暴君化した董卓(とうたく)の誅殺(ちゅうさつ)を画策したことで知られる王允(おういん)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
「袁術」タグの記事一覧(14 / 22ページ目)
【029】残虐さを増す董卓と司徒・王允の秘策
打倒董卓(とうたく)を掲(かか)げて集結した十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)ですが、その目的を果たすことなく解散して、互いに争いを始めました。その頃、長安(ちょうあん)の董卓(とうたく)は…。
青州黄巾はなぜ曹操に降伏したのか。曹操と青州兵の関係とは
初平(しょへい)2年(191年)、青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)は冀州(きしゅう)・勃海郡(ぼっかいぐん)に侵攻して公孫瓚(こうそんさん)に撃ち破られましたが、捕虜となった一部の兵を除いて公孫瓚(こうそんさん)に降伏・・・
青州黄巾の兗州侵攻。兗州牧となった曹操と青州兵
初平(しょへい)3年(192年)4月に起こった青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)の兗州(えんしゅう)侵攻と、兗州牧(えんしゅうぼく)となった曹操(そうそう)が取り込んだ青州兵(せいしゅうへい)についてまとめています。