陶謙(とうけん)の配下に父・曹嵩(そうすう)を殺害されたことで、これを陶謙(とうけん)の責任として徐州(じょしゅう)に攻め込んだ曹操(そうそう)。 ですが、本拠地の兗州(えんしゅう)で呂布(りょふ)・陳宮(ちんきゅう)ら・・・
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【039】兗州の反乱に曹操は兵を退き、劉備が小沛に駐屯する
曹操(そうそう)軍の来襲に、青州(せいしゅう)・北海国(ほっかいこく)の孔融(こうゆう)に援軍を求めた陶謙(とうけん)ですが、北海国(ほっかいこく)でも反乱が起こり、陶謙(とうけん)を救援する余裕はなくなってしまいました・・・
「鮑信伝」早すぎる死を惜しまれた曹操の盟友
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では「汜水関(しすいかん)攻めの際に抜け駆けをして華雄(かゆう)に敗北を喫(きっ)した無能な将」として描かれている鮑信(ほうしん)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
青州黄巾はなぜ曹操に降伏したのか。曹操と青州兵の関係とは
初平(しょへい)2年(191年)、青州(せいしゅう)黄巾(こうきん)は冀州(きしゅう)・勃海郡(ぼっかいぐん)に侵攻して公孫瓚(こうそんさん)に撃ち破られましたが、捕虜となった一部の兵を除いて公孫瓚(こうそんさん)に降伏・・・