り・怒りが直接の引き金とはなっていないので、病死としました。
中国における怒り表現
方小贇氏の論文「日本語と中国語における怒りの表現について」によると、
日本語では「血が起こる → 血が上る → 頭に血が上る」というように血圧の上昇によって怒りの程度がますます強くなることを示唆している。
中国語では「气血上涌 → 气得脸上充血 → 气得脑门冲血 → 气的吐血」のように「血が上る → 顔には血が充満する → 頭に血が上る → 血を吐くほど怒る」となる。
この例から分かるように、日本語の怒りの連鎖より、中国語の「血を吐くほど怒る」の方が印象的である。
日本人はせいぜい頭に血が上るほどにしか怒らなくて、中国人ほど「血を吐く」ように怒りを外に表さないように感じられる。
とあります。
私たちが、怒った時に「血を吐く」ことや「憤死すること」に違和感(面白さ)を感じるのは、このような文化的背景があるようです。
吐血シーン思わず笑ってしまいました。
あと関羽も吐血しませんでしたっけ?
コメントありがとうございます。
吐血シーンって、なんだか笑ってしまいますよねっ!
関羽の吐血シーンはなかったように思いますが、記事を書くために一気に観返したので、見落としてしまったかもしれません。
心当たりがありましたら、どの辺りだったか教えてください。追記します。
72話くらいだったと思います。
荊州を失い、徐晃に敗れ敗走中、劉邦と孟達に援軍を拒否されたという知らせを聞くと、傷口から出血しさらに吐血し落馬したと思います。髪と髭が白くなり一気に老けるところも突っ込みどころですが。
ありがとうございます!
追記しました。