日本で最も親しまれている中国の古典小説『三国志演義』。その『三国志演義』の続編として書かれた『三国志後伝』の概要と成立過程をご紹介します。
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目次
『三国志後伝』の概要
『三国志後伝』とは
『三国志後伝』とは、『三国志演義』のその後の物語を描いた中国の古典小説です。
ですが『三国志後伝』は、明代と清代(1645~1912年)に1度ずつ言及された文献が残るだけで、『三国志演義』と違って広く普及することはありませんでした。
そのため現在では、明の1609年(万暦37年)に刊本されたものが全世界にたった2冊しか残っていない希少な作品となっています。
作者
『三国志後伝』は『三国志演義』の続編とされていますが、その作者は『三国志演義』の作者・羅漢中ではなく、明代の酉陽野史という人物です。
この酉陽野史については、その名前がペンネームであること以外、どのような人物であったのかは伝わっていません。
構成
『三国志後伝』は、全10巻145回で構成されています。
続きもある予定でしたが現在に至るまで発見されておらず、未刊のまま終わったか、失われてしまったものと思われます。
『三国志後伝』のあらすじ
『三国志後伝』は、蜀漢の後主・劉禅の降伏から物語がはじまります。
この時蜀漢の遺臣たちは、漢王朝の再興を夢見て各地に散らばっていきました。
そして、匈奴の地に集結した蜀漢の遺臣たちは、劉備の孫・劉淵を王に仰いで「漢」を名乗ると、ついに晋に戦いを挑みます。
蜀漢の遺臣たちが一人また一人と劉淵の元に集まってくる様子は、あの『水滸伝』を彷彿とさせ、その後は「八王の乱」や「永嘉の乱」など、歴史書の『晋書』や『資治通鑑』に記された歴史の大きな流れに沿って、史実とフィクションを巧みに織りまぜながら物語が展開されていきます。
『三国志演義』では、蜀漢を滅ぼした魏でクーデターが勃発。晋を建国した司馬炎が呉を滅ぼし、天下統一を成し遂げて物語は終焉を迎えました。
それぞれの大義を持って建国した魏・呉・蜀の三国ではなく、晋の統一によって幕を引いた結末に、何となくモヤモヤした気分が残っていた人も多いのではないでしょうか?
そんなあなたに、もう一度『三国志演義』の夢と興奮を呼び覚ましてくれる作品が、この『三国志後伝』なのです。
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『三国志後伝』の成立
『三国志平話』の成立
唐(618~907年)の時代、寺院で仏教講話を行う際に、民衆の興味を引くための前座として「三国時代の英雄たちの物語」が語られるようになりました。
そしてこの「三国時代の英雄たちの物語」は、時代が進むにつれて講談や雑劇に形を変え、元の時代(1321年〜1323年頃)に『三国志演義』の原型と言える『三国志平話』が出版されます。
この『三国志平話』のラストは、漢帝(劉禅)の外孫である劉淵が北方の左国城へ逃れ、「漢」を再興して晋を滅ぼす内容になっており、この設定は後に『三国志後伝』に受け継がれることになります。
『花関索伝』の成立
南宋の時代から元の時代にかけて、「関羽の息子・関索」という架空の人物の伝説が庶民の間に普及していました。
明の時代に入ると、この関索を主人公とした『花関索伝』が出版されます。
その内容の一部は『三国志演義』にも影響を与えたほか、『三国志後伝』にも関索の子が登場します。
ここまでの『三国志平話』と『花関索伝』は、妖術や超人的な能力を発揮する人物が数多く登場し、歴史的な出来事の時系列も前後するなど、歴史小説と呼ぶにはほど遠い荒唐無稽な内容となっていました。
『三国志演義』の成立
その後、『三国志平話』からは荒唐無稽な内容が削られ、また歴史的事実が修正・補完されて、明の時代になってようやく『三国志演義』が成立します。
この段階で、『三国志演義』のラストは晋による天下統一に書き換えられました。
『三国志演義』は多くの書店から出版され、その過程で多くの版(バリエーション)が生み出されましたが、その中でも特徴的なのが前述の関索の扱いです。
『三国志演義』での関索の扱いには、大きく分けて次の3パターンがありました。
版による関索の扱いの違い
- 登場しない
- 蜀漢建国後、諸葛亮の南征にチョイ役で登場
- 劉備の荊州時代に登場して主役級の大活躍
当時、士大夫などの知識階級は「史実に忠実な内容」を好む一方で、一般庶民の間では関索のような架空の人物が大活躍する「荒唐無稽な内容」が好まれていました。
『三国志演義』は、このようなニーズの多様化に応えるために、多くの版が生み出されたのだと言えるでしょう。
ちなみに江戸時代の日本で愛され、吉川英治『三国志』が原本とした『李卓吾本』と、現在『三国志演義』の翻訳本として読むことができる『毛宗崗本』は、共に2の「諸葛亮の南征」で関索が登場します。
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『三国志演義』の成立の詳細はこちら
『水滸伝』の成立
歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人』より
左から「花和尚・魯智深」「九紋龍・史進」「扈三娘・一丈青」
画像出典元:CINRA.NET
明の嘉靖年間(1522年~1566年)の初期頃に、『三国志演義』と並んで四大奇書の1つに数えられている『水滸伝』が成立します。
『水滸伝』は、北宋時代(960年〜1127年)末期を舞台にした物語で、様々な事情で拠り所を失った108人の英雄たちが梁山泊に集結し、国を救うために腐敗した大臣や役人たちと戦う物語です。
『三国志後伝』の成立
明代末期の1609年、酉陽野史が『三国志平話』の、
「漢帝(劉禅)の外孫である劉淵が北方の左国城へ逃れ、漢を再興して晋を滅ぼす」
というラストを復活させ、『三国志後伝』を著しました。
また、『三国志後伝』にある、
- 各地に散らばった蜀漢の有力家臣たちの子孫が次第に集結する展開
- 各地にいる豪傑たちが劉淵の元に集まる展開
- 大勢で城を1つずつ落とす展開
- 細かい陣形描写
などから、『三国志演義』だけでなく『水滸伝』の影響を色濃く受けていることが窺えます。
『三国志後伝』成立年表
西暦 | 王朝 | 変遷 |
---|---|---|
648年 | 唐 | 『晋書』の成立 |
1084年 | 北宋 | 『資治通鑑』の成立 |
1321〜1323年 | 元 | 『三国志平話』の成立 |
1494年 | 明 | 『三国志演義(弘治本)』の成立 |
1522年 | 『三国志通俗演義(嘉靖本)』の成立 | |
嘉靖年間初期 | 『水滸伝』の成立 | |
不明 | 『三国志演義(李卓吾本)』の成立 | |
1609年 | 『三国志後伝』の成立 | |
1666年以降 | 清 | 『三国志演義(毛宗崗本)』の成立 |
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日本に伝わった『三国志後伝』
1689年(元禄2年)に『三国志演義』が翻訳され、『通俗三国志』として人気を博すと、日本では『通俗漢楚軍談』などの、中国の歴史小説が相次いで翻訳・出版されました。
この中国歴史小説の流行に乗って、『三国志後伝』も翻訳・出版されることになります。
『三国志後伝』の翻訳
西暦 | 翻訳名 | 内容 |
---|---|---|
1704年 (宝永元年) |
『通俗続三国志』 (つうぞくぞくさんごくし) |
『三国志後伝』の前半 |
1712年 (正徳2年) |
『通俗続後三国志前編』 (つうぞくぞくごさんごくしぜんぺん) |
『三国志後伝』の後半(上) |
1718年 (享保3年) |
『通俗続後三国志後編』 (つうぞくぞくごさんごくしこうへん) |
『三国志後伝』の後半(下) |
日本人に愛された『三国志後伝』
『通俗三国志』が人気を博した日本では、『三国志後伝』も同様に愛されたようで、何度も出版され、江戸時代に出版された翻訳本は、現在でも全国の図書館で何十冊も確認することができます。
また、現存する2冊の『三国志後伝』のうち1冊は中国で保管され、もう1冊は台湾で保管されていますが、台湾のものは昭和初期に日本から移されたものです。
これらのことから、『三国志演義』を愛した日本人の間では、その続編の『三国志後伝』も、大切に読まれていたことが窺えます。
『三国志後伝』が中国でウケなかった訳
ですが、中国で幅広く読まれていた『三国志演義』の続編である『三国志後伝』が、これほど中国に残っていないのはなぜなのでしょうか?
それは『三国志後伝』の設定に理由があります。
『三国志後伝』が成立した明王朝は、北方騎馬民族が建国した元王朝を北伐によって追い出した王朝であり、当時はまだ北元として明の北方に存在していました。
つまり、逃亡先の匈奴の地から国を興して晋を滅ぼす劉淵の姿は、北方に追いやられた北元が勢力を盛り返すことを連想させたため、当時の人々から敬遠されたのです。
そう考えてみると、元の時代に成立した『三国志平話』の「劉淵が晋を滅ぼすラスト」は、北からの征服王朝である元の姿をなぞらえたものだったことが分かります。
『三国志後伝』と同じく明の時代に成立した『三国志演義』のラストが「晋による天下統一」に書き換えられた理由もそこにありました。
著された時代が悪かったために、これまで日の目を見ることがなかった『三国志後伝』。
ですが現在では、有名な『反三国志』を筆頭に『三国志演義』のその後を描いた「IF小説」が幾つも出版されています。
『三国志後伝』は、それらよりもずっと以前に書かれた、最も完成度が高い『三国志演義』の正統な続編と言えるでしょう。
『三国志後伝』が無料で読める!
『三国志後伝』は、長い間現代文に翻訳されたものは存在していませんでしたが、現在では小説投稿サイト「カクヨム」で無料で読むことができます。
※『通俗續三國志』・『通俗續後三國志』は、『三国志後伝』の翻訳名です。