袁術にそそのかされて荊州に攻め込んだ孫堅は、迎え撃つ敵将を次々に敗走させました。ついに襄陽を包囲した孫堅は…。
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襄陽城の包囲戦
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
前回は、袁術に乗せられて荊州に攻め込んだ孫堅軍が、劉表軍の黄祖と蔡瑁相手に無双したところまででしたよね。
うんうん、それに孫策さんの初陣もあったねっ!
そうですね。
今回は、ついに孫堅軍が劉表の本拠地・襄陽に迫りますよっ!
ご確認
この記事は『三国志演義』に基づいてお話ししています。正史『三国志』における孫堅と劉表の戦いについては、こちらをご覧ください。
不吉な兆し
さて、ついに孫堅軍は、劉表が籠もる襄陽城に到達します。
孫堅軍が襄陽城を包囲して攻撃を加えていると、にわかに突風が吹き起こり、孫堅軍本陣の「帥」の字が書かれた大将旗が折れてしまいました。
これを見た韓当は「これは不吉の兆しです」と、孫堅に一時兵を引くことを提案します。
ですが孫堅は、
「襄陽城が落ちるのも時間の問題だ。風で旗竿が折れたぐらいで何だと言うのだ!」
と、韓当の言葉に聞く耳を持たず、さらに攻撃を命じました。
フラグだね(笑)
孫堅さんって、ちょっと無理するところがあるから…。
確かに。それで何度も危険な目に遭っているのに、学ばないですね(笑)
蒯良、秘策を授ける
さて、ちょうどこの頃、襄陽城の城内でも動きがありました。
「昨夜天文を見ましたところ、孫堅の将星が墜ちようとしています。ここは急ぎ袁紹に援軍を求めなされませ」
この蒯良の進言を受けた劉表は、早速袁紹に宛てた書面をしたためて、
「孫堅軍の包囲を破って使者となる者はおらぬか!」
と呼ばわりました。
すると、我こそは!と勇将・呂公が進み出ます。
蒯良は「お主が行ってくれるならば…」と、呂公に何やら計略を授けました。
呂公はすぐに人馬を整えると、日が暮れるのを待ってひそかに東門から城を出ます。
劉表さんは素直ですねっ!
孫堅には軍師がいないんだよなぁ…。
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江東の虎・孫堅墜つ!
画像出典元:珍蔵懐旧版四大名著連環画「三国演義」
孫堅の死
さて、城を包囲していた孫堅は、どこかで鬨の声が上がったのを耳にしました。
孫堅はすぐさま馬に乗って本陣を出ます。すると、「1隊の人馬が城を出て峴山に向かっています」と知らせる者がありました。
これを聞いた孫堅は、そのまま峴山に向けて馬を走らせます。この時孫堅につき従った兵は、わずか30騎でした。
もうっ!なんでみんなを待てないの、孫堅さんはっ!
「兵は神速を貴ぶ」と言うけど、さすがにこれはないわ(笑)
それは郭嘉の言葉ですねっ!
そうなんですか!?知らなかった(笑)
まだ先のお話ですが、曹操の烏丸征伐の時の言葉です。では、お話しに戻りますね。
呂公を見つけた孫堅は一層馬を速め、突出して追っていきますが、そのまま分け入った山道で呂公の姿を見失ってしまいます。
そして、孫堅がさらに進もうとしたその時、突然銅鑼の音が鳴り響いたかと思うと、山の上から大きな石の塊が大量に落ちかかり、左右の林からは孫堅めがけて雨のように矢が降りそそがれました。
チ〜ン…。
えぇっ!!孫堅さん、死んじゃったのっ!?
はい。享年37歳。さすがの孫堅も、今回ばかりは助かりませんでした。
孫堅さん…。蒯良さんの言った通りになっちゃった…。
やっぱり大将には慎重さも必要だよ。
タカオくんの言うとおりですねっ!
劉表の逆襲
さて、後から追いついてきた30騎も討ち取った呂公は、襄陽城に合図を送りました。
呂公の合図を受け、城内から黄祖・蒯越・蔡瑁らが一斉に打って出ます。すると、突然敵の襲撃を受けた大将不在の孫堅軍は、一気に混乱に陥りました。
蒯良の計略は、呂公に包囲を突破させるだけじゃなかったのかっ!
孫堅さんいなくて大丈夫なの…?
水軍を任されていた黄蓋はすぐにこの異変に気づき、急いで救援に向かいます。
そして、前方に黄祖の部隊を見つけた黄蓋は、打ち合うこと2合で黄祖を生け捕りにしました。
また、孫策を守りながら奮戦していた程普は、敵の中に呂公を見つけると馬を蹴立てて挑みかかり、矛の一突きで呂公を馬から突き落とします。
両軍はしばらく乱戦を続けていましたが、夜が明けるころには劉表軍は城に引き揚げました。
さすが孫堅さんの配下ですねっ!
これから孫策・孫権に仕えて大活躍する猛将たちだからねっ!
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劉表との和睦
孫策の決意
劉表軍が引くと、孫堅軍も包囲を解いて漢水まで兵を引きます。
孫策はそこで初めて、父・孫堅が討たれ、その遺体も襄陽城に運び込まれてしまったことを知り、孫策をはじめ兵たちは声を上げて泣き叫びました。
そして、しばらく泣き続けていた孫策は、
「父上の亡骸を取り戻すまで、死んでも国には帰らぬっ!」
と、黄蓋・程普・韓当を振り返ります。
すると黄蓋は、
「我らは黄祖を生け捕っていますから、劉表と和睦し、黄祖とご主君の亡骸を引き換えにいたしましょう」
と言いました。
すると、劉表とは顔なじみの桓階がその使者に名乗り出たので、孫策もはやる気持ちを抑え、これを許しました。
無理な力攻めは損害が大きくなるし、今の孫策が勝てるとも限らない。それが賢明だねっ!
黄蓋さんが黄祖さんを生け捕りにしてて良かったぁ!
本当にそうですねっ!
孫策、江東に帰る
襄陽城に向かった桓階は、無事劉表に会うことができました。
桓階から話を聞いた劉表は、孫策の申し出を快諾します。
ですが、桓階が立ち去ろうとしたその時、「ならぬ、なりませぬぞっ!」と引き留める者がいました。劉表の軍師・蒯良です。
蒯良は、
「孫堅を失った今の江東なら、このまま一押しに平定することができます。ですがもしっ!今戦をやめてしまえば、いずれ力を蓄えて、必ずやこの荊州の禍となりましょうぞっ!」
と、桓階を斬り、孫策との徹底交戦を主張しました。
えぇ〜っ!蒯良さんっ!そんなぁ…。
さすが蒯良だねっ!よく分かってる(笑)
はたして桓階の運命は…。というところで『三国志演義』の第7回が終わりますが、もう少しお話を続けますね。
はいっ!
劉表が、「黄祖を見殺しにせよというのか?」と問うと、蒯良は続けて言いました。
「知謀つたない黄祖1人を見捨てれば、江東を手に入れることができるのです。何を迷うことがありましょう」
劉表はしばらく考え込んでいましたが「やはり黄祖を見捨てることは義理に欠ける」と、孫策の申し出を承知して、無事桓階を送り返しました。
孫策は父の棺を迎えると停戦して江東に帰り、揚州・呉郡・曲阿県に埋葬しました。
黄祖・蔡瑁を破り、劉表の本拠地・襄陽城を包囲するに至った孫堅ですが、血気にはやる気持ちを抑えきれず、蒯良の計略にはまってついに命を落としてしまいました。
残された孫策は劉表と和睦を結び、捕虜にした黄祖を返して孫堅の亡骸を取り戻します。
その後、孫堅の葬礼を済ませた孫策は、軍を率いて徐州・広陵郡・江都県に移り、賢士を招いて厚く取り立てたので、孫策の下には四方から豪傑が集まりました。
次回は、長安に遷都した董卓のお話になります。