大人気中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』の「名言集」の第15弾です。
今回は第63話〜第67話。「張松が許都に行くところから、劉備が益州を手に入れるまで」の内容からピックアップしています。
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目次
第5部 奸雄終命(第63話〜第67話より)
第63話「張松、辱めを受ける」
名言No.240
乱世において、覇者は賢主に勝るもの。
「曹操は国賊。何故漢室の末裔・劉備に献上せぬ!?」と言う法正に張松が言った言葉。
馬超を得た張魯は、劉璋が治める蜀を狙っていました。
ですが、暗愚な劉璋は蜀の危機にも拘わらず、対応を臣下に任せて自分は呑気に絵を描いています。
「他所から名君を迎えた方が、益州(蜀)のために良いのではないか?」と言う法正に、張松は蜀のすべてを書き入れた地図を見せ、「これがあれば、蜀の半分を手に入れたも同然だ」と言いました。
張松は、「曹操が治めれば、ここに暮らす民も永久に泰平を享受できる」と、地図を献上するため許都に出発しました。
名言No.241
民を労れ、開墾せよ、休戦せよ。
新しく手に入れた涼州への対応を問われた曹操が、程昱に言った言葉。
曹操は、「勝ちたければ、まずは自分の足元を固めることを忘れてはならぬ」と言って、この3つの命令を出しました。
名言No.242
劉璋さまにおかれましては、兵力に頼らず、仁をもって国を治めておられます。
「益州でこれ程多くの兵馬を見たことがあるか?」と曹操に問われた張松が答えて言った言葉。
益州(蜀)から朝貢にやって来た張松を、曹操は6日も待たせた挙げ句、わざと名前を間違えてみせ、寝転んだままぞんざいな対応をします。
これに怒った張松は曹操の前で悪態をつき、棒叩きの刑に処されました。
名言No.243
方略の変更とは、安易に行ってはならぬものだ。
「いっそ蜀と手を結び、漢中を攻められてはいかがでしょうか」と言う程昱に曹操が言った言葉。
漢中の張魯が蜀を狙っている。曹操は、張松が来たのは漢中の張魯を攻めるように頼みに来たのだと思いました。
ですが、現状では全力を傾けなければ漢中を落とすことはできず、漢中を攻めている隙に孫権や劉備の攻撃を受ければ、許都も危険に晒されます。
曹操は、「請け負うわけにいかぬが断れもせぬ。どうにもならぬゆえ、怒らせて追い返したのだ」と言いました。
ですがこれにより曹操は、蜀を手に入れる絶好の機会を失ってしまったのです。
第64話「張松、地図を献ず」
名言No.244
我が君、やはりお戻り下さい。奥方さまの機嫌を損ねませぬよう…。
張松が許都を出たことを知った劉備は、龐統・関羽・張飛を出迎えに出して、盛大な宴会を開いて張松をもてなします。
そして宴会も3日目になると、ずっと相手をされていない孫小妹(孫尚香)が、怒って2度も劉備を呼びつけてきました。
すると孔明は、大きくため息をついて、
「世話になっている相手には頭が上がらぬものです。荊州はしょせん呉からの借りもの。だからこそ奥方さまは、かくもお怒りになれるのです」
と、大げさに嘆いてみせました。
名言No.245
天よぉ~っ!何ゆえ我が蜀に賢君名主を与えてくださらぬのだっ!
益州(蜀)を取る気はないという劉備の言葉を聞いた張松が叫んだ言葉。
劉備の人となりに接した張松は、劉備こそ蜀を託すことができる君主だと、曹操に渡すはずだった「蜀の地図」を見せました。
ですが劉備は、その地図をそっとたたむと、「たとえ死に追いやられても、劉璋どのの益州は取りません」と言って出て行ってしまいます。
困惑する張松に、龐統は1つの策を授けました。
名言No.246
益州従事・王累、我が血を持ってお諫めいたすっ!
劉備を出迎えに行こうとする劉璋に、楡橋門の上から王累が言った言葉。
益州(蜀)に戻った張松は、劉備に対張魯の援軍を求めるよう、劉璋に進言しました。
使者となった法正は、これを機に劉備に益州を取るように勧めますが、劉備は承知せず、ただ張魯に対する援軍として益州に向かいます。
ですが益州では、李厳・黄権ら多くの臣下が劉備を危険視していました。
劉備を出迎えようと城を出た劉璋を止めるため、王累は自ら首を切って諫めましたが、劉璋を止めることはできませんでした。
第65話「江を遮り阿斗を奪う」
名言No.247
法正どの、その名と大違いだ。儂に悪事を働くようそそのかすとはなぁ!(笑)
劉備が出て行った後、事後報告を勧める法正に龐統が言った言葉。
劉璋が涪城で劉備を出迎えることを伝えた法正は、龐統とともに、この機に劉璋を殺すよう劉備に勧めました。
ですが劉備は「そなたらの考え、仁者が成すにあらず、覇者が成すにあらずだ!」と言って、怒って出て行ってしまいます。
「この機会を逃せば多くの血を流すことになる。仁義で身を立てられた我が君が、仁義で事を誤るとは…」
と嘆く龐統に、法正は言いました。
「私は客人ゆえ皇叔に背く訳にはゆかぬが、そなたは大権を掌握する身。動いてから報告すれば良い」
龐統は魏延を呼びました。
名言No.248
これは鴻門之会にあらず。ましてや私は楚の王でもない!
劉璋との宴会で剣舞を舞う将軍たちに劉備が言った言葉。
劉璋の出迎えを受けた劉備は、宴会を開いて劉璋をもてなしました。
「酒宴の余興に」と魏延が剣舞を舞い始めると、その舞に殺気を感じた劉璋の将・張任は、「剣舞たるもの、お相手が必要であろう」と魏延と剣を交えます。
すると両陣営から将軍たちが次々に剣舞に加わり、宴席はまるで戦場のような様相を見せはじめました。
「よさぬかっ!」剣舞をやめさせた劉備は、
「人我に背くとも我人に背かず!みなの主君に私が不義を働いたときには、誰でも私を殺すが良い」
と、益州(蜀)の将軍たちに誓いました。
名言No.249
母上の死に目に会いに行けぬのならば、ここで自害するまでっ!
江東に帰るのを止めようとする趙雲と張飛に、孫小妹(孫尚香)が言った言葉。
曹操は軍事行動を控え、劉備は益州で張魯と戦っている。
孫権にとって荊州を取る絶好の機会ですが、心配なのは劉備に嫁いだ孫小妹のことです。
孫権が潜り込ませた周善に、「呉国太が重い病にかかり、孫小妹に会いたがっている」と聞かされた孫小妹は、劉備の子・阿斗を連れ、急いで江東に向かいました。
これに気づいた孔明は、すぐに趙雲と張飛に後を追わせ、なんとか阿斗を取り返しましたが、孫小妹の意志だけは変えることができませんでした。
第66話「落鳳坡」
名言No.250
士元、この私が、蜀を取りたくないとでも…?
上・中・下の3つの策を提示して決断を迫る龐統に劉備が言った言葉。
孫小妹(孫尚香)が荊州を去ったことを知った劉備は、酒を浴びるように飲み、荒れていました。
「仁義を重んじたいと思いつつも、かたや蜀を攻め取り大業を成したいとも思っておる。なれど無理だ…。この2つは両立しえぬっ!!」
劉備の本音を聞いた龐統は言いました。
「我が君、私が2つを両立してみせましょう!我が君が蜀を攻略なさらぬのは、出陣の名分がないため。ご安心くだされ。この龐統が、名分ある出陣にしてみせまするぞっ!」
名言No.251
どうか我が君の馬をお貸しください。
雒城に向かう途中、龐統が劉備に言った言葉。
龐統は、益州(蜀)の内通者・張松への返書を、わざと張松の兄・張粛に届けさせました。
張松が劉備に内通していたことを知った劉璋は、劉備に張松の首を送り、張任に12万の兵を与えて葭萌関に出陣させます。
しかたなく劉備は、兵糧の乏しい葭萌関を捨て、雒城を取るため進軍を開始。
軍が小道に差し掛かった時、龐統は劉備の的盧を借りて、先頭に立つことを願い出ました。
名言No.252
落鳳坡だと?どうやら、ここは天が儂に与えた死に場所らしいなっ!
落鳳坡に差し掛かった龐統が笑って言った言葉。
的盧に乗って小道を進む龐統は、張任の伏兵に遭い、身体に無数の矢を浴びて命を落としてしまいます。
魏延が届けた龐統の血染めの書状には、こう書かれていました。
「我が君、張松を陥れたのはこの私。劉璋が我が君を攻めるよう仕向けんがためです。これで出陣の名分ができましょう。劉璋は恩を仇で返した。荊州軍が退く道に伏兵を置き、軍師を殺めたのです。これを理由に蜀を攻めれば、天下の者も納得するはず。ご自身も納得されましょう。前方は死の谷・落鳳坡。荊州に向かう道で、最も伏兵に適した地。天が私に与えた最高の墓場です」
龐統は、「劉備が蜀を攻める大義名分」をつくるため、あえて死地に赴いてその命を捧げたのでした。
名言No.253
悲しきかな…。数日の内に敗戦の知らせが届く。
天文を観た孔明が馬良に言った言葉。
数日後劉備から、龐統の戦死を知らせ、孔明を呼ぶ書状が届きます。
孔明は関羽に、「北は曹操を防ぎ、東は孫権と和す」ことを戒めて荊州を任せ、益州に向かいました。
第67話「劉備、益州を領す」
名言No.254
馬超がお気に召しましたか?
張飛と馬超の一騎打ちを見守る劉備に孔明が言った言葉。
劉備を敵に回した劉璋は、今度は張魯を頼り、20の県の割譲を約束して馬超に葭萌関を攻めさせました。
馬超と張飛の一騎打ちは夜になっても決着がつかず、劉備も馬超の武勇を賞賛します。
「それでは、私が策を弄して投降させてみましょう」
荊州から葭萌関に到着した孔明は、強欲な張魯の軍師・楊松を買収して馬超を孤立させ、劉備に帰順させました。
名言No.255
されど劉皇叔だけは恨めないのです。
劉備に降伏した劉璋が言った言葉。
劉備に帰順した馬超は、そのまま成都の城下に進軍して、劉璋に降伏を迫りました。
ただ1人残った黄権は、成都に残された3万の兵で戦うことを主張しましたが、劉璋は劉備に降伏してしまいます。
印綬の受け渡しの際、
「仁義は守りました。益州はやむを得ず取ったまでのこと。お恨みなさいますな」
と言った劉備に劉璋は、
「恨むのは天だ、恨むのは地だ、恨むのは己、されど劉皇叔だけは恨めないのです」
と言いました。
名言No.256
亡き龐統も、黄泉の国で喜んでおろう。
黄権を登用した劉備が、黄権に言った言葉。
成都に入った劉備の前に、最後まで劉璋につき従った黄権が引き出されてきます。
張松を斬ったのも、落鳳坡に伏兵を置いたのも、この黄権の指示でした。
「早く私の首を刎ねろっ!」と言う黄権に、劉備は龐統の遺書を見せます。
「私が死んだ後、主君は蜀を平定なさいましょう。蜀には才ある者があまたおります。どうか能力を見て人材を登用し、国を治めさせ、漢の復興の柱となさってください。とりわけあの黄権は、蜀随一の能臣です。くれぐれも私の死で、黄権を恨むことのなきように。忠臣は得難いもの、我が君が黄権を登用してくださらねば、私は浮かばれませぬ」
この遺書を読んだ黄権は、劉備に仕え、力の限り尽くすことを誓いました。
名言No.257
仁義には大きな仁と小さな仁、大きな義と小さな義がある。
法正の「刑罰の軽減化と法の簡略化」の案に賛成した孔明に、劉備が言った言葉。
孔明は、400年前、高祖(劉邦)が法を簡略化して大業を成したことにならい、我々も刑罰を緩め、民の期待に答えるのですと言いました。
ですが、劉備の考えは違いました。
劉備は、
「高祖が刑罰を緩めたのは、秦の始皇帝の暴虐な行いを万民が憎んでいたためで、今回の蜀とは事情が違う。これまでの蜀は、劉親子によって権威が軽んじられ、君臣の道も廃れていた。今の蜀に必要なのは、厳しい法と刑罰で功罪を厳正にすること。そして数年後、蜀が落ち着いたその時にこそ、法を簡略化し刑罰を緩めるのだ」
と言いました。
つまり、今刑罰を緩めるのは小さな仁義を拾うこと。我々は、目先の小さな仁義にとらわれず、もっと大きな仁義を施さねばならないと言ったのです。
名言No.258
関平よ、軍師の書状を50篇書き写し、荊州の文官武将に読ませるのだ。
孔明におだてられて喜んだ関羽が、関平に言った言葉。
関平は、蜀を平定した劉備が、関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超を五虎大将軍に任命したことを伝えました。
すると関羽は、帰順したばかりの馬超は五虎大将軍に相応しくないと、馬超との腕比べを所望する書状を送ります。
これを見た孔明は笑って一筆書くと、関平に持たせました。
「美髯公が命を受け、荊州を守る任は極めて重く、仮に蜀に入り荊州に失態あれば、これより重き罪なし。ご明察を願う」
関羽は孔明に「美髯公」と褒められたのがよほど嬉しかったのか、満足げにヒゲをナデナデしました。
続き
【スリキン】三国志 Three Kingdoms 名言集16(第68話〜第70話)
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画像引用元
中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』