大人気中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』の「名言集」の第20弾です。
今回は第81話〜第83話。「夷城の戦いで劉備が大敗するところから劉備の死まで」の内容からピックアップしています。
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目次
第6部 天下三分(第81話〜第83話より)
第81話「夷陵の戦い」
名言No.328
それでも張翼徳の息子なのかっ!我が甥ではないのかっ!?
劉備軍が猇亭山に到達すると、呉軍はこれまでと違って頑強な抵抗をみせ、5日経っても陣営を落とせずにいました。
「ならば兵をさらに2万増やせば、3日以内に落とせるか?」
と問う劉備に、張苞が答えます。
「陛下、兵士は疲れているうえ敵の軍営は攻めにくく、地勢的に有利です。力は尽くしますが、勝てるかどうか…」
この言葉を聞いた劉備は、
「それでも張翼徳の息子なのかっ!我が甥ではないのかっ!?そなたに勝つ自信がないのなら、さよう申せ!別の者に任せるっ!」
と、張苞を激しく叱責しました。
名言No.329
この陸遜の軍には指揮官はあっても、皇帝の親族はおらぬ。
「(主君の)義理の弟だ!陸遜!私に手出しなどできまいっ!」と言う傳駿に、陸遜が言った言葉。
正攻法に失敗した劉備は、罵声を浴びせて敵を陣営から誘い出し、各個撃破する作戦に変更しました。これに気づいていた陸遜は、「大都督の命なくして何人も出陣できぬ。逆らえば軍法にて裁く」と、諸将に厳命します。
ですが、孫権の妻の弟・傳駿は怒りに任せて出撃し、4つの陣営を失ってしまいました。
「命を下す。傳駿を死罪に処す」
ちょうどこの時、孫権が軍の慰労に来たことが伝えられましたが、陸遜は構わず傳駿を処刑しました。
名言No.330
この陸遜、お礼に炎をお捧げします。天地が裂けんばかりの勝利の炎をっ!
自分を信任してくれた孫権に陸遜が言った言葉。
軍の慰労に来た孫権は、「5倍の敵軍を相手に、ここまでよく戦ってくれた」と、みなに褒美を与えましたが、陸遜は「自分は受け取るべきではありません」と言って、孫権に傳駿を処刑したことを報告しました。
すると孫権は、
「伯言、褒美はいらぬと申したな。よかろう、ならば別のものを与えるっ!」
と言って、大量の書簡を運ばせます。
「伯言、これは朝廷への上奏文。老臣らがそなたを、大都督から外せときかぬのだ!これをそなたへの褒美とするっ!」
そう言うと孫権は、それらの書簡に燭台の火を落とし、すべて燃やしてしまいました。
名言No.331
劉備と70万もの精鋭たちが、跡形もなく消えるっ!
劉備軍の中には、慣れない風土と酷暑のため、疫病が流行していました。
これに馬良は、交代で全軍を秭帰城に戻して兵士らを休ませ、秋になってから出陣させるように進言します。
ですが劉備は「今この場を退けば、士気が損なわれる」と兵を退かず、酷暑を避けるため全軍を山林の茂みに移しました。
この報告を受けた陸遜は、
「私が言う30万の大軍とは、この酷暑と疫病と、山の風土を指したのだっ!」
と言い、山林の茂みに避難した劉備軍を、火計で焼き尽くすことを伝えました。
名言No.332
陛下の負けは決まった…。我が気概も潰えてしまった…。
馬良が届けた戦場の図面を見た孔明が言った言葉。
劉備軍に火計の危機が迫っていることに気づいた孔明は、馬良が戻った時、劉備軍がすでに呉軍に破られていたら、白帝城に避難するように伝えました。
名言No.333
私の一番の苦痛は、陛下に責められたことではなく、陛下にずっと警戒されていることなのだ。
劉備が山林の茂みに軍を移したことは、司馬懿の耳にも入っていました。
このままでは呉が蜀を破り、成都に軍を進めるだろう。そう思った司馬懿は、曹丕に20万の軍を求め、陸遜の退路を断つことを願い出ます。
ですが曹丕はこれを認めず、司馬懿を自分の側に留めて、曹仁・曹休・曹真ら曹氏一族に兵を預けました。
屋敷に帰った司馬懿が司馬昭に言ったのがこの言葉です。
第82話「陸遜、連営を焼く」
名言No.334
螳螂、蝉を窺い、黄雀後ろに在り。孔明からの警告だ。
孔明が置かせた碁笥(碁石を入れる容器)の中身を見た陸遜が言った言葉。
陸遜の火計は見事に成功し、劉備軍は一敗地に塗れました。
劉備を追撃する陸遜は、孔明が時間稼ぎのために魚腹浦に仕掛けた「八卦の陣」も難なく見破ります。
するとそこへ、「積み上げられた石の上にこれが…」と、兵士が碁笥を差し出しました。中にはカマキリと蝉の死骸が入っています。
螳螂、蝉を窺い、黄雀後ろに在り。
つまり「蝉を狙う螳螂(カマキリ)は、自分が雀に狙われていることに気づいていない」という孔明からの警告でした。
名言No.335
他でもない、大都督でありますぞ(笑)
曹仁を防ぐ将軍を聞かれた諸葛瑾が、陸遜に答えた言葉。
孔明の警告通り、曹丕は大将軍・曹仁の10万の兵を濡須に、左将軍・曹休の5万の兵を洞口に、右将軍・曹真の5万の兵を南郡に出陣させていました。
孫権はすでに、呂範に曹休を、朱桓に曹真を防ぎに行かせて勝利したことを、陸遜に話して聞かせます。
「さすがです。ところで残る曹仁を防ぐ将軍は?」
と陸遜に問われた孫権は、笑って答えません。そこで代わりに諸葛瑾が答えました。
「他でもない、大都督でありますぞ(笑)」
陸遜は滅多に見られないきょとん顔を見せます。
実は曹仁に対しては、荊州の各城に陸遜の旗を立てて固く守らせただけだったのです。
曹仁が警戒して様子を窺っている間に曹休・曹真の敗北の知らせが届き、曹仁は撤退しました。
名言No.336
考えておられるのですか? 孫劉連盟の復活を!
「如何にして強大となった魏に向かうべきか」と問うた孫権に、陸遜が言った言葉。
この夷陵の戦いで、呉・蜀は互いに消耗し、魏は力を蓄えていました。
孫権は強大な存在となった魏に対抗するため、諸葛瑾を白帝城に行かせ、戦利品として得た蜀軍の兵馬・輜重を返還し、孫劉連盟を復活させました。
第83話「白帝城に孤を託す」
名言No.337
歴代の呉の大都督で主君を脅かした功労者に、長命の者はおりませぬ。
諸葛瑾との別れ際に、孔明が陸遜に宛てて言付けた言葉。
孔明は兄・諸葛瑾との別れ際、
「陸遜には自重を心得、私を敵と見なさず、満ちあふれた才能を国や民のために活かし、魏に立ち向かうようお伝えを。歴代の呉の大都督で主君を脅かした功労者に、長命の者はおりませぬ」
と、諸葛瑾に言付けます。
すると諸葛瑾は、
「そなたこそ、主君を脅かす功労者だ」
と言いました。
名言No.338
そなたが取って代わり、帝位を嗣ぎて蜀を治めるのだ…。
死期を悟った劉備が孔明に遺した言葉。
いよいよ自分の死期を悟った劉備は、孔明と劉禅(阿斗)を呼んで言いました。
「我が息子・阿斗の補佐役が望みとあらば補佐をして欲しい。なれど、大業を成す器にあらずと見極めし時は、そなたが取って代わり、帝位を嗣ぎて蜀を治めるのだ」
これに孔明は、
「陛下のご恩に報いるべく、この身を粉にして忠節を貫きます。それを違えるのは、我が命尽きる時のみっ!」
と答えました。
すると劉備は、
「阿斗よ、先生に額ずけ。本日より、孔明先生を父と仰ぎ仕えよ。君主のごとく、父のごとく思うのだ」
と言って劉禅を孔明に拝礼させました。
名言No.339
幼常の言葉はまことに大仰、大事を任せられぬであろう。
劉備が馬謖を評して孔明に言った言葉。
劉備はまた、馬謖を重用する孔明に対して、
「幼常は多くの兵法書を読んでおる。だがその言葉はまことに大仰(大袈裟)、大事を任せられぬであろう」
と警告しました。
名言No.340
この洞簫の音で、小妹を送ろう。
孫小妹(孫尚香)の墓の前で、孫権が言った言葉。
劉備の妻・孫小妹は、夷陵の戦いで劉備が大敗した後 何も口にしなくなり、そのまま病になって亡くなってしまいます。
孫権は孫小妹が好きだった洞簫(縦笛)を吹き、彼女の魂を送り出しました。
この笛は、甘露寺で劉備の命を救った笛でもあります。
劉備が亡くなったのは4月24日。孫小妹が亡くなったのは、その1日後の4月25日でした。
名言No.341
そなたは朕の側で謀を巡らし、朕に勝利をもたらすのだっ!
大都督に名乗り出た司馬懿に、曹丕が言った言葉。
劉備が死んだことを知った司馬懿は、
- 鮮卑の軻比能に賄賂を贈り、精鋭10万に西平関を攻撃させる
- 南蛮王・孟獲に恩賞を与え、蛮兵10万に益州を攻撃させる
- 降将・孟達に新城兵10万で漢中を攻撃させる
- 孫権に益州の山分けを約束し、10万の兵で川峡を攻略し涪城を取らせる
- 智勇を備えた将軍を大都督として、10万の兵で陽平関を取る
という、5つの路から合計50万の大軍で同時に蜀に攻め込む作戦を立案します。
そして司馬懿は、自ら大都督となることを願い出ましたが、曹丕はこれを認めませんでした。
名言No.342
水面に浮かぶ魚は目に見えます。されどその下には、悪い魚が潜んでいるやも…。
4方面の敵への対応策を示した孔明が、劉禅に言った言葉。
4方面から敵が進軍する中、孔明は病と称して朝議に出席していませんでした。
心配した劉禅は、孔明の屋敷を訪ねます。
すると孔明は、4方面の敵を撃退する策を示した上で、こう言いました。
「陛下、魚を見ていました折、不安がよぎりました。水面に浮かぶ魚は目に見えます。されどその下には、悪い魚が潜んでいるやも…」
つまり孔明は、曹丕はまだ動いていない孫権にも、蜀に侵攻するように働きかけているはずだと考えていたのです。
孔明は、孫権への使者として馬謖を選びました。
続き
【スリキン】三国志 Three Kingdoms 名言集21(第84話〜第87話)
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画像引用元
中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』