王允(おういん)と貂蝉(ちょうせん)による「連環の計」が『三国志演義』の創作であることは有名ですが、では、正史『三国志』では、董卓(とうたく)はどのような最期を迎えたのでしょうか。
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【021】虎牢関の戦い:三英雄(劉備・関羽・張飛)が呂布と戦い敗走させる
関羽(かんう)の活躍で華雄(かゆう)を討ち取った十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)は、ついに董卓(とうたく)が守る虎牢関(ころうかん)に駒を進めます。ですが、そこには猛将・呂布(りょふ)が待ち受けていました。
董卓軍の敗因は呂布の裏切りだった!?陽人の戦いと孫堅の洛陽入り
191年2月、ついに孫堅(そんけん)が洛陽(らくよう)に向けて進軍を開始しました。反董卓(とうたく)連合の初勝利となった「陽人(ようじん)の戦い」から、孫堅(そんけん)が洛陽(らくよう)に入るまでをまとめています。
【三国志年表詳細】189年の主な出来事と三国志群雄勢力図
189年【漢:中平(ちゅうへい)6年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。