興平(こうへい)2年(195年)春、先年の蝗害(こうがい)により停戦していた曹操(そうそう)が再度兗州(えんしゅう)奪還に動きだし、兗州(えんしゅう)を平定するまでについてまとめています。
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【041】濮陽の戦い②|曹操の危機と蝗害による停戦
本拠地である兗州(えんしゅう)の奪還のために徐州(じょしゅう)から引き返して来た曹操(そうそう)ですが、陳宮(ちんきゅう)の助言により2度に渡る大敗北を喫(きっ)し、呂布(りょふ)による追撃を受けていましたが…・・・
李傕と郭汜の争い。李傕が献帝を、郭汜が公卿を人質に取る
初平(しょへい)3年(192年)6月、長安(ちょうあん)を落として朝廷の実権を握った李傕(りかく)と郭汜(かくし)ですが、それぞれ自(みずか)らの功績を誇(ほこ)って権力を争い、興平(こうへい)2年(195年)に入ると、・・・
【三国志年表詳細】194年の主な出来事と三国志群雄勢力図
194年【漢:興平(こうへい)元年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
袁術の誤算。孫策に命じた陸康攻撃と揚州刺史・劉繇との衝突
孫堅(そんけん)死後の孫策(そんさく)の動向と、徐州(じょしゅう)の攻略を目指す袁術(えんじゅつ)と揚州刺史(ようしゅうしし)・劉繇(りゅうよう)が戦うことになった経緯についてまとめています。
「陶謙伝」悪人か善人か?劉備に徐州を譲った老将の評価
『三国志演義(さんごくしえんぎ)』では、民の安寧(あんねい)を願うだけの好好爺(こうこうや)のように描かれ、正史(せいし)『三国志(さんごくし)』を編纂(へんさん)した陳寿(ちんじゅ)の評では「論評に値しない」と酷評(こ・・・