後漢・三国時代の司徒の職務と司徒府の属官・属吏についてまとめています。
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司徒(しと)
職務
司徒は三公の1つに数えられる官職で、民生全般(人民の生活・生計)を担当する官職です。
司徒は、民に父母や目上の者を敬い、他者にへりくだり、お互いにゆずり合い慎ましく生きることを大切にし、葬礼を重んじることを教化するための法制を検討し、法令を定め、それらの成果について年末に天子に奏上して賞罰を行います。
また、郊祭(郊祀)においては、供えられる生贄を検め清める作業を監督し、天子崩御の葬礼(大喪)では棺を捧げ持ちます。
また、国家に重大なことがあれば太尉・司空と協議し、天子に重大な過ちがあれば、太尉・司空と共にこれを諫めます。
前漢・韓嬰の『韓詩外伝』には、
「司徒は人を掌る。君臣の関係が正常でなく、道徳が乱れ、国に盗賊が横行し、民が統治者に怨みを抱けば、司徒の責任である」
とあります。
また、司徒は太僕・廷尉・大鴻臚の3つの卿を管轄します。
基本情報
詳細が不明の箇所は空白にしています。
後漢 | 魏 | 蜀 | 呉 | |
---|---|---|---|---|
定員 | 1人 | 1人 | 1人 | 1人 |
秩石 品秩 |
公 (万石) |
一品 | ||
印綬 | 金印紫綬 |
司徒の変遷
前漢の元寿2年(紀元前1年)、哀帝は丞相を廃して大司徒に、御史大夫を廃して大司空とし、大司馬、大司徒、大司空を三公としました。
そして、後漢の世祖(光武帝)は、前漢にならって大司馬、大司徒、大司空の3職を三公としていましたが、建武27年(51年)にこれらの呼称から「大」の字を除くことにします。
ですが、この時すでに司馬という官職が存在していたため大司馬を太尉とし、太尉・司徒・司空を三公としました。
他の官職についてはこちら
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司徒府
構成
以下は『続漢書』百官志と「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を基に作成しています。【】内は【定員・官秩・品秩】で、[]内はそれぞれの王朝での情報になります。
『続漢書』百官志と『三国官職表』で情報が違う場合は、()内に『三国官職表』の情報を記載します。
補佐官
属吏の筆頭。司徒の補佐をする。
- 長史【1名・千石・六品】
[後漢=○・魏=○・蜀=?・呉=?]
軍隊
部隊の指揮をとる。
- 司馬【1名・千石・六品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?]
参謀・幕僚
参謀として作戦・用兵などの計画を立案する。
- 軍師【1名・-・五品】
[後漢=?・魏=○・蜀=×・呉=×] - 従事中郎【2名・千石・六品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?] - 参軍【2名・-・七品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?] - 軍議掾【1名・比三百石・七品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?]
事務
文書作成などの事務をする。
- 主簿【1名・-・七品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?]
人事
司徒府の官吏登用に当たる。
- 西曹掾【1名・比四百石・七品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?]
掾・属・舎人
司徒府の属吏。
- 【不明】
参考
『続漢書』百官志には、
- 長史【1名・千石】
- 掾・属【31名】
- 令史・御属【36名】
とあります。
※ 令史は文書を司る官職です。
属官一覧表
詳細が不明の箇所は空白にしていますが、他の史料で情報を見つけ次第随時追記します。
官職名下の数字は定員です。
官職名 | 官秩 | 備考 | |
---|---|---|---|
品秩 | |||
軍師 (1) |
|
||
五品 | |||
長史 (1) |
千石 |
|
|
六品 | |||
司馬 (1) |
千石 |
|
|
六品 | |||
従事中郎 (2) |
六百石 |
|
|
六品 | |||
主簿 (1) |
|
||
七品 | |||
参軍 (2) |
|
||
七品 | |||
西曹掾 (1) |
比四百石 |
|
|
七品 | |||
軍議掾 (1) |
比三百石 |
|
|
七品 | |||
掾・属・舎人 (不明) |
|
||
他の官職についてはこちら
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【後漢・三国】司徒一覧表
後漢
大司徒
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
光武帝 | 鄧禹 | 25年〜27年 |
伏湛 | 27年〜29年 | |
侯覇 | 29年〜37年 | |
韓歆 | 37年〜39年 | |
欧陽歙 | 39年 | |
戴渉 | 40年〜44年 | |
蔡茂 | 44年〜47年 | |
玉況 | 47年〜51年 |
司徒
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
光武帝 | 馮勤 | 51年〜56年 |
光武帝 | 李訢 | 56年〜60年 |
明帝 | ||
明帝 | 郭丹 | 60年〜61年 |
范遷 | 61年〜65年 | |
虞延 | 65年〜71年 | |
邢穆 | 71年〜73年 | |
王敏 | 73年〜74年 | |
明帝 | 鮑昱 | 74年〜79年 |
章帝 | ||
章帝 | 桓虞 | 79年〜87年 |
章帝 | 袁安 | 87年〜92年 |
和帝 | ||
丁鴻 | 92年〜94年 | |
劉方 | 94年〜97年 | |
呂蓋 | 97年〜101年 | |
魯恭 | 102年〜104年 | |
張酺 | 104年 | |
和帝 | 徐防 | 106年〜107年 |
殤帝 | ||
殤帝 | 梁鮪 | 106年〜107年 |
安帝 | ||
安帝 | 魯恭 | 107年—109年 |
李脩 | 111年〜114年 | |
夏勤 | 109年〜116年 | |
劉愷 | 116年〜121年 | |
楊震 | 121年〜123年 | |
劉熹 | 123年〜125年 | |
順帝 | 李郃 | 125年〜126年 |
朱倀 | 126年〜127年 | |
許敬 | 127年〜129年 | |
劉崎 | 130年〜134年 | |
黃尚 | 134年〜138年 | |
劉寿 | 138年〜142年 | |
順帝 | 胡広 | 142年〜146年 |
沖帝 | ||
質帝 | ||
桓帝 | ||
桓帝 | 趙戒 | 146年〜147年 |
袁湯 | 147年〜149年 | |
張歆 | 149年〜151年 | |
呉雄 | 151年〜153年 | |
黄瓊 | 153年〜154年 | |
尹頌 | 154年〜157年 | |
韓演 | 157年〜159年 | |
祝恬 | 159年〜160年 | |
盛允 | 160年〜161年 | |
种暠 | 161年〜163年 | |
許栩 | 163年〜166年 | |
桓帝 | 胡広 | 166年〜168年 |
霊帝 | ||
霊帝 | 劉寵 | 168年〜169年 |
許訓 | 169年〜171年 | |
橋玄 | 171年 | |
許栩 | 171年〜173年 | |
袁隗 | 173年〜176年 | |
楊賜 | 176年〜178年 | |
袁滂 | 178年〜179年 | |
劉郃 | 179年 | |
楊賜 | 180年〜181年 | |
陳耽 | 181年〜182年 | |
袁隗 | 182年〜185年 | |
崔烈 | 185年〜187年 | |
許相 | 187年〜188年 | |
霊帝 | 丁宮 | 188年〜189年 |
少帝 | ||
少帝 | 黃琬 | 189年〜190年 |
献帝 | 楊彪 | 190年 |
王允 | 190年〜192年 | |
趙謙 | 192年 | |
淳于嘉 | 192年〜194年 | |
趙温 | 194年〜208年 |
魏
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
曹丕 | 華歆 | 220年〜226年 |
曹丕 | 王朗 | 226年〜228年 |
曹叡 | ||
曹叡 | 董昭 | 230年〜236年 |
陳矯 | 237年 | |
韓曁 | 238年 | |
曹叡 | 衛臻 | 238年〜248年 |
曹芳 | ||
曹芳 | 高柔 | 249年〜256年 |
曹髦 | ||
曹髦 | 鄭沖 | 256年〜263年 |
曹奐 | ||
曹奐 | 鍾会 | 264年 |
何曾 | 264年〜265年 | |
司馬望 | 265年 |
蜀漢
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
劉備 | 許靖 | 221年〜222年 |
呉
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
孫亮 | 諸葛誕 | 257年〜258年 |
孫皓 | 丁固 | 268年〜273年 |
姓不明:燮 | ?〜276年〜? | |
何植 | 279年〜280年 |