秦・漢代に採用されていた爵位「二十等爵」と、軍隊における爵位の役割についてまとめています。
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目次
二十等爵
二十等爵とは
二十等爵とは秦・漢代に採用されていた爵位のことで、秦の商君(商鞅)が古の道理に基づいて18の爵位をつくり、それらに関内侯と列侯(徹侯)を合わせて20の階級としたものです。
一般に爵位と言うと貴族に与えられるものをイメージしますが、この二十等爵は、すべての良民の男子に与えられました。年齢制限はなく、賤民とされた商人や罪人、奴隷には与えられません。
また、公務での死亡であれば同級の爵位を、病死など公務外での死亡であれば2級下の爵位を嫡子に継承することができました。
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二十等爵一覧表
級 | 階級 | 爵位 | 類別 |
---|---|---|---|
– | 王 | 諸侯王 | – |
20 | 侯 | 列侯 (徹侯) |
官爵 |
19 | 関内侯 | ||
18 | 卿 | 大庶長 | |
17 | 駟車庶長 | ||
16 | 大上造 | ||
15 | 少上造 | ||
14 | 右更 | ||
13 | 中更 | ||
12 | 左更 | ||
11 | 右庶長 | ||
10 | 左庶長 | ||
9 | 大夫 | 五大夫 | |
8 | 公乗 | 民爵 | |
7 | 公大夫 | ||
6 | 官大夫 | ||
5 | 大夫 | ||
4 | 士 | 不更 | |
3 | 簪裊 | ||
2 | 上造 | ||
1 | 公士 | ||
– | 無爵 | 士伍 | – |
無爵の中には、士伍の他に公卒(更卒?)・庶人・司寇・隠官の階級も見られます。
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賜爵と剥奪
賜爵
爵位は国家に対する功労を賞するために与えられるもので、
- 戦功その他の功績を賞する時
- 爵位を得るために国に財貨を納めた時(買爵)
- 辺境の新たな邑に移住した民
- 国家の慶事
などに爵位が与えられます。
命がけの戦功で得た爵1級も、国家の慶事その他で得た爵1級も同じ価値とされました。
また、吏民が朝廷から爵位を買う買爵は、前漢・成帝の鴻嘉3年(紀元前18年)に認められた、合法的な行為です。
民爵
爵位は与えられる度に累積して昇級しますが、一般庶民に与えられる爵位は第8級の公乗まででした。第1級の公士から第8級の公乗までを「民爵」と言います。
国家の慶事に際してすべての良民の男子に1〜2級の爵位が与えられましたが、すでに公乗の爵位を持つ一般庶民の場合は、その子弟に超過した分の爵位を分け与えることができました。
官爵
第9級の五大夫以上の爵位を得るためには、官秩が六百石以上の官職に就いている必要があり、第9級の五大夫から第20級の列侯(徹侯)までの爵位を「官爵」と言います。
ちなみに、官秩が六百石の官職には、刺史や中央官に属する諸令、二千石の諸官の丞や長史などがあります。
当時の人材登用制度である郷挙里選では、年間に推挙される人数の上限が決められている上、推挙してもらうための伝手が必要でした。
そのような伝手のない一般庶民が出世するためには、戦争に従軍して戦功を立て、軍吏に取り立てられることが一番の近道だったと言えるでしょう。
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剥奪
逆に、次のような場合に爵位を剥奪されます。
- 罪に対する刑罰として爵位を剥奪される
- 罪を減免するために爵位を返還する
- 爵位を売る
罪に対する刑罰として「庶人に落とされる」ことがありますが、この場合の庶人とは、所謂「一般庶民」のことではなく、爵位を持たない(持てない)賤民に落とされるという意味になります。
また、爵位を売ることは基本的に禁止されていましたが、民の貧困を救うために許可されることもありました。ですが、売爵によって爵位を失うことは、賤民に落ちることを意味します。
爵位を持つことの利点
では、爵位を持つこと、爵位が上がることには、どのような利点があったのでしょうか。
食邑が与えられる
第20級の列侯(徹侯)、第19級の関内侯には食邑が与えられ、食邑から徴税される租税を受け取ることができます。
刑罰の軽減
爵位を持つ者は、爵位を返還することで労役刑や笞刑を免除されます。
軍隊における地位
爵位によって軍隊での地位が異なります。
湖北省・張家山の前漢初期の墓から出土した『二年律令』には、すべての爵位に対して田地と宅地を賜与する規定が記されています。
『二年律令』には、爵位の上昇に応じてより多くの田地と宅地を賜与されていたことが記されていますが、これは楚漢戦争の戦功に報いるための一時的なもので、常に田地と宅地が賜与されていたわけではないという見方が一般的なようです。
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軍隊における爵位
戦功と爵位
戦功を立てた者には、敵兵を斬首した人数や捕虜にした人数に応じて爵位が与えられます。
また、
- 公乗の爵位を持つ者が斬首2級の戦功を立てた場合は爵1級
- 五大夫の爵位を持つ者が斬首3級の戦功を立てた場合は爵1級
など、爵位が上がるほど次の爵位を得るために必要な斬首の数も増えました。
討ち取った敵兵の首のことを首級と言い、その単位を「級」とするのは、この「敵の首を取るごとに爵位の級が上がる」ことに由来しています。
戦争が終わった時点で、爵を得るには足りない戦功を立てていた場合、例えば公乗の爵位を持つ者が斬首1級を挙げていた場合、斬首1級分の銭が褒賞として与えられました。
また、戦功によって与えられる爵位の上限は、五大夫までとされていたようです。
爵位による地位の違い
軍隊では、爵位によってその地位が決められていました。
爵位と軍隊での地位
級 | 階級 | 爵位 | 地位 |
---|---|---|---|
– | 王 | 諸侯王 | – |
20 | 侯 | 列侯 (徹侯) |
|
19 | 関内侯 | ||
18 | 卿 | 大庶長 | 指揮官 更卒・庶人を統率する。 |
17 | 駟車庶長 | ||
16 | 大上造 | ||
15 | 少上造 | ||
14 | 右更 | ||
13 | 中更 | ||
12 | 左更 | ||
11 | 右庶長 | ||
10 | 左庶長 | ||
9 | 大夫 | 五大夫 | 軍吏 |
8 | 公乗 | ||
7 | 公大夫 | ||
6 | 官大夫 | ||
5 | 大夫 | 戦車の左側に乗る。 | |
4 | 士 | 不更 | 戦車の右側に乗る。 |
3 | 簪裊 | 戦車の御者を務める。 | |
2 | 上造 | 歩兵 | |
1 | 公士 | ||
– | 無爵 | 士伍 |
無爵には、士伍の他に公卒(更卒?)・庶人・司寇・隠官の名称も見られます。
補足
- 大庶長は大将軍。
- 左庶長と右庶長は左右偏裨将軍。
- 戦車(軽車・馳車)は、前漢初期までは軍隊の主力とされていましたが、次第に主力は騎兵へと移り、後漢の時代には祭祀の行列において用いられるだけとなっていました。
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買爵は裕福な者にしかできませんし、新たな邑の建設もそう頻繁にあるわけではありません。
また、後漢末期において国家の慶事で賜爵が行われたのは、
- 桓帝の建和元年(147年)正月
- 霊帝の建寧元年(168年)2月
- 献帝の建安20年(215年)正月
の3度だけですので、爵位を得る機会が最も多いのは戦争に従軍した時と言えるでしょう。
参考文献
- 二十等爵(维基百科)(後漢王朝の賜爵一覧表:中国語)
- 藤田高夫「漢代の軍功と爵制」