後漢ごかん〜三国時代にかけての都尉といの職務・属官と、後漢ごかんしょくのそれぞれに設置された都尉といとその任官者を一覧表にしています。

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都尉

都尉とは

都尉といは、しん前漢ぜんかんにおいては各郡の軍事・警察を取り仕切る官職として設置されていました。

建武けんぶ6年(30年)8月、光武帝こうぶていは軍制改革の1つとして辺境の郡と一部の都尉といを除いて都尉といを廃止します。

以後、都尉といの職務は太守たいしゅに統合され、大規模なぞくが発生した際にのみ臨時に都尉といを設置して、ぞくが鎮圧されると解散されました。

後漢期の都尉

属国都尉ぞっこくとい

属国(辺境の異民族を居住させた郡)を統治します。

右扶風都尉ゆうふふうとい京兆虎牙都尉けいちょうこがとい

三輔さんぽ陵園りょうえんを守備します。

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中尉ちゅうい

王国(諸侯王しょこうおうに封建された国)に設置された、都尉といにあたる官職。

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奉車都尉ほうしゃとい

光禄勲こうろくくんに文属*1する都尉とい天子てんし(皇帝)の乗輿車じょうよしゃの管理をします。

駙馬都尉ふばとい

光禄勲こうろくくんに文属*1する都尉とい駙馬ふば天子てんし乗輿車じょうよしゃえる予備の馬)の管理をします。

騎都尉きとい

光禄勲こうろくくんに文属*1する都尉とい羽林うりんの騎兵を監督します。

脚注

*1 形式的にはある官職の属官とされていても、実質的には天子(皇帝)に直属していた官職のこと。

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典農都尉てんのうとい

大司農だいしのうに属する都尉とい屯田とんでんがある県に設置されます。

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都尉といは、基本的には「有事の際に臨時に設置され、軍をひきいてぞくを討伐する」武官ですが、平時から設置された都尉といは「守備隊・警備兵の隊長」といった位置づけになります。


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その他の都尉

軍の解体を進めた後漢ごかんでは、武官の数は最小限におさえられていましたが、後漢ごかん末期から三国時代にかけては常時戦争状態にあることから、多数の武官が新設されるようになりました。

その際、将軍しょうぐんだけでなく中郎将ちゅうろうしょう校尉こうい都尉といも数多く新設され、多くの人物が将軍しょうぐんに任命される過程で都尉といを経験しています。

後漢・三国時代の都尉一覧

以下は「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を参考に、都尉とい職掌しょくしょうと任官者を一覧表にしたものです。

詳細が不明の箇所は空白にしていますが、情報を見つけ次第随時追記します。

後漢ごかん

名称 備考






撫軍都尉ぶぐんとい 憲兵の指令官。
度支都尉たくしとい 憲兵の指令官。
司金都尉しきんとい 諸軍の兵田をつかさどる。韓暨かんき
積弩都尉せきどとい のち典弩都尉てんどといと改める。
典鎧都尉てんがいとい 積弩都尉せきどといに属す。
五品 将兵都尉しょうへいとい 常員なし。
忠義都尉ちゅうぎとい 王簡おうかん
六品 司塩都尉しえんとい 塩を産出する郡国に設置。属官は監丞かんじょう(八品)。
司竹都尉しちくとい 材木を産出する郡国に設置。属官は監丞かんじょう(八品)。
七品 度支都尉たくしとい 諸軍の兵田をつかさどる。

しょく

しょくでの官秩かんちつが不明のため、参考として品秩ひんちつを記載しています。

名称 備考
五品 将兵都尉しょうへいとい 常員なし。
不明 綏戎都尉すいじゅうとい  

での官秩かんちつが不明のため、参考として品秩ひんちつを記載しています。

名称 備考






校事都尉こうじとい 憲兵の指令官。
五品 将兵都尉しょうへいとい 常員なし。

不明

奉正都尉ほうせいとい 劉由りゅうゆう
仁義都尉じんぎとい
立信都尉りっしんとい 馮熙ふうき
建忠都尉けんちゅうとい 朱績しゅせき
興業都尉こうぎょうとい 周胤しゅういん
安民都尉あんみんとい 孫綽そんしゃく
奉禁都尉ほうきんとい
揚武都尉ようぶとい 董襲とうしゅう
建武都尉けんぶとい 陸凱りくがい
武衛都尉ぶえいとい 孫峻そんしゅん
平北都尉へいほくとい 呂蒙りょもう
破賊都尉はぞくとい 淩統りょうとう
承烈都尉しょうれつとい りょうとう
楼下都尉ろうかとい 米と酒の購入をつかさどる。何定かてい
察戦都尉さつせんとい 常員なし。
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