後漢・三国時代に設置された将軍の職務と、それぞれの将軍の属官についてまとめています。
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目次
『後漢書』百官志
『続漢書』百官志に記載されている将軍です。
属官に関しては「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を基に記載しています。
【】内は【定員・官秩・品秩】で、[]内はそれぞれの王朝での情報になります。
将軍とは
将軍とは、基本的には謀反(反乱)が起こった時に任命され、謀反(反乱)が平定されると解任される非常置の官職です。
大将軍(上公)
大将軍
【1名・上公・一品】
[後漢=○・魏=○・蜀=○・呉=○]
謀反(反乱)を征伐することを職務とする、将軍を統帥する最高司令官。
後漢では外戚の有力者が就任し、幼い天子(皇帝)を傀儡として権勢を振るうようになりました。
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驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍(比公)
驃騎将軍
【1名・公・二品】
[後漢=○・魏=○・蜀=○・呉=○]
大将軍に次ぐ第2位の将軍位。驃騎大将軍と呼称されることもあります。
属官
車騎将軍
【1名・公・二品】
[後漢=○・魏=○・蜀=○・呉=○]
大将軍、驃騎将軍に次ぐ第3位の将軍位(将軍号)。
外戚ではない一般官僚が就ける最高の将軍位で、死期が近くなった宦官が名誉職として任じられることもありました。
属官
衛将軍
【1名・公・二品】
[後漢=○・魏=○・蜀=○・呉=○]
大将軍、驃騎将軍、車騎将軍に次ぐ第4位の将軍位(将軍号)。
外戚ではない一般官僚が就ける最高の将軍位で、死期が近くなった宦官が名誉職として任じられることもありました。
属官
驃騎将軍・車騎将軍と同じ。
(驃騎将軍と車騎将軍の属官は微妙に異なりますが、詳細は不明です)
前後左右将軍(上卿)
前将軍
【1名・卿・三品】
[後漢=○・魏=○・蜀=○・呉=○]
大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍に次ぐ将軍位(将軍号)。
属官
『続漢書』百官志に記載されている将軍は以上ですが、後漢・三国時代には、もちろんこれら以外の将軍もありました。その他の将軍とその属官については以下にまとめます。
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三国官職表
以下は『続漢書』百官志には記載されていない将軍とその属官を「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を基にまとめたものです。
二品の将軍
○○大将軍
- 中軍大将軍(魏)
- 上軍大将軍(魏)
- 鎮軍大将軍(魏・呉・蜀)
- 撫軍大将軍(魏)
- 撫軍将軍(呉)
- 南中大将軍(魏)
- 輔国大将軍(魏)
非常置。詳細不明。
南中大将軍には呉の降将が任命されました。
四征将軍
方面軍指令官。四方を征伐するの意。
資質の高い者は大将軍になりました。
- 征東将軍(魏)
寿春に駐屯し、青州・兗州・徐州・揚州の刺史を統率します。
- 征南将軍(魏・蜀・呉)
魏では新野に駐屯し、荊州・豫州の刺史を統率します。
- 征西将軍(魏・呉)
魏では長安に駐屯し、雍州・涼州の刺史を統率します。 - 征北将軍(魏・蜀・呉)
魏では薊県に駐屯し、幽州・冀州・幷州の刺史を統率します。
四鎮将軍
四征将軍に次ぐ方面軍指令官。四方を鎮護(乱を鎮める)するの意。
資質の高い者は大将軍になります。
- 鎮東将軍(魏・蜀・呉)
- 鎮南将軍(魏・蜀・呉)
- 鎮西将軍(魏・蜀・呉)
- 鎮北将軍(魏・蜀・呉)
属官
以上の将軍の属官は驃騎将軍・車騎将軍とほぼ同じ。
(驃騎将軍と車騎将軍の属官は微妙に異なりますが、詳細は不明です)
三品の将軍
四安将軍
四征将軍・四鎮将軍に次ぐ方面軍指令官。四方を安定させるの意。
- 安東将軍(魏・呉)
- 安南将軍(魏・蜀・呉)
- 安西将軍(魏)
- 安北将軍(魏・呉)
四平将軍
四征将軍・四鎮将軍・四安将軍に次ぐ方面軍指令官。四方を平定するの意。
- 平東将軍(魏)
- 平南将軍(魏・呉)
- 平西将軍(魏・蜀・呉)
- 平北将軍(魏・蜀・呉)
前後左右将軍
後漢では大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍にに次ぐ将軍位。
- 前将軍(魏・蜀・呉)
- 後将軍(魏・蜀・呉)
- 左将軍(魏・蜀・呉)
- 右将軍(魏・蜀・呉)
目的別の将軍
主に異民族の討伐など、目的に応じて設置された将軍。
- 征蜀将軍(魏・蜀)
- 征虜将軍(魏・蜀・呉)
- 鎮軍将軍(魏・蜀・呉)
- 鎮護将軍(魏)
- 安衆将軍(魏)
- 安夷将軍(魏)
- 安遠将軍(魏・呉)
- 平寇将軍(魏)
- 平戎将軍(呉)
- 平虜将軍(魏・呉)
- 輔国将軍(魏・蜀・呉)
- 輔漢将軍(蜀)三公に次ぐ。非常置。
- 輔呉将軍(呉)三公に次ぐ。非常置。
- 都護将軍(魏)
- 虎牙将軍(魏・呉)
- 軽車将軍(魏)
- 冠車将軍(魏・呉)
- 度遼将軍(魏)
- 平狄将軍(魏)
- 平難将軍(魏)
三品の将軍の属官
雑号将軍
主に後漢末期から三国時代にかけて濫発された将軍。
四品の雑号将軍
- 中衛将軍(魏)
- 驍騎将軍(魏)
- 遊撃将軍(魏・呉)
- 左軍将軍(魏)
- 建威将軍(魏・呉)
- 建武将軍(魏・呉)
- 振威将軍(魏・蜀・呉)
- 振武将軍(魏)
- 奮威将軍(魏・蜀・呉)
- 奮武将軍(魏・呉)
- 揚威将軍(魏・蜀・呉)
- 揚武将軍(蜀)
- 広威将軍(呉)
- 広武将軍(魏)
- 寧朔将軍(魏・呉)
- 左積弩将軍(魏)
- 右積弩将軍(魏・呉)
- 積射将軍(魏)
- 強弩将軍(魏)
四品の将軍の属官
五品の雑号将軍
五品の将軍の属官
不明
偏裨将軍
偏将軍
軍の部隊長。
裨将軍
軍の部隊長。
五品の将軍の属官
属官不明。
後漢では軍と将軍の解体を進めたため将軍の種類も少なくなっていましたが、後漢末期から三国時代にかけて、多数の将軍が新設されるようになりました。
そのため、後漢〜三国時代を通じて任命された記録が1名しかみられない将軍もたくさんあります。
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尊公のサイト、正史を引っ張り出すのが億劫な時、よく拝見させて頂いております
細かい事ですし、解釈の違いにもよります1つ気になってメールいたしました
漢王朝において、前後左右の四方将軍は『比卿』となっておりましたが『上卿』ではないでしょうか?
ここで示される卿とは、当時の身分制概念における卿や士.大夫の意味合いでの事ではなく、
官職.職制における卿のランクの事を意味し、卿=九卿で比卿は九卿に比する儀礼.待遇や格式を有し、九卿に比する特権や職掌を司る事ができる…という事を意味するのではないでしょうか???
なので四方将軍は、
「漢官旧儀」では丞相.列侯.将軍(ここでは臨時雑号将軍では無く、職事官の四方将軍以上の官と解釈しました)は金印紫綬。二千石は銀印青綬
「百官公卿表」を見るに、
四方将軍は上卿で金印紫綬で二千石
九卿は銀印青綬で中二千石。
比二千石の官は全て銀印青綬。
とあり、秩禄では卿には一歩ゆずりますが、待遇格式や序列では四方将軍は卿=他の二千石レベルの官より上格の上卿とされています。
逆に曹魏では、李漢の忠武侯諸葛亮による第一次北伐.街亭の戦役の折り、壮侯張郃が左将軍の官に就いておきながら、特進を加官されています。
漢の時代の四方将軍は、開府(寺)権と同時に朝政参議権は有していましたが…
曹魏時代の四方将軍では、
左将軍である張郃は、列侯に対しての朝政参議権である特進の官を敢えて加官されており、この頃には既に、特進の加官がなければ朝政に参じ政策を議する権限は無く(比卿)では無くなっている事を伺えます。
なので、後漢では上卿。
曹魏では准卿?(この言葉が歴史用語に在るかどうかは解りませんが…)としたほうが、よいかもしれません
コメントありがとうございます。
どの史料を根拠に前後左右将軍を「比卿」としたのか失念してしまったのですが、私の方でも「百官公卿表」を確認させていただき、確かに「上卿」とありましたので「上卿」に修整しました。
お返事有りがたく拝見させて頂きました!
三公九卿制の印綬秩禄による官職制も漢の時代を細かく見ていけば違ってたりしますし、当時の参考文献の違いや現代の解説でも人によって違い、法解釈の違いによるところ大なので…
なんか釈迦に説法で申し訳なかったです。泣
後で気づいたのですが、書き込みではなく直接、問い合わせで伝えたらよかったなぁ~…と
恥ずかしいやら隠れたいやらで、笑
書き込みは消去してくだされ…汗
これから先も、ありがたく参考にさせて頂きます!
お問い合わせメールを拝見させていただきました。
返信したのですが、エラーで送れていなかったようですので、復旧でき次第返信させていただきます。