冲帝(ちゅうてい)・質帝(しつてい)・桓帝(かんてい)と3代に渡って後漢(ごかん)の政治を私物化していた外戚(がいせき)・梁冀(りょうき)を排除することに成功した、桓帝(かんてい)の時代を見ていきましょう。

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権力を握った宦官たち

宦官(かんがん)

宦官の権力増大


王先生王先生

さて、前回は3代に渡って権力を握った外戚(がいせき)・梁冀(りょうき)を、桓帝(かんてい)が宦官(かんがん)の力を借りて排除することに成功したところまでお話しました。

タカオタカオ

はい!なんか宦官(かんがん)って、悪いやつらなのかと思ってましたけど、正義の味方に見えてきました(笑)

マリコマリコ

これでやっと皇帝が自分で政治を行えるようになったんですよね。

王先生王先生

そうです。桓帝(かんてい)は単超(ぜんちょう)をはじめとする5人の宦官(かんがん)たちにたくさんの褒美を与えるとともに、子孫を残す事ができない宦官(かんがん)たちに、養子を取って家を継がせることを認めました。

タカオタカオ

お〜!
確か曹操(そうそう)って、宦官(かんがん)の子孫なんですよね。

マリコマリコ

この時宦官(かんがん)たちに養子が認められたお陰ですね!


『三国志演義(さんごくしえんぎ)』の主役の1人である曹操(そうそう)はもともと夏侯かこう氏でしたが、曹操(そうそう)の父親である曹嵩そうすうが宦官(かんがん)の曹騰そうとうの養子になったことで曹姓になりました。

曹操(そうそう)は、このことによって朝廷の中で有利に働くこともありましたが、家柄としては低い扱いを受けていました。

賄賂が横行する朝廷


タカオタカオ

あれ?
でも、政治の実権は皇帝にあるはずだから、宦官(かんがん)の権力が強まったのはなんでだろう?

王先生王先生

皇帝の相談役や命令の伝達役をする中常侍(ちゅうじょうじ)という官職が、宦官(かんがん)の専任になっていたのは覚えていますか?

マリコマリコ

はい!ちゃんとメモってあります。

王先生王先生

ということはつまり、皇帝が命令を出す時や、皇帝に何かを伝えたい時には、宦官(かんがん)を通さなければならないということです。

タカオタカオ

うんうん、それは分かる。

王先生王先生

宦官(かんがん)たちは、皇帝に何かを伝えたがっている人に賄賂(わいろ)を要求したり、気に入らない人の悪口を皇帝に告げ口して追い出しました。

マリコマリコ

せっかく良い人たちだと思い始めてたのに…

王先生王先生

また、自分たちに賄賂(わいろ)をたくさんくれる人に位の高い官職を与えるように皇帝に進言することで、さらに私腹を肥(こ)やしていったのです。

タカオタカオ

なるほど、宦官(かんがん)たちは自分で権力を持つのではなくて、皇帝の権力を利用することで実質やりたい放題だったんですね!


皇帝の権力を奪うことで権勢を誇(ほこ)った外戚(がいせき)と違って、宦官(かんがん)たちは権力を握った皇帝を後ろ盾とすることで、自分たちの地位を確立していきました。

そのため後ろ盾である皇帝が亡くなると、一気に権力を失って外戚(がいせき)に取って代わられることが繰り返されてきたのです。


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反宦官勢力と第一次党錮の禁

反宦官勢力と第一次党錮の禁

宦官の反対勢力「党人」


王先生王先生

さて、宦官(かんがん)によって賄賂(わいろ)が横行するようになると、出世をするためには宦官(かんがん)に多額の賄賂(わいろ)を払う必要がありますよね。
では、そのお金はどこから出て来るのでしょう?

マリコマリコ

お金持ちしか高い位につけないってこと?

タカオタカオ

それもあるけど、民衆に重税を課して、しぼりとったお金を宦官(かんがん)に貢(みつ)ぐのさ。

王先生王先生

2人とも正解ですよ。こうなってしまうと、真面目に勉強をして役人になろうとしている人たちには大問題ですね。
では、当時の役人の登用制度を簡単に見てみましょう。

郷挙里選(きょうきょりせん)

後漢(ごかん)当時の役人の採用方法には「郷挙里選(きょうきょりせん)」という制度が採用されていました。

「郷挙里選(きょうきょりせん)」というのは、地方の有力者が優秀な人物を推薦する制度のことで、儒教を重視していた後漢(ごかん)の時代には、父母への孝行や心が清く正しいことを意味する「孝廉(こうれん)」という項目が特に重要視されていました。

宦官(かんがん)たちが賄賂(わいろ)を横行させたことで、正常な人材登用に支障が出ていたのです。

また、郷挙里選(きょうきょりせん)を行っていた士大夫(したいふ)と呼ばれる豪族・知識人たちは、推薦する人物に賄賂(わいろ)を要求することはありませんでしたが、それなりの謝礼は受け取っていたと思われます。

士大夫たちは宦官(かんがん)勢力の隆盛によって、自分たちの利権を奪われてしまったとも言えます。



タカオタカオ

そういえば『三国志(さんごくし)』でもよく、手柄を立てた部下に「皇帝に上奏しよう」って言ってますね。これ、推薦してるんですね。

王先生王先生

まさにそれです!
士大夫たちは、自分たちを清流派、宦官(かんがん)に媚(こ)びる人達を濁流派(だくりゅうは)と呼んで公然と批判していました。

マリコマリコ

宦官(かんがん)たちに任せると、賄賂(わいろ)で出世なんて「清く正しいこと」の正反対の人が役人になってしまいますよね。

王先生王先生

実は宦官(かんがん)たちも、そんな清流派の士大夫たちを危険視して「党人(とうじん)」と呼んで警戒していたんですね。


党人(とうじん)とは、本来「志(こころざし)を同じくする仲間」の意味を持つ言葉ですが、共通の理想を持った政敵としての意味合いが込められています。

儒教を正統学問とする高等教育機関である「太学(たいがく)」は、学生数3万人を超えていたと言われており「清流派」の拠点として一大政治勢力となっていました。

第一次党錮の禁


王先生王先生

166年、宦官(かんがん)たちはついに党人約200人を捕らえて任官を解き、翌年には、彼らを一生仕官することができない「終身禁錮(しゅうしんきんこ)の刑」にして朝廷から追い出してしまいました。これを「第一次党錮(とうこ)の禁」と言います。

マリコマリコ

えーっ!
いくら宦官(かんがん)が権力を持っていたからと言って、何もしていないのにそんなことができるの?

王先生王先生

もちろんいくら宦官(かんがん)と言えども、何もないところに煙を立てることはできません。
では、「第一次党錮(とうこ)の禁」の発端となった事件を見てみましょう。

第一次党錮の禁の経緯

  • 宦官(かんがん)と交際のあった風角師(占い師)の張成(ちょうせい)が、あらかじめ恩赦の日を占ってから子どもに殺人をさせるという事件が起こる。
  • 河南尹(かなんいん)の李膺(りよう)が張成(ちょうせい)を捕らえて処刑する。
  • このことを恨みに思った張成の弟子が、宦官に李膺(りよう)を訴える。
  • 李膺(りよう)をはじめとする党人約200名が捕らえられ、終身禁錮(しゅうしんきんこ)の刑に処される。



タカオタカオ

う〜ん、ちょっと分かりづらいかな。

王先生王先生

では、少し解説してみましょう。
当時、天災や異民族の侵入、反乱などが頻発(ひんぱつ)したため、桓帝(かんてい)は民衆の不満をそらすために、恩赦(おんしゃ)を出すことが多かったんです。

マリコマリコ

うんうん。

王先生王先生

宦官(かんがん)からの情報で恩赦(おんしゃ)が出ることを知っていた張成(ちょうせい)は、恩赦(おんしゃ)で刑が軽減されることが分かった上で、子どもに殺人をさせたんですね。

マリコマリコ

張成(ちょうせい)のしたことは明らかに犯罪でしょ。
李膺(りよう)さんは悪くないですよね!

タカオタカオ

河南尹(かなんいん)っていうのがちょっと分からないなぁ。

王先生王先生

河南尹(かなんいん)というのは、後漢(ごかん)の首都・洛陽(らくよう)がある郡の長官のことです。現在の日本で言うと、東京都知事みたいな役職ですね。

タカオタカオ

なるほど!
でも弟子にしてみれば、今まで宦官(かんがん)に賄賂(わいろ)を贈ってたんだから、仇を討ってくれ!って感じなんだろうな。

王先生王先生

そんな感じでしょうね。
李膺(りよう)をはじめとする清流派の党人たちを疎(うと)ましく思っていた宦官(かんがん)たちにとって、張成(ちょうせい)の弟子たちが訴え出てきたことは、とても都合が良かったんです。

マリコマリコ

それで李膺(りよう)さんにあらぬ罪を着せて、追い出してしまったんですね。

王先生王先生

李膺(りよう)だけではありません。
これを機に清流派の一掃を狙(ねら)った宦官(かんがん)たちは、桓帝(かんてい)に「李膺(りよう)が太学(たいがく)の生徒や地方の有力者たちと徒党をなして朝廷を誹謗(ひぼう)している」と上奏したんです。

タカオタカオ

で、宦官(かんがん)の言うことを信じてしまったわけか。桓帝(かんてい)もなかなかのクズだな。


桓帝(かんてい)にとって、宦官(かんがん)たちは「自分に政治の実権を取り戻してくれた恩人」であり、絶大な信頼をしていました。

この頃の宦官(かんがん)たちは、皇帝に自分たちに都合の良い情報を吹き込むことによって反対派を粛清し、莫大な富と権力を手に入れることに成功したのです。

この時期に権勢を振るった宦官(かんがん)の中には、曹操(そうそう)の祖父曹騰(そうとう)もいました。



王先生王先生

次回は桓帝(かんてい)の死と、跡(あと)を継(つ)いだ霊帝(れいてい)の時代についてお話しします。

次回

【003】霊帝の即位と第二次党錮の禁

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