少帝(しょうてい)を廃位して陳留王(ちんりゅうおう)を天子に即位させようとした董卓(とうたく)に反対した袁紹(えんしょう)の運命は…。
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暴君になったのは○○のせい!?朝廷で権力を握った董卓の思惑とは
朝廷で権力を握った董卓(とうたく)は、天子の廃立に始まり数々の略奪・暴行を働いたために、袁紹(えんしょう)を盟主とする反董卓(とうたく)連合が結成されました。では、なぜ董卓(とうたく)は諸侯の反感を買うようなことをしたの・・・
太っ腹!親分肌の董卓が洛陽に入るまで。董卓の評判と心境の変化
暴虐非道な暴君というイメージが強い董卓(とうたく)ですが、若い頃は太っ腹な親分肌であったことは有名です。ではなぜ朝廷での董卓(とうたく)の評判が悪かったのでしょうか? 董卓(とうたく)が洛陽(らくよう)に入るまでの動向か・・・
【三国志年表詳細】188年の主な出来事と三国志群雄勢力図
188年【漢:中平(ちゅうへい)5年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
【013】連れ去られた少帝と陳留王のゆくえと董卓による朝廷支配
大将軍(だいしょうぐん)・何進(かしん)の仇討ちとばかりに宮中に突入した袁紹(えんしょう)たちは悲願の宦官一掃に成功しましたが、後漢の天子・少帝(しょうてい)と陳留王(ちんりゅうおう)は、十常侍(じゅうじょうじ)・張讓(・・・
【012】十常侍たちの謀略にハマった何進と決行された宦官一掃計画
何太后(かたいごう)に宦官(かんがん)一掃を認めさせるため、何進(かしん)はついに洛陽(らくよう)に諸豪族を呼び寄せることを決定しました。そこへ進み出た曹操(そうそう)は、一体何を言い出すのでしょうか?