『三国志演義』を読み始めると、私たち日本人には聞き慣れない宦官という存在が出てきます。
今回は、後漢が弱体化していった原因と宦官についてお話しします。
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宦官ってどんな人たち?
外戚と宦官の権力争いについてお話する前に、日本人には馴染みの薄い宦官についてお話しておく必要があります。
宦官って賄賂を要求して私服を肥やす、悪いやつらですよね。
日本の歴史には出てこないけど、宦官って一体どういう人達なんですか?
宦官とは、後宮、日本で言うと大奥のようなところで、皇帝の后妃や皇帝自身のお世話をする人達のことです。
皇帝の后妃との間に間違いが起こってはいけませんので、宦官たちは去勢されていました。
うひゃあ!かわいそう…。
日本みたいに女の人がお世話をすれば良いのに。
でもなんでそんな宦官たちが権力を持つようになったんですか?
それではこれから、宦官たちが権力を持つようになった経緯をお話しますね。
宦官とは、皇帝や後宮に仕える去勢された官吏のことで、主に宮中で料理や清掃などの雑用を業務としていました。
元々は去勢された異民族の捕虜や宮刑(男子を去勢する刑罰)を受けた罪人でしたが、宦官が権力を持つようになると、自ら去勢を施して志願する者もいました。
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外戚と宦官の権力争い
外戚による権力の私物化
まず残念なことに、後漢の皇帝たちは早くして亡くなることが多かったんです。
こういう場合、前皇帝の皇后が、皇太后として幼い皇帝の代わりに政治を行うのが後漢のきまりだったんですね。
※ 実子がいない場合は、必ずしも皇后と血がつながっているとは限りません。
うんうん、なるほど。
すると、皇太后はその権力を使って自分の親兄弟を高い官職に任命します。このような「皇帝の妻や母親の一族」のことを外戚と言います。
それは能力は関係なしにってこと?
でもやっぱりその方が皇太后は安心ってことかな。
そうです。能力がない人でも一族というだけで偉くなれるのです。
まあ、前皇帝が生きている間から、皇后の一族を優遇する例はめずらしくありませんけどね。
でも、幼い皇帝が大人になるまでですもんね!
ところが、そういう訳にもいかないんです。
大人になった皇帝が政治を行うようになると、外戚たちの特権がなくなってしまいます。そのため、外戚たちは皇帝が成人しても政治の実権を渡さなかったのです。
ええっ!
そんなことができるの!?
外戚たちは軍権も持っていますからね。
皇帝ですら廃位されて、外戚たちに都合の良い皇帝を擁立されてしまう可能性もありました。
皇太后自身は皇帝の成人後に政治の実権を返還する意志を持っていたとしても、権力を握った外戚たちは、皇太后の意志に反して政治の実権を握り続けることが多かったのです。
皇帝の復権
成人した皇帝は、当然政治の実権を自分の手に取り戻したいと考えるようになります。
でも、皇帝の動きが外戚たちに監視されていると、下手なことはできないですよね。
皇帝の周りに言うことを聞いてくれる人はいなかったの?
いたんですね〜。
普段後宮で皇帝の身の回りの世話をしている宦官たちです。
出た!宦官!
宦官たちは皇帝の雑用係のような身分ですから、外戚に怪しまれることなく皇帝に味方する勢力と接触することができたのです。
宦官さん、良い人たちじゃないですか!
そして、宦官たちの働きによって外戚の排除に成功すると、皇帝は宦官たちへの褒美として様々な特権を与えていったんですね。
なるほど。
こうやってなんの力も持たないただの使用人のような存在だった宦官が、権力を持つようになったのか。
そうです。
そして、後漢第4代皇帝の和帝の時代には、皇帝の相談役や命令の伝達役をする中常侍の官職が、宦官の専任となりました。
この中常侍という官職を覚えておいてくださいね。
中常侍ですね!メモしておきます。
ですが、宦官の権力は皇帝の権威あってのものですので、皇帝が亡くなって幼い皇帝が即位すると、またもや外戚の権力が強まることになります。
そのためこの外戚と宦官の対立は、何代にも渡って繰り返されることになりました。
次回はいよいよ『三国志演義』にも名前が登場する後漢第11代皇帝の桓帝の時代までの、外戚と宦官の争いを具体的にお話しします。