建安(けんあん)3年(198年)に孫策(そんさく)が行った朝廷工作と、その後の丹楊郡(たんようぐん)(丹陽郡(たんようぐん))平定についてまとめています。
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陳瑀が江東進出を狙う。反故にされた袁術討伐の詔勅
建安(けんあん)2年(197年)夏、朝廷(曹操(そうそう))が呂布(りょふ)・陳瑀(ちんう)・孫策(そんさく)らに降(くだ)した袁術(えんじゅつ)討伐の詔勅(しょうちょく)に端を発した、陳瑀(ちんう)と孫策(そんさく)の・・・
【三国志年表詳細】196年の主な出来事と三国志群雄勢力図
196年【漢:建安(けんあん)元年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
孫策の揚州・会稽郡侵攻。孫策が王朗を降伏させ、会稽太守となる
建安(けんあん)元年(196年)8月、揚州(ようしゅう)・呉郡(ごぐん)を平定して諸県を安定させた孫策(そんさく)は、次の目標を揚州(ようしゅう)・会稽郡(かいけいぐん)に定めました。この「孫策(そんさく)の会稽郡(かい・・・