董卓(とうたく)誅殺(ちゅうさつ)後の新政権発足と、董卓(とうたく)が信任した蔡邕(さいよう)の死についてまとめています。
「後漢」の記事一覧(14 / 18ページ目)
【袁紹 vs 公孫瓚】界橋の戦い。白馬義従を破った麹義の底力
河北(かほく)において絶大な影響力を持つ公孫瓚(こうそんさん)が再度冀州(きしゅう)に侵攻すると、袁紹(えんしょう)は自(みずか)ら兵を率(ひき)いて出陣し、両雄は清河国(せいがこく)と鉅鹿郡(きょろくぐん)の境界である・・・
孫堅が劉表に敗れた「襄陽の戦い」と朱儁の挙兵
袁術(えんじゅつ)と公孫瓚(こうそんさん)が手を組んで袁紹(えんしょう)と争うようになると、袁術(えんじゅつ)を敵視していた劉表(りゅうひょう)は共通の敵を持つ袁紹(えんしょう)と手を組みました。 袁術(えんじゅつ)は後・・・
なぜ袁紹と袁術は仲違いしたのか?袁紹と袁術の対立の原因とは?
191年冬、ついに袁紹(えんしょう)が袁術(えんじゅつ)に従っていた孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵出し、同じ袁氏(えんし)一族の間で戦いが起こりました。ではなぜ袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)は争うこ・・・
反董卓連合の崩壊。袁紹が孫堅を攻め、公孫瓚は河北に覇を唱える
袁術(えんじゅつ)が献帝(けんてい)の保護に動き出すと、袁紹(えんしょう)は袁術(えんじゅつ)派の孫堅(そんけん)が治める豫州(よしゅう)に侵攻を開始。袁氏(えんし)同士の確執はついに軍事衝突へと発展し、反董卓(とうたく・・・