後漢・三国時代の異民族である西域諸国の内、大秦国についてまとめています。
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西域諸国⑲都護の管轄外③
大秦国*1
大秦国
後漢期
大秦国*1
※国境線は現代のもの。
所在地
大秦国*1は一名を「犁鞬*2」と言い、海西*3にあることから「海西国」とも言います。数千里四方の領土に4百余城があり、服属する小国は数十ヶ国にのぼります。
安息国*4から陸路で海に沿って北に行き、海西*3に出て大秦国*1に至るまで人々(の生活圏)が連なっており、10里(約4.3km)ごとに1亭、30里(約12.9km)ごとに1置(駅)が設置されているため盗賊に襲われることはないが、道中には猛虎や師子(獅子・ライオン)が多く旅人に危害を加えるため、百余人の武装した護衛がいなければ捕食されてしまいます。
また、数百里に及ぶ架け橋があって海(海西*3)の北の諸国に渡ることができます。
(後漢時代の)ある人は「その国(大秦国*1)の西には弱水*5と流沙(砂漠)があり、西王母*6の居所に近く、日の入る所に近い」と言っており、『漢書』西域伝上の「条支国(シリア)から西に200余日進むと日の入る所に近づく」という記述と異なっていますが、これは「前漢の使者はみな烏弋山離国*7までは行ったが、それ以上西に進まず引き返していたので、条支国(シリア)に到達した者がいなかった」からであると考えられています。
脚注
*1古代ローマ帝国。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。
*2『漢書』西域伝上では「犁靬」。
*3地中海とされるが、黒海との説もある。『漢書』西域伝上では「西海」。
*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国)]の北。葱嶺(パミール高原)の西南。
*5仙境[大秦国*3の西とも崑崙山とも言う]にあって、鴻毛(鴻の羽毛・非常に軽い物の例え)さえ沈むという川。
*6神仙の1人。崑崙山に住み、人面獣体であると言う。周の穆王と会談したり、前漢の武帝に桃を授けたりするなど様々な伝説が残されている。
*7アフガニスタン南部のカンダハール。
風土
- 松や柏などの諸々の樹木や百草(無数の草類)が生えています。
- 土地には金銀奇宝が多く、夜光璧・明月珠・駭鶏犀・珊瑚・虎魄・琉璃・琅玕・硃丹・青碧を産出します*8。
- およそ外国の珍異はみな産出します*9。
脚注
*8夜光璧:暗夜でも光るという貴重な璧
明月珠:暗闇でも自ら光を放って照らす明月のような宝玉
駭鶏犀:通天犀(古代中国に伝わる幻獣「水犀」)の角
珊瑚:サンゴ
虎魄:琥珀(天然樹脂の化石)
琉璃:瑠璃(ラピスラズリ)
琅玕:璧玉に似た美しい宝石
硃丹:辰砂(硫化水銀からなる赤い鉱物)
青碧:鈍い青緑色の璧
*9以上は『後漢書』西域伝・大秦国に基づいていますが、『後漢書』西域伝・大秦国の最後には「諸国に産出する珍奇な玉石の諸品は怪しげで、往々にして尋常ではないため、記録しない」とある。
風俗
- 大秦国*1の国民はみな背が高く、体格が良い上に容姿は端正であり、中国人に似ているため「大秦」と呼ばれるようになりました。
- 農業に注力し、養蚕のための桑を多く植樹しています。
- みな頭髪を剃り刺繍入りの服を着て、四方を幌で覆った白い蓋(屋根)つきの小車に乗り、出入りする際には太鼓を擊って旌旗・幡幟(旗や幟)を建てます。
- 金縷(金糸)で刺繍を刺し、金縷(金糸)の罽(フェルト)や様々な色の綾絹を織り上げます。
- 黄金の鍍金や火浣布*10を作ります。
- 目の細かい布があり、水羊の毳や野生の蚕の繭から作られます。
- 様々な香料を混ぜ合わせ、その汁を煎じて蘇合(香料)を作ります。
- 大秦国*1は俗に奇術が多く、口の中から火を吹き出したり、自ら縛って自ら解き、12のお手玉を投げたりと非常に器用です。
脚注
*1古代ローマ帝国。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。
*10石綿布。石綿糸で織った不燃性の布のこと。煤や垢などの汚れも火の中に投入して焼けば、布は燃えず汚れだけが落ちるところから、火で浣ぐという意味でこの名がある。
統治
- 石で城郭を建設しています。
- 郵・亭(宿駅)を列ねて設置し、みな白い土を塗って飾っています。
- (居住する)城邑は周囲百余里(約43km)、城内に5つの宮殿があり、それぞれ10里(約4.3km)ずつ離れています。
- 宮殿はみな水精(水晶)で柱や食器を作っています。
- 大秦国*1の王は非凡で、みな賢者を選んで立てられます。
- 大秦王は1日ごとに1つの宮殿を巡って政治を行い、5日で一巡します。
- 大秦王は常に1人に囊を持たせて王の車に随伴させ、政治について言上する者がいればその文書を囊に入れ、宮殿に帰ってからその内容を確認して判断します。
- それぞれの官曹(役所)に文書があります。(原文:各有官曹文書)
- 36人の将を置き、みな一堂に会して国事を評議します。
- 国内で災異や時季外れの風雨が起こるとすぐに(王を)廃して新しく立て、廃された者は甘受して怨みません。
- 金と銀を銭(通貨)とし、銀銭10枚と金銭1枚を同価値としています。
- 安息国*4や天竺国(インド)と海路で交易し、10倍の利益を得ています。
- その人柄は飾り気がなく正直で、市では必要以上に値段を吊り上げません。
- 穀物は常に安く、国家財政は豊富です。
- 隣国の使者が国境に至ると、(設置された)駅馬に乗って王都に参内し、到着すると金銭を支給されます。
脚注
*1古代ローマ帝国。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。
*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国)]の北。葱嶺(パミール高原)の西南。
大秦国と中国との関係
大秦王は常に漢に使者を送ろうとしましたが、(その途上の)安息国*4は「漢の繒彩で大秦国*1と交易したい」と思っていたので、大秦国*1の使者を妨害して漢に到達できないようにしました。
後漢・桓帝の延熹9年(166年)になると、大秦王・安敦*11が使者を派遣して交阯刺史部・日南郡の国境の外から象牙・犀角(犀の角)・玳瑁(ウミガメの一種)を献上し、ようやく初めて1度だけ通交することができました*12。
脚注
*1古代ローマ帝国。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。
*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国)]の北。葱嶺(パミール高原)の西南。
*11第16代ローマ皇帝・マルクス・アウレリウス・アントニヌスを指すとする見方が定説となっているが異説もある。
*12『後漢書』西域伝には「その上奏文と共に献上された物はどれも珍しいものではなく、おそらく(大秦国*1の情報が)過大に伝えられたようである」とある。
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