劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の3人の活躍によって、鬼神のように暴れ回っていた呂布(りょふ)を敗走させた8軍の諸侯は、いよいよ攻勢に転じます。
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【021】虎牢関の戦い:三英雄(劉備・関羽・張飛)が呂布と戦い敗走させる
関羽(かんう)の活躍で華雄(かゆう)を討ち取った十八路諸侯(じゅうはちろしょこう)は、ついに董卓(とうたく)が守る虎牢関(ころうかん)に駒を進めます。ですが、そこには猛将・呂布(りょふ)が待ち受けていました。
【三国志年表詳細】190年の主な出来事と三国志群雄勢力図
190年【漢:初平(しょへい)元年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。
失敗した反董卓連合との和睦。董卓はなぜ袁隗・袁基を殺害したのか?
董卓(とうたく)による袁隗(えんかい)・袁基(えんき)の殺害と反董卓(とうたく)連合との和睦(わぼく)交渉の時期は、史料によって異なっています。それぞれの時期に応じて、董卓(とうたく)が袁隗(えんかい)・袁基(えんき)を・・・
弘農王の殺害と長安遷都。反董卓連合の決起に対する董卓の反応
献帝(けんてい)を擁立(ようりつ)して新体制を築きつつある董卓(とうたく)に対し、董卓(とうたく)が任命した諸侯の多くが反旗を翻(ひるがえ)しました。この予想外の事態に、董卓(とうたく)はどのように対応したのでしょうか?
汝南袁氏の家系と「奔走の友」と雌伏した袁紹の青年期
黄巾の乱の際には名前も見えず、霊帝(れいてい)が崩御すると颯爽(さっそう)と現れて「反董卓(とうたく)連合」の盟主になってしまった袁紹(えんしょう)の青年期は、どのようなものだったのでしょうか。
【三国志年表詳細】189年の主な出来事と三国志群雄勢力図
189年【漢:中平(ちゅうへい)6年】に起こった主な出来事をまとめ、それをもとに群雄勢力図を作成しました。人員配置は前年から変更が記されていない官職と、新たに確認できた官職のみ記載しています。