袁紹(えんしょう)が冀州(きしゅう)を手に入れると、曹操(そうそう)も拠(よ)って立つ地盤を手に入れたいと思うようになりました。 そんな時、兗州(えんしゅう)・東郡(とうぐん)に黒山賊が侵攻を開始します。
「後漢」の記事一覧(15 / 18ページ目)
韓馥が袁紹に冀州をゆずる。公孫瓚と袁紹に怯え続けた韓馥の末路
孫堅(そんけん)に敗れた董卓(とうたく)が長安(ちょうあん)に入った頃、反董卓(とうたく)連合の袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)の関係に変化が現れました。 確たる地盤を持たない袁紹(えんしょう)が、韓馥(かんふく)の・・・
董卓軍の敗因は呂布の裏切りだった!?陽人の戦いと孫堅の洛陽入り
191年2月、ついに孫堅(そんけん)が洛陽(らくよう)に向けて進軍を開始しました。反董卓(とうたく)連合の初勝利となった「陽人(ようじん)の戦い」から、孫堅(そんけん)が洛陽(らくよう)に入るまでをまとめています。
反董卓連合が劉虞を天子に推戴する。袁紹と袁術の間に生まれた亀裂
191年1月、袁紹(えんしょう)と韓馥(かんふく)は、幽州牧(ゆうしゅうぼく)・劉虞(りゅうぐ)に使者を送って天子に即位するように願いました。袁紹(えんしょう)による天子推戴(すいたい)の経緯とその影響について考えてみま・・・
董卓による五銖銭改鋳の真意とは?後漢の通貨と粗悪な董卓五銖の影響
長安(ちょうあん)に遷都(せんと)を強行した董卓(とうたく)は、従来の五銖銭(ごしゅせん)をつぶして新たに粗悪な小銭を鋳造(ちゅうぞう)しました。 董卓(とうたく)が五銖銭(ごしゅせん)を改鋳(かいちゅう)した理由と、粗・・・