後漢ごかん・三国時代の異民族である西域さいいき諸国の内、大月氏国だいげっしこく大夏国たいかこく高附国こうふこくについてまとめています。

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西域諸国⑥都護の管轄外④

大月氏国

大月氏国だいげっしこく*1

大月氏国

大月氏国だいげっしこくとは

月氏げっしは元々敦煌とんこう祁連山きれんざんの間*2にいましたが、匈奴きょうどの攻撃を受けて西にうつり、大夏国たいかこく*3ってそこに国を建てました。

この西にうつった月氏げっし大月氏だいげっし、その他の小勢で故地こちを去ることができなかった月氏げっし小月氏しょうげっし湟中こうちゅう月氏胡げっしこ)と言います。

脚注

*1新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ

*2涼州りょうしゅう張掖郡ちょうえきぐん酒泉郡しゅせんぐんの辺り。

*3バルフをを中心とするアフガニスタン北部。

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前漢ぜんかん

大月氏国(前漢)

大月氏国だいげっしこく*1

※国境線は現代のもの。

所在地・戸数・人口・兵力

大月氏国だいげっしこく*1王治おうちおうの治所)の監氏城かんしじょうは、長安ちょうあんから11,600里(約4,988km)の場所にあり、都護とご西域都護さいいきとご)の管轄に属していません。

東の都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)までは4,740里(約2,038.2km)、西の安息国あんそくこく*4まで徒歩で49日、南は罽賓国けいひんこく*5と接しています。

  • 戸数:10万戸
  • 人口:40万人
  • 勝兵しょうへい(訓練済みの戦闘にる兵士):10万人
  • 控弦こうげん(弓兵):10余万人
風土・風俗
  • 土地・気候、所有物、民俗、銭貨は安息国あんそくこく*4と同様です。
  • 一封橐駝ひとこぶらくだ一瘤駱駝ひとこぶらくだ)が生息しています。
  • 大月氏国だいげっしこく*1は元々定住しない国で、家畜と共に移動し、匈奴きょうどと習俗が同じです。
脚注

*1新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*5カシミール地方のシュリーナガル付近。

後漢ごかん

大月氏国(後漢)

大月氏国だいげっしこく*1

 ※国境線は現代のもの。

所在地・戸数・人口・兵力

大月氏国だいげっしこく*1王治おうちおうの治所)の藍氏城らんしじょうは、(後漢ごかんの都)洛陽らくよう雒陽らくよう)から16,370里(約7,039.1km)の場所にあり、東の長史ちょうし西域長史さいいきちょうし)の治所(柳中城りゅうちゅうじょう)までは6,537里(約2,733.51km)、西の安息国あんそくこく*4には徒歩で49日で到着します。

  • 戸数:100,000戸
  • 人口:400,000人
  • 勝兵しょうへい(訓練済みの戦闘にる兵士):10余万人
  • 控弦こうげん(弓兵):10余万人
脚注

*1新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

大月氏国だいげっしこくの歴史

月氏の西徙

月氏げっしは元々敦煌とんこう祁連山きれんざんの間*2にいましたが、控弦こうげん(弓兵)が10余万人いたため、その強盛をたのんで匈奴きょうどあなどっていました。

ところが、匈奴きょうど冒頓ぼくとつ単于ぜんう(在位:B.C.209年〜B.C.174年)の代にいたると匈奴きょうど月氏げっしを攻め破り、次の代の老上ろうじょう単于ぜんう(在位:B.C.174年〜B.C.161年)は月氏げっしおう*6を殺害してその頭蓋骨を酒杯としました。

以降、月氏げっしは遠く西にうつり、その他の小勢で故地こちを去ることができなかった者たちは、南山羌なんざんきょうたのんで小月氏しょうげっし湟中こうちゅう月氏胡げっしこ)と号しました。

脚注

*2涼州りょうしゅう張掖郡ちょうえきぐん酒泉郡しゅせんぐんの辺り。

*6原文:而老上単于殺月氏,以其頭為飲器,(以下略)。原文には「殺月氏」とだけあるが、その後月氏げっしが遠くにうつっていることから、ただの領民ではなく「おう」を加えた

大夏国を臣従させる

匈奴きょうどやぶれた月氏げっしは、大宛国だいえんこくを過ぎて西の大夏国たいかこく*3ち、これを臣従させて媯水きすいの北にみやこし、そこを王庭おうてい朝庭ちょうてい)としました。

月氏げっしはその国を、

  • 休密きゅうみつ
  • 雙靡そうび双靡そうび
  • 貴霜きそう
  • 駙頓ふとん肹頓きつとん
  • 都密とみつ

の5部に分けてそれぞれ翕侯きゅうこうを置きました。

脚注

*3バルフを中心とするアフガニスタン北部。

クシャーナ朝の建国

百年余りのち貴霜翕侯きそうきゅうこう丘就卻きゅうしゅうきゃく*7は他の4翕侯きゅうこうを攻め滅ぼすと、みずから立っておうとなり、国号を貴霜国きそうこく(クシャーナ)としました。

その後貴霜国きそうこく(クシャーナ)は安息国あんそくこく*4に侵略し、高附国こうふこく*8の地を取り、濮達国ぼくたつこく*9罽賓国けいひんこく*5を滅ぼして、それらの国のことごとくを領有しました。

丘就卻きゅうしゅうきゃく*7が80余歳で亡くなって子の閻膏珍えんこうちん*10が代わっておうとなると、さらに天竺国てんじくこく(インド)を滅ぼし、しょう・1人を置いてこれを監督させました。

月氏げっしはこれ以降最も豊かで盛んとなり、諸国はみなそのおう貴霜王きそうおうと称しました。

クシャーナ朝が建国された後も、かんは元々の呼称である「大月氏国だいげっしこく*1」を使い続けました。

脚注

*1新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*5カシミール地方のシュリーナガル付近。

*7クジュラ・カドフィセス。クシャーナ朝の初代おうカドフィセス1世カニシカ王曾祖父そうそふ

*8アフガニスタンのカブール

*9諸説あり。フランスの歴史学者:エドゥアール・シャヴァンヌ沙畹さえん)は、現在のアフガニスタン北部の巴爾赫バルフだと言う。

*10クシャーナ朝・第2代おうヴィマ・タクトヴィマ・タクトの子・ヴィマ・カドフィセス説や兄弟のサダシュカナ説など諸説ある。

大夏国

前漢ぜんかん

大夏国

大夏国たいかこく*3

※国境線は現代のもの。

統治

大夏国たいかこく*3には元々大君長だいくんちょうおう)がおらず、城邑じょうゆうにはそれぞれ小長しょうちょうが置かれていましたが、その民は弱く戦闘をおそれたので、月氏げっしうつって来ると、みな臣従して月氏げっしやしない、共にかん前漢ぜんかん)の使者に糧食を供給しました。

所在地

大夏国たいかこく*3は、

  • 休密きゅうみつ
  • 雙靡そうび双靡そうび
  • 貴霜きそう
  • 肹頓きつとん
  • 離附りふ高附こうふ*11

の5部の翕侯きゅうこうに分かれています。

  • 休密きゅうみつ翕侯きゅうこうの治所は和墨城わぼくじょう*12都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)から2,841里(約1,221.63km)、陽関ようかんから7,802里(約3,354.86km)。
  • 雙靡そうび翕侯きゅうこうの治所は雙靡城そうびじょう都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)から3,741里(約1,608.63km)、陽関ようかんから7,782里(約3,346.26km)。
  • 貴霜きそう翕侯きゅうこうの治所は護澡城ごそうじょう都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)から5,940里(約2,554.2km)、陽関ようかんから7,982里(約3,432.26km)。
  • 肹頓きつとん翕侯きゅうこうの治所は薄茅城はくぼうじょう都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)から5,962里(約2,563.66km)、陽関ようかんから8,202里(約3,526.86km)。
  • 離附りふ翕侯きゅうこう*11の治所は高附城こうふじょう都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)から6,041里(約2,597.63km)、陽関ようかんから9,283里(約3,991.69km)。

の場所にあり、月氏げっしうつって来るとみな大月氏国だいげっしこく*1に服属しました。

脚注

*1新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ

*11後漢書ごかんじょ西域伝さいいきでんに「漢書ごかんじょ西域伝上さいいきでんじょうでは(高附国こうふこくを)五部ごぶ翕侯きゅうこうの1つに数えているが、事実ではない(大夏国たいかこくとは別の国である)」とある。

*12中央アジアのサリクカウバンの地。

高附国

後漢ごかん

高附国(後漢)

高附国こうふこく*11

※国境線は現代のもの。
天竺国てんじくこくの首都の位置は不詳。

所在地
  • 高附国こうふこく大月氏国だいげっしこく*1の西南にある大国です。
風俗
  • その風俗は天竺国てんじくこく(インド)に似ており、弱く服属しやすい国民性です。
  • 商売にけ、国内は財にんでいます。

高附国こうふこくの歴史

高附国こうふこく*11が)従属する国は一定ではなく、天竺国てんじくこく(インド)・罽賓国けいひんこく*5安息国あんそくこく*4の3国は、盛強な時は高附国こうふこく*11を服属させ、弱体化すると高附国こうふこく*11を失いましたが、いまだかつて高附国こうふこく*11は、月氏国げっしこく大月氏国だいげっしこく*1)に服属したことはありませんでした。

のち高附国こうふこく*11安息国あんそくこく*4に服属していましたが、月氏国げっしこく大月氏国だいげっしこく*1)が安息国あんそくこく*4を破ると、初めて月氏国げっしこく大月氏国だいげっしこく*1)に服属しました。

脚注

*1新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*5カシミール地方のシュリーナガル付近。

*11後漢書ごかんじょ西域伝さいいきでんに「漢書ごかんじょ西域伝上さいいきでんじょうでは(高附国こうふこくを)五部ごぶ翕侯きゅうこうの1つに数えているが、事実ではない(大夏国たいかこくとは別の国である)」とある。


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【後漢・三国時代の異民族】目次