後漢・三国時代の大司馬の職務と大司馬府の属官・属吏についてまとめています。
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大司馬(だいしば)
職務
大司馬は三公の上位に位置する非常置の官職で、軍事の最高職になります。
後漢の初め、光武帝によって大司馬は太尉と名前を変えられて、三公の1つとなりました。
そして189年9月、董卓によって劉虞が大司馬に任命されると、195年5月には李傕が大司馬を自称し、196年8月には献帝が洛陽入りを助けた張楊を大司馬に任命するなど、太尉と大司馬が同時に任命されるようになります。
ですが、この時すでに後漢王朝は各地に群雄が割拠する状態となっており、大司馬は実体を伴わない名目だけの官職になっていました。
以下の情報は、主に魏・蜀・呉が鼎立した三国時代のものになります。
基本情報
詳細が不明の箇所は空白にしています。
後漢 | 魏 | 蜀 | 呉 | |
---|---|---|---|---|
定員 | 1人 | 1人 | 1人 | 1人 |
秩石 品秩 |
上公 (万石) |
一品 | ||
印綬 | 金印紫綬 |
他の官職についてはこちら
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大司馬府
構成
以下は「ちくま学芸文庫『正史 三国志8』三国官職表」を基に作成しています。【】内は【定員・官秩・品秩】、[]内はそれぞれの王朝での情報になります。
参謀・幕僚
参謀として作戦・用兵などの計画を立案する。
- 軍師【1名・-・五品】
[後漢=?・魏=○・蜀=×・呉=×]
補佐官
属吏の筆頭。大司馬の補佐をする。
- 長史【1名・千石・六品】
[後漢=?・魏=○・蜀=○・呉=?]
軍隊
部隊の指揮をとる。
- 司馬【1名・千石・六品】
[後漢=?・魏=○・蜀=○・呉=?]
劉備が大司馬の時、前部司馬、後部司馬、営司馬を置きましたが、蜀の延熙以降、司馬が1名任命されるようになりました。
参謀・幕僚
参謀として作戦・用兵などの計画を立案する。
- 従事中郎【2名・千石・六品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?] - 参軍【2名・-・七品】
[後漢=?・魏=○・蜀=?・呉=?]
事務
文書作成などの事務をする。
主簿【不明】
[後漢=?・魏=○・蜀=○・呉=?]
掾・属・舎人
太傅府の属吏。
- 【不明】
属官一覧表
詳細が不明の箇所は空白にしていますが、他の史料で情報を見つけ次第随時追記します。
官職名下の数字は定員です。
官職名 | 官秩 | 備考 | |
---|---|---|---|
品秩 | |||
軍師 |
|
||
五品 | |||
長史 (1) |
千石 |
|
|
六品 | |||
司馬 (1) |
千石 |
|
|
六品 | |||
従事中郎 (2) |
千石 |
|
|
六品 | |||
参軍 (2) |
|
||
七品 | |||
主簿 (不明) |
|
||
七品 | |||
掾・属・舎人 (不明) |
|
||
他の官職についてはこちら
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【後漢・三国】大司馬一覧表
後漢
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
光武帝 | 呉漢 | 25年~44年 |
献帝 | 劉虞 | 189年〜193年 |
李傕 | 195年〜196年 | |
張楊 | 196年〜198年 |
魏
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
曹丕 | 曹仁 | 221年〜223年 |
曹叡 | 曹休 | 226年〜228年 |
曹真 | 230年〜231年 |
蜀漢
天子 | 名前 | 在位 |
---|---|---|
劉禅 | 蒋琬 | 239年〜246年 |
呉
天子 | 官位 | 名前 | 在位 |
---|---|---|---|
孫権 | 大司馬 | 呂範 | 228年 |
左大司馬 | 朱然 | 246年〜249年 | |
右大司馬 | 全琮 | 246年〜247年 | |
孫亮 | 大司馬 | 呂岱 | 252年〜256年 |
大司馬 | 滕胤 | 256年 | |
孫皓 | 左大司馬 | 施績 (朱績) |
264年〜270年 |
右大司馬 | 丁奉 | 264年-271年 | |
大司馬 | 陸抗 | 273年〜274年 |