北海相(ほっかいしょう)(青州(せいしゅう)・北海国(ほっかいこく)の太守(たいしゅ))となってからの孔融(こうゆう)と、袁譚(えんたん)が青州(せいしゅう)を平定するまでの過程についてまとめています。
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袁紹はなぜ献帝を鄴に迎えなかったのか
興平(こうへい)2年(195年)7月、献帝(けんてい)が長安(ちょうあん)を出て東に向かい、司隷(しれい)・河東郡(かとうぐん)・安邑県(あんゆうけん)を都に定めたことを受け、袁紹(えんしょう)は使者として郭図(かくと)・・・
「鮑信伝」早すぎる死を惜しまれた曹操の盟友
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では「汜水関(しすいかん)攻めの際に抜け駆けをして華雄(かゆう)に敗北を喫(きっ)した無能な将」として描かれている鮑信(ほうしん)とは、一体どんな人物だったのでしょうか。
【後漢・三国時代の武官2】中郎将
後漢(ごかん)〜三国時代にかけての中郎将(ちゅうろうしょう)の職務・属官と、後漢(ごかん)・魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)のそれぞれに設置された中郎将(ちゅうろうしょう)とその任官者を一覧表にしています。