曹操が兗州の平定を終えた頃、献帝は朝廷で勝手気ままに振る舞う李傕・郭汜らに頭を悩ませていましたが…。
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楊彪の計略
画像出典:ChinaStyle.jp
前回は、呂布が徐州の劉備を頼って小沛に駐屯したところまでだったよね。
劉備さんは呂布さんに徐州を譲ろうとしてましたよね、ビックリ…。
そうそう、それを受けようとした呂布に張飛が怒って、一緒にいられなくなって小沛に行ったんだよね。
そうですね。今回は、朝廷の李傕と郭汜のお話です。
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における「李傕と郭汜の争い」については、こちらをご覧ください。
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前回までのおさらい
では少し、李傕と郭汜についておさらいしておきましょう。
呂布が董卓を誅殺すると、董卓の配下であった李傕と郭汜は長安を攻撃して陥落させ、王允を処刑、呂布を逃亡させます。
そして、朝廷で権力を握った李傕と郭汜は、朝廷の官職を自分たちの思うままに任命し、腹心の配下を献帝の側近くに仕えさせて常に監視させました。
そこで献帝は、
- 馬騰を征西将軍
- 韓遂を鎮西将軍
に任命して、力を合わせて賊を討つようにとの密勅を下します。
これを受け、李傕・郭汜討伐の兵を挙げた馬騰と韓遂ですが、兵糧が尽き、内応の計も発覚してしまったため、やむなく西涼に撤退しました。
せっかく董卓を殺したのに、王允がクズだったから、結局また元の木阿弥になったんだよな。
思い出しましたっ!それで馬騰さんと韓遂さんが兵を挙げたけど、勝てなかったんですよね。
はい。今回はその続きです。
楊彪の計略
では、今回のお話を始めましょう。
この頃、李傕は自ら大司馬となり、郭汜も大将軍となって、勝手気ままに振る舞っていましたが、朝廷には誰も彼らに意見できる者はいませんでした。
そこで、この状況を憂いた太尉の楊彪と大司農の朱儁が、秘かに献帝に奏上します。
「今曹操は20万余りの兵に、数十人の参謀や大将を抱えております。
もし彼を味方につけて国家を守り立て、悪人たちを除かせることができましたら、まことに天下の幸いでございましょう」
この奏上を受けた献帝は涙を流して喜び、
「朕(私)は長らくあの2人の逆賊に侮りを受けておる。彼らを滅ぼす手立てがあれば、幸せと思う」
と答えました。
するとまた楊彪は、
「私に1つの計略がございます。
まず2人を互いに争わせておき、それから曹操に詔を下して逆賊を祓い清めさせ、朝廷を安らかにいたさせましょう」
と言い、また献帝の「どのような計略を用いるのか」という問いに、
「郭汜の妻は極めて嫉妬深いと聞いております。郭汜の妻の元に人をやって『離間の計』をさせましたならば、李傕と郭汜は害し合うようになるでしょう」
と答えました。
そこで献帝は、この計略を実行に移すよう、楊彪に密詔を下しました。
やっと朝廷の内部で動き始めたか。
でもこの計画が失敗したら、献帝さんの命が危ないんじゃない?元々殺そうとしてたし…。
確かに危険は伴いますね。
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争いの発端
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郭汜の妻
さて楊彪は、直ちに計略を実行に移します。
楊彪は、用事にかこつけて自分の夫人を郭汜の屋敷に人を送り込むと、隙を見て郭汜の妻にこう告げさせました。
「郭将軍(郭汜)は李司馬(李傕)の夫人を見初めて、親密な仲におなりになったそうでございます。
万一、李司馬(李傕)どのに感づかれたら、きっと害をくわえられましょう。奥様(郭汜の妻)が、お2人の行き来をせぬようにお計らいなさるがよろしいかと…」
これを聞いた郭汜の妻は、
「夫がこのごろ毎晩帰って来ないのは、おかしいとおもっておりましたの…。そんな恥知らずな事をしでかすなんてあんまりですわ。
奥様(楊彪の妻)がおっしゃってくださるまでは、まるで存じませんでした。十分に気を付けることにしますわ」
と言い、楊彪の妻が暇乞いをすると、くり返し礼を言って別れました。
数日経って、郭汜がまた李傕が開いた宴会に行こうとしたところ、郭汜の妻は、
「李傕は性根の知れぬ者。おまけに今は『両雄並び立たず』という時なのですから、もしも酒に毒でも盛られていたら、私はどういたしましょう」
と言い、それでも行こうとする郭汜を無理矢理引き留めて、宴会に行かせませんでした。
その夜のこと、李傕が郭汜の屋敷に宴会の料理を届けさせたので、郭汜の妻はその料理にこっそり毒を入れて郭汜の前に出しました。
そして、郭汜がすぐにこれを食べようとすると、郭汜の妻は、
「外から来た食べ物を、すぐに口に入れるものではありません」
と言ってその料理を犬に食べさせると、犬はたちまちのうちに死んでしまいます。
これを見た郭汜は、李傕に対して疑いの心を持つようになりました。
てっきり李傕の妻に敵意を剥き出しにするのかと思ってたよ。
楊彪さんの奥さんは李傕さんと会わせないように言っただけなのに…。
完全に李傕を敵に回すように仕向けてるもんな。思う壺だ。
そうですね。これで郭汜は完全に李傕を疑うようになりました。
計略の成功
さて、それからもたびたび李傕は郭汜を宴会に誘います。
ある日、朝廷から退出してきた郭汜は、李傕がしきりに勧めるので、とうとう宴会に出席することにしました。
そして、夜遅くに宴会が終わり、酔っ払って帰って来た郭汜は、偶然に腹痛をもよおします。
すると郭汜の妻は、
「それごらんなさい、毒にあたったのよ」
と言って急いで糞の汁を取り寄せて飲ませると、郭汜は食べた物をすっかりもどしてしまって、腹痛は治まりました。
郭汜は大いに怒り、
「俺は李傕と力を合わせて大事を成し遂げた仲だ。それを何の理由もなく酷い目に遭わせおってっ!
こちらから仕掛けなければ、あいつの手にかかってしまうわっ!」
と秘かに兵を集めて李傕を攻めようとします。
またこの時、このことを李傕に知らせた者がおり、李傕も大いに怒って、
「郭亜多(郭汜)の奴が大それたことをっ!」
と言って軍勢を揃え、郭汜を襲わせました。
両軍合わせて数万の軍勢が長安の城下で乱戦となり、これを切っ掛けに住民の略奪を始めました。
とうとう戦争になっちゃった…。これって、楊彪さんの計略がうまくいってるってことだよね。
そうだね。しかし「糞の汁」って!人糞なのか!?
人のものかは分かりませんが、当時は解毒剤として用いられていたようです。
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李傕と郭汜の争い
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李傕が献帝を連れ去る
そしてここで、李傕軍が動きます。
李傕の甥・李暹が兵を率いて御殿を取り囲み、2台の車(馬車)の1台には献帝を、もう1台には伏皇后を乗せて、賈詡と左霊に乗り物の監督をさせ、他の女官・宦官たちは歩かせて連れ出しました。
ところが、一行が後宰門を出たところでばったり郭汜の軍に出会って一斉射撃を受けてしまいます。
この時、多くの女官たちが射殺されてしまいましたが、そこへ李傕の軍勢が現れて郭汜の軍を追い払い、献帝たちを城外の李傕の陣屋まで連れて行きました。
その後郭汜は兵を率いて宮中に入り、内侍・局たちを捕らえて陣屋に連れ込み、御殿には火をかけました。
そして次の日、李傕が献帝を連れ出したことを知った郭汜は、軍勢を率いて李傕の陣屋に押し寄せました。
李傕さんと郭汜さんを争わせたのは良いけど、これじゃ献帝さんが危ないよ…。
まあ、献帝は「錦の御旗」だから、殺されることはないよ。
ですが、戦に巻き込まれて危険なことには変わりありませんね。
献帝の苦悩
次は、李傕の陣屋での出来事です。
李傕の陣屋に押し寄せた郭汜ですが、李傕の反撃にあい、しばらくして退却していきました。
そこで李傕は、献帝と伏皇后を郿塢に移して甥の李暹に監視させておき、内外の交通を禁じたので、郿塢では飲食にも事欠くようになり、献帝の側に仕える臣下たちは飢えに苦しむようになります。
そこで献帝は、李傕に人を遣って「臣下の食糧として米・5石と牛の骨5頭分」を要求しましたが、李傕は腹を立て、
「朝晩にお食事は差し上げておる。その他に何が必要なのだっ!?」
と言って腐った肉や古い米を差し入れたので、どれも臭いが強くて食べられたものではありませんでした。
そして、
「逆賊めっ!これほどまでに我々を侮りおるかっ!」
と怒りを露わにした献帝に楊彪が言いました。
「李傕は残忍な乱暴者。このような事態になってしまったからには、しばらく堪えてくださいませ。こちらから事を起こすべきではございませぬ」
これを聞いた献帝は頭をうなだれ、涙に袖を濡らしました。
あれっ!?ここまでって計画通りじゃなかったの?
まさかこんな監禁状態になるとは思ってなかったんだろうな。
これじゃあ、曹操さんとも連絡が取れないしね…。
そうですね。ですがまだ、李傕と郭汜の争いは始まったばかりです。
朝廷で勝手気ままに振る舞う李傕と郭汜を憂いた太尉の楊彪と大司農の朱儁は、まず2人を互いに争わせておき、それから曹操に詔を下して討伐させることを献帝に奏上します。
そして楊彪は、李傕と郭汜を争わせることに成功しますが、献帝たちは彼らの争いに巻き込まれ、郿塢に監禁状態となってしまいました。
次回は献帝が、李傕と郭汜が和睦するために動きます。
次回
【047】郭汜が公卿を捕虜にし、賈詡が献帝のために秘策を授ける