後漢〜三国時代にかけての中郎将の職務・属官と、後漢・魏・蜀・呉のそれぞれに設置された中郎将とその任官者を一覧表にしています。
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中郎将
光禄勲に属する中郎将
中郎将とは、九卿の1つである光禄勲に属し、郎官を率いて宮殿の門に宿衛する武官です。
平時は天子(皇帝)の宮殿を守備し、反乱が起こった際には、将軍に属してその鎮圧にあたりました。
光禄勲には、
- 五官中郎将
- 左中郎将
- 右中郎将
- 虎賁中郎将
- 羽林中郎将
の5人の中郎将が属しています。
さらに黄巾の乱の際には、
- 北中郎将
- 東中郎将
が新たに設置されて、大将軍・何進の下で、
- 北中郎将:盧植
- 左中郎将:皇甫嵩
- 右中郎将:朱儁
- 東中郎将:董卓(罷免された盧植の後任)
がその鎮圧に当たりました。
北中郎将については、次に解説する使匈奴中郎将の別称とする説もあります。
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匈奴中郎将
以下は『続漢書』百官志と「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を基に作成しています。【】内は【定員・官秩・品秩】、[]内はそれぞれの王朝での情報になります。
使匈奴中郎将
【1名・比二千石・四品】
[後漢=○・魏=○・蜀=×・呉=×]
幷州(并州)・西河郡・美稷県に駐屯し、主に南匈奴の単于を監視します。
また、使匈奴中郎将の他に護匈奴中郎将という官職もありますが、その違いについてははっきり分かっていません。
属官
従事
【2名・-・-】
[後漢=○・魏=○・蜀=×・呉=×]
有事の際には任務に応じて定員を増やします。
掾
任務に応じて定員を定めます。
中華を統一した後漢王朝にとっての脅威は、匈奴をはじめとする異民族の存在でした。
そのため後漢では、
- 南匈奴を監視する使匈奴中郎将
- 帰順した南匈奴の反乱に備える度遼将軍
- 烏桓・鮮卑を監視する護烏桓校尉
- 羌族を監視する護羌校尉
が常設されていました。
この他にも『晋書』には「漢は東夷校尉を設置して鮮卑を鎮撫した」とあります。
豆知識
延熹9年(166年)夏、鮮卑が南匈奴と烏桓を誘って長城の内部に侵攻してきました。
この時護匈奴中郎将に任命された張奐は、幽州・幷州(并州)・涼州および、度遼将軍・烏桓校尉の2営を監督し、刺史と太守の能力の有無を監察する権限を与えられました。
護匈奴中郎将の張奐が度遼将軍をも従えていますが、これは張奐がすでに度遼将軍や大司農を経験していたために与えられた、特別な権限になります。
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その他の中郎将
中郎将の新設
軍の解体を進めた後漢では、武官の数は最小限に抑えられていましたが、後漢末期から三国時代にかけては常時戦争状態にあることから、多数の武官が新設されるようになりました。
その際、将軍だけでなく中郎将や校尉、都尉も数多く新設され、多くの人物が将軍に任命される過程で中郎将を経験しています。
後漢・三国時代の中郎将一覧
以下は「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を参考に、中郎将の職掌と任官者を一覧表にしたものです。
詳細が不明の箇所は空白にしていますが、情報を見つけ次第随時追記します。
後漢・魏
以下の各中郎将の官秩・品秩はすべて比二千石・四品、赤字は後漢期に就任した人物です。
名称 | 備考 |
---|---|
平難中郎将 | 張燕 |
建義中郎将 | 袁紹が任命。陶升 |
撫軍中郎将 | 李傕が任命?李蒙 |
典農中郎将 | 曹操が設置。屯田を司り、大司農に属す。厳匡・任峻・趙儼・裴潜・徐邈 |
度支中郎将 | 曹操が設置。軍需物資の調達や輸送を司り、大司農に属す。趙儼 |
奉義中郎将 | 李基 |
平虜中郎将 | 李緒 |
典軍中郎将 | – |
武衛中郎将 | 宿営を司る。許褚。後に廃止。 |
司金中郎将 | 冶金(金属の精製)・農具・武器の製作を司る。王修 |
司律中郎将 | 楽律を司る。陳頏 |
率善中郎将 | 少数民族が任命される。難升米(倭国の使者)・掖邪狗(倭国の大夫) |
揚武中郎将 | 曹洪 |
振威中郎将 | 李通 |
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蜀
名称 | 備考 |
---|---|
掌軍中郎将 | 董和 |
督農中郎将 | 漢中郡に設置。屯田を司り、大司農に属す。 |
司金中郎将 | 冶金(金属の精製)・農具・武器の製作を司る。張裔 |
奉軍中郎将 | 劉循 |
軍議中郎将 | 射援 |
軍師中郎将 | 諸葛亮・龐統 |
翰林中郎将 | 諸葛瞻 |
副軍中郎将 | 劉封 |
篤信中郎将 | 丁咸 |
武略中郎将 | 杜祺・樊岐 |
昭武中郎将 | 胡済 |
綏南中郎将 | 張翼 |
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呉
名称 | 備考 |
---|---|
節度中郎将 | 孫権が設置。軍需物資の調達や輸送を司る。 |
征虜中郎将 | 呂範 |
都軍中郎将 | – |
輔軍中郎将 | 潘濬 |
撫軍中郎将 | 張昭 |
安軍中郎将 | 呂拠 |
昭武中郎将 | 孫承 |
建威中郎将 | 周瑜 |
蕩寇中郎将 | 程普 |
輔義中郎将 | 張温 |
立信中郎将 | 蘇建 |
司直中郎将 | 張俶 |
建忠中郎将 | 劉基・駱統 |
立節中郎将 | 陸抗 |
昭信中郎将 | 呂岱 |
昭義中郎将 | 孫静・顧承・吾粲 |
揚武中郎将 | 孫奐 |
定武中郎将 | 孫俊 |
奮武中郎将 | 芮玄 |
立武中郎将 | 歩騭 |
威武中郎将 | 賀斉 |
建武中郎将 | 胡綜 |
折衝中郎将 | 太史慈 |
威寇中郎将 | 孫河 |
安東中郎将 | 孫桓 |
征南中郎将 | 歩騭 |
横野中郎将 | 呂蒙 |
武鋒中郎将 | 黄蓋 |
討越中郎将 | 蒋欽 |
司市中郎将 | 陳声 |
綏南中郎将 | 士燮 |
こんにちは。分かりやすいので助かります。
官職とか、地方の仕組みとかさっぱりわかっていませんでした。
「大将軍」は、「大+将軍」のような構成だと感じました。
「将軍」という官職がもともと存在して、それに「大」を加えたというふうなものだと感じました。よろしいでしょうか。
「中郎将」ですが、「中」とはどういう意味なのでしょうか。「郎将」という肩書がもともとあったのだろうか、「大郎将」という肩書もあるのだろうか、と思ってしまいました。
コメントありがとうございます!
大将軍は、将軍職の最高位ということで「大+将軍」で間違いないと思います。
また、その他の将軍もただの「将軍」ではなく、「○○将軍」と頭に何かしらの名称がつきます。
参考:
【後漢・三国時代の武官1】将軍
中郎将は光禄勲に属し、郎官(中郎・侍郎・郎中)を率いて宮殿の門を護衛する官職です。
「将」には「率いる」の意味があるので、「中郎を率いる者」=「中郎将」だと思います。
参考:
【後漢・三国時代の官職09】光禄勲(こうろくくん)
現代の軍隊の「大将・中将・少将」のように、大・中・少で序列を表しているわけではないようです。