建安(けんあん)元年(196年)9月、献帝(けんてい)を豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))・潁川郡(えいせんぐん)・許県(きょけん)に迎えた曹操(そうそう)の、袁紹(えんしょう)に対する対応とその他の人事についてまとめ・・・
「後漢」の記事一覧(10 / 18ページ目)
孫策の揚州・会稽郡侵攻。孫策が王朗を降伏させ、会稽太守となる
建安(けんあん)元年(196年)8月、揚州(ようしゅう)・呉郡(ごぐん)を平定して諸県を安定させた孫策(そんさく)は、次の目標を揚州(ようしゅう)・会稽郡(かいけいぐん)に定めました。この「孫策(そんさく)の会稽郡(かい・・・
曹操が献帝を豫州(予州)・潁川郡・許県に迎え入れる
豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))の汝南郡(じょなんぐん)と潁川郡(えいせんぐん)を平定した曹操(そうそう)が、潁川郡(えいせんぐん)の許県(きょけん)に献帝(けんてい)を迎え入れるまでをまとめています。
袁術の徐州侵攻と呂布の裏切り。劉備が徐州を失い呂布に投降する
建安(けんあん)元年(196年)6月、徐州(じょしゅう)に侵攻した袁術(えんじゅつ)と劉備(りゅうび)の戦いと呂布(りょふ)の裏切り(張飛(ちょうひ)と曹豹(そうほう)の諍(いさか)いによる下邳県(かひけん)の失陥)、呂・・・
献帝の洛陽入りと曹操の豫州(予州)侵攻
献帝(けんてい)が司隷(しれい)・河東郡(かとうぐん)・安邑県(あんゆうけん)から洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))に入るまでと、曹操(そうそう)の豫州(よしゅう)(予州(よしゅう))侵攻についてまとめています。
【鮑丘の戦い】鮮于輔らに敗れた公孫瓚が易京に立て籠もる
劉虞(りゅうぐ)を処刑して幽州(ゆうしゅう)の実権を握った公孫瓚(こうそんさん)を、鮮于輔(せんうほ)・麴義(きくぎ)(袁紹(えんしょう))らが破った「鮑丘(ほうきゅう)の戦い」についてまとめています。