総勢40万を超える黄巾賊の一部は北上し、幽州(ゆうしゅう)の境まで迫っていました。 中央の討伐軍の到着を待つ地方の太守(たいしゅ)たちは、黄巾賊に対してどのように対応していたのでしょうか。
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【002】権力を握った宦官と第一次党錮の禁
冲帝(ちゅうてい)・質帝(しつてい)・桓帝(かんてい)と3代に渡って後漢(ごかん)の政治を私物化していた外戚(がいせき)・梁冀(りょうき)を排除することに成功した、桓帝(かんてい)の時代を見ていきましょう。
【001】外戚・梁冀による朝廷の私物化
後漢(ごかん)の支配力が衰えてしまった原因には、外戚(がいせき)と宦官(かんがん)の争いが繰り返されてきたことが挙(あ)げられます。では、一体どのような争いが行われていたのかを具体的に見ていきましょう。