『三国志』や『キングダム』、『項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)』など、中国の歴史を題材とした作品の前後関係が分からないまま観ている人も多いのではないでしょうか?
中国の歴代王朝と日本の時代区分を確認し、それぞれの王朝の代表的な作品をご紹介します。

スポンサーリンク

中国の歴代王朝と日本の時代区分

※中国の歴代王朝の境界線と日本の時代の境界線は完全に一致していません。大まかなイメージとしてご覧ください。

西暦 中国   日本
B.C.2070年 三皇五帝(さんこうごてい)   縄文(じょうもん)
B.C.1600年 夏(か)  
 
 
B.C.1046年 商(しょう)(殷(いん))  
 
 
 
 
B.C.770年 周(しゅう)(西周(せいしゅう))  
  弥生(やよい)
 
B.C.403年 春秋(しゅんじゅう) 周(しゅう)
(東周(とうしゅう))
 
 
 
B.C.221年 戦国(せんごく)  
 
B.C.206年 秦(しん)  
A.D.8年 漢(かん)(前漢(ぜんかん))  
 
23年 新(しん)  
220年 漢(かん)(後漢(ごかん))  
 
280年 魏(ぎ) 呉(ご) 蜀(しょく)  
317年 西晋(せいしん)  
439年 五胡十六国(ごこじゅうろっこく) 東晋(とうしん)   古墳(こふん)
589年 南北朝(なんぼくちょう)  
618年 隋(ずい)   飛鳥(あすか)
907年 唐(とう)  
  奈良(なら)
  平安(へいあん)
960年 五代十国(ごだいじゅっこく)  
1271年 宋(そう)(北宋(ほくそう))  
遼(りょう) 宋(そう)
(南宋(なんそう))
  鎌倉(かまくら)
金(きん)  
1368年 元(げん)  
1644年 明(みん)   室町(むろまち)
  安土桃山(あづちももやま)
  江戸(えど)
1912年 清(しん)  
 
  明治(めいじ)
1949年 中華民国(ちゅうかみんこく)   大正(たいしょう)
2021年 中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)   昭和(しょうわ)
  平成(へいせい)
  令和(れいわ)

スポンサーリンク


中国の歴代王朝と代表的な作品

三皇五帝(〜B.C.2000年頃)

古代中国の神話における8人の帝王が存在した時代。三皇五帝(さんこうごてい)に誰を挙げるかは諸説ありますが、代表的な説をご紹介します。

三皇(さんこう):伏義(ふくぎ)、神農(しんのう)、女媧(じょか)

五帝(ごてい):黄帝(こうてい)、顓頊(せんぎょく)、嚳(こく)、尭(ぎょう)、舜(しゅん)


秦(しん)の始皇帝(しこうてい)・嬴政(えいせい)が、中国を統一した後に称した「皇帝(こうてい)」という称号は、三皇五帝(さんこうごてい)より貴(とうと)い存在という意味を込めて、三皇(さんこう)の「皇(こう)」と五帝(ごてい)の「帝(てい)」を合わせて「皇帝(こうてい)」としたと伝えられています。

夏(B.C.2000年頃〜B.C.1600年頃)

夏王朝の勢力範囲

夏(か)王朝全盛期の地図(B.C.2050年頃)


『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』や『史記(しき)』に黄河中流域に存在したと記されている最古の世襲(せしゅう)王朝。尭(ぎょう)、舜(しゅん)の時代、たびたび氾濫(はんらん)を起こす黄河(こうが)の治水に成功した禹(う)が、舜(しゅん)の跡(あと)を継(つ)いで建国したと言われています。

17代桀王(けつおう)の時代、武勇に優れた桀王(けつおう)に降伏した山東(さんとう)の有施氏(ゆうしし)は、末喜(ばっき)という絶世の美女を献上しました。

末喜(ばっき)を寵愛(ちょうあい)した桀王(けつおう)は、末喜(ばっき)の歓心を買うために宮殿や楼台(ろうだい)を増築し、その内装を宝玉で飾り立てます。そして、肉を山のように盛りつけ、干し肉を林のように吊した豪華な宴会を催し、末喜(ばっき)に引き裂く音を聞かせるためだけに毎日100疋(ひき)(200反(たん))の絹(きぬ)を貢(みつ)がせました。

そんな桀王(けつおう)を諫言(かんげん)した関竜逢(かんりゅうほう)は処刑され、関竜逢(かんりゅうほう)を弔(とむら)った商(しょう)(現:河南省(かなんしょう))の湯王(とうおう)は投獄されてしまいます。釈放された湯王(とうおう)は軍を起こして桀王(けつおう)を追放し、すでに桀王(けつおう)から心が離れていた諸侯を従えて商(しょう)を建国しました。

商(殷)(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)

殷(商)王朝の勢力範囲

商(しょう)(殷(いん))の地図(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)


商(しょう)は考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝で、次の周(しゅう)王朝は前王朝の商(しょう)のことを殷(いん)と呼んでいたため、殷(いん)の方が一般的な国号として知られています。

占(うらな)いに基(もと)づく神権政治が行われ、甲骨文字(こうこつもじ)が使われていました。氏族共同体である都市国家が複数存在し、商(しょう)を頂点とする複数の都市国家が連合していた王朝と言えます。


4代太甲王(たいこうおう)の時代、商(しょう)建国の功臣・伊尹(いいん)は暴虐非道(ぼうぎゃくひどう)な行(おこな)いを好む太甲王(たいこうおう)を一時的に追放しました。この伊尹(いいん)と前漢(ぜんかん)の霍光(かくこう)は、後世に皇帝を廃位した前例として語られることになります。

30代紂王(ちゅうおう)の時代、絶世の美女・妲己(だっき)を寵愛(ちょうあい)した紂王(ちゅうおう)は、干し肉を林のようにぶら下げ、酒で満たした池をつくって宴(うたげ)を催(もよお)し、炮烙(ほうらく)という刑罰で罪人が苦しみながら焼け死んでいく様子を見世物として楽しみました。


紂王(ちゅうおう)が三公(さんこう)に謀反の疑いをかけ、九侯(きゅうこう)と鄂侯(がくこう)が処刑されると、残された西伯昌(せいはくしょう)(姫昌(きしょう) / 文王(ぶんおう))の子・姫発(きはつ)(武王(ぶおう))は、諸侯を味方につけて軍を起こし、紂王(ちゅうおう)を自害に追い込んで周(しゅう)を建国します。


紂王(ちゅうおう)が催(もよお)した宴会の様子は「酒池肉林(しゅちにくりん)」の語源となりました。また、夏(か)の桀王(けつおう)と殷(いん)の紂王(ちゅうおう)は、暴君の代名詞となっています。

この殷(いん)代末期の殷周革命(いんしゅうかくめい)を舞台にした作品に、文王(ぶんおう)に仕えた姜子牙(きょうしが)(太公望(たいこうぼう))が活躍する『封神演義(ほうしんえんぎ)』があります。

殷(いん)(商(しょう))時代の代表的な作品

中国ドラマ『封神演義(ほうしんえんぎ)』(原題:『封神傍之鳳鳴岐山』)
監督:金国釗(ジン・グオジャオ)


漫画『封神演義(ほうしんえんぎ)』/ 集英社
作者:藤崎竜(ふじさきりゅう)


漫画『殷周伝説(いんしゅうでんせつ)・太公望伝奇(たいこうぼうでんき)』/ 潮出版社
作者:横山光輝(よこやまみつてる)


小説『封神演義(ほうしんえんぎ)』/ 講談社文庫
翻訳:安能務(あのうつとむ)

周(西周)(B.C.1046年頃〜B.C.770年)

周(西周)王朝の勢力範囲

周(しゅう)(西周(せいしゅう))の地図(B.C.1047年頃〜B.C.771年)


周(しゅう)を建国した武王(ぶおう)は建国後まもなく亡くなってしまいますが、武王(ぶおう)の弟・周公旦(しゅうこうたん)が跡を継いだ成王(せいおう)を支えて諸侯をまとめ、封建制による支配を確立します。

12代幽王(ゆうおう)の時代、幽王(ゆうおう)は絶世の美女・褒姒(ほうじ)を寵愛(ちょうあい)するあまり、民心を失ってしまいました。

そして、幽王(ゆうおう)が皇后(こうごう)の申氏(しんし)を廃位するに至ると、怒った申侯(しんこう)は西方の異民族(犬戎(けんじゅう))と連合して反乱を起こし、敗北した周(しゅう)は鎬京(こうけい)(長安(ちょうあん))から洛邑(らくゆう)(洛陽(らくよう))に首都を移します。

春秋戦国時代(B.C.770年〜B.C.221年)

春秋(しゅんじゅう)時代

春秋時代の地図

春秋(しゅんじゅう)時代の地図(B.C.770〜B.C.403)


周(しゅう)の敗北によってその支配力は低下し、多数の諸侯が並び立つ群雄割拠の時代に突入します。

周(しゅう)の他に晋(しん)・燕(えん)・衛(えい)・魯(ろ)・鄭(てい)・曹(そう)・秦(しん)・斉(せい)・楚(そ)・宋(そう)・陳(ちん)・蔡(さい)・呉(ご)・越(えつ)などの諸侯が互いに争いを繰り返し、その中でも大きな勢力を誇っていた晋(しん)が、韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)の3国に分かれました。

この、晋(しん)が3国に分かれる以前を「春秋(しゅんじゅう)時代」、分かれた以後を「戦国時代」と言います。

戦国(せんごく)時代

戦国時代の地図

戦国時代の地図(B.C.403〜B.C.221)


その後、諸侯は戦国七雄と呼ばれる秦(しん)・韓(かん)・趙(ちょう)・魏(ぎ)・楚(そ)・秦(しん)・斉(せい)の7国に淘汰(とうた)され、この頃になると、七雄の君主それぞれが「王」を称するようになりました。

またこの頃になると、鉄製の農具の発展によって食料の増産が進むようになります。

B.C.247年、秦(しん)王・嬴政(えいせい)が13歳で即位すると、B.C.230年には韓(かん)を、B.C.228年には趙(ちょう)を、B.C.225年には魏(ぎ)を、B.C.223年には楚(そ)を、B.C.222年には燕(えん)を、そしてB.C.221年には斉(せい)を滅ぼし、中国史上初めての統一王朝「秦(しん)」が誕生しました。


礼儀と徳に基づいた秩序を重んじる儒教の始祖・孔子(こうし)や、戦争における軍略や政略などの兵法を編み出した孫子(そんし)など、後の中国の思想や哲学に多大な影響を与えた「諸子百家(しょしひゃっか)」と呼ばれる学者や学派が多数現れたのはこの時代です。

関連記事

古代中国思想「諸子百家」と後漢が奨励した儒教(儒家)の影響

春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)時代の代表的な作品

中国ドラマ『恕(じょ)の人-孔子(こうし)伝-』(原題:『孔子(こうし)』)
監督:ハン・ガン


中国ドラマ『大秦帝国(だいしんていこく)』(原題:『大秦帝国(だいしんていこく)』)
監督:黄健中(ホアン・ジェンジョン)


漫画『東周英雄伝(とうしゅうえいゆうでん)』/ 講談社
作者:鄭問(チェンウェン)


漫画『キングダム』/ 集英社
作者:原泰久(はらやすひさ)

秦(B.C.221年〜B.C.206年)

秦王朝の地図

秦(しん)の地図(B.C.210年頃)


秦(しん)の始皇帝(しこうてい)(嬴政(えいせい))は、度量衡(どりょうこう)や文字を統一し、封建制よりも中央集権の性格が強い郡県制を導入します。

また一方で、北方騎馬民族の侵入に備えた万里の長城や、壮大な宮殿・阿房宮(あぼうきゅう)、秦始皇帝陵(しんしこうていりょう)や兵馬俑(へいばよう)を建設したことに加え、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)による思想の弾圧によって、民衆の不満が高まっていきました。

B.C.206年、巡幸中に始皇帝(しこうてい)が亡くなると、跡を継いだ二世皇帝・胡亥(こがい)は丞相(じょうしょう)・李斯(りし)と宦官(かんがん)・趙高(ちょうこう)の傀儡(かいらい)となって暴政を行い「陳勝(ちんしょう)・呉広(ごこう)の乱」を引き起こします。

この「陳勝(ちんしょう)・呉広(ごこう)の乱」は秦(しん)によって鎮圧されたものの、反秦(しん)勢力は楚(そ)の国を復興して秦(しん)と戦い続けました。この戦いで活躍したのが、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)です。

秦(しん)の首都・咸陽(かんよう)を落とし、胡亥(こがい)の跡を継いだ秦王(しんおう)・子嬰(しえい)を降伏させた劉邦(りゅうほう)は、その後に起こった項羽(こうう)との争い(楚漢(そかん)戦争)に勝利して漢(かん)(前漢(ぜんかん))を建国しました。

秦(しん)時代の代表的な作品

中国ドラマ『項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう) King’s War』(原題:『楚漢伝奇』)
監督:高希希(ガオ・シーシー)


漫画『項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)』/ 潮出版社
作者:横山光輝(よこやまみつてる)


小説『項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)』/ 新潮文庫
作者:司馬遼太郎(しばりょうたろう)

前漢(B.C.206年〜A.D.8年)

前漢の地図

前漢(ぜんかん)の地図(B.C.206年〜A.D.8年)


高祖(こうそ)(劉邦(りゅうほう))は大きな力を持つ建国の功臣たちを粛清し、親族を諸侯王(しょこうおう)に封じて、郡県制と封建制が混在する郡国制を導入し、劉(りゅう)氏による支配体制を強化しました。

ですが高祖(こうそ)の死後、高祖(こうそ)の皇后(こうごう)・呂后(りょこう)(呂雉(りょち))の一族が実権を握るようになったため、5代皇帝・文帝(ぶんてい)の頃より諸侯王(しょこうおう)の権限を縮小する政策を行います。

また、7代皇帝・武帝(ぶてい)は郷挙里選(きょうきょりせん)という人材登用制度を採用し、秦(しん)の時代から版図(はんと)を広げ、西域(せいいき)との交易(シルクロード)が可能となりました。

前漢(ぜんかん)時代の代表的な作品

中国ドラマ『劉邦(りゅうほう)の大風歌(たいふうか) –巻建国記(かんけんこくき)-』(原題:『大风歌』)
監督:ホアン・ジェンチョン

新(8年〜25年)

前漢(ぜんかん)第14代皇帝・平帝(へいてい)が亡くなると、外戚の王莽(おうもう)はわずか2歳の劉嬰(りゅうえい)を皇太子に立て、自分は「摂皇帝」として実権を掌握します。8年、王莽(おうもう)は「高祖(こうそ)の霊から禅譲(ぜんじょう)を受けた」として皇帝に即位し、新(しん)を建国しました。

ですが、王莽(おうもう)の行った古典を重んじた理想主義的な政策は国内の混乱を招き、「呂母(りょぼ)の乱」を切っ掛けに新(しん)に不満を持つ民衆や豪族が蜂起することになり、王莽(おうもう)は殺され、この反乱を鎮圧した皇族傍系(ぼうけい)の劉秀(りゅうしゅう)が、漢(かん)を再興しました。

後漢(25年〜220年)

後漢の地図

後漢(ごかん)の地図(25年〜220年)


光武帝(こうぶてい)(劉秀(りゅうしゅう))によって再興された漢(かん)(後漢(ごかん))の皇帝は早世することが多く、4代皇帝・和帝(わてい)以降幼少の皇帝が続き、外戚が政治の実権を握るようになりました。

そして、11代皇帝・桓帝(かんてい)の時代、宦官の力を借りて外戚の排除に成功すると、宦官に特権が与えられるようになり、宦官たちは賄賂(わいろ)を横行させて私腹を肥やすことに夢中になります。

これによって、漢(かん)(後漢(ごかん))の国力は弱体化し、異民族の侵入や国内の反乱が多発するようになり、184年には大規模な農民反乱である黄巾(こうきん)の乱を引き起こしました。

魏晋南北朝時代

三国(さんごく)時代(220年〜280年)

三国時代の地図

三国時代の地図(220年〜280年)


12代皇帝・霊帝(れいてい)の死後、朝廷で権力を握った董卓(とうたく)に反発する諸侯によって群雄割拠の状態となります。

その後、いち早く14代皇帝・献帝(けんてい)を保護した曹操(そうそう)が河北一帯を支配して魏王(ぎおう)となると、跡を継いだ曹丕(そうひ)が献帝(けんてい)から禅譲(ぜんじょう)を受けて魏(ぎ)を建国しました。

ですが、それを認めない劉備(りゅうび)が蜀(しょく)を、孫権(そんけん)が呉(ご)を建国し、3国が鼎立(ていりつ)する三国時代が訪れます。

帝位に就(つ)いた魏(ぎ)の曹丕(そうひ)は、郷挙里選(きょうきょりせん)に代わる人材登用制度として九品官人法(きゅうひんかんじんほう)を採用しました。

魏(ぎ)では、皇帝・曹丕(そうひ)が在位6年で亡くなり、跡を継いだ皇帝も皆(みな)早世すると、配下の司馬懿(しばい)が実権を握るようになります。

魏(ぎ)は263年に蜀(しょく)を降伏させると、司馬炎(しばえん)が魏(ぎ)の皇帝・曹奐(そうかん)から禅譲(ぜんじょう)を受けて晋(しん)を建国し、280年には呉(ご)を降伏に追い込みました。

三国時代の代表的な作品

中国ドラマ『三国志(さんごくし)』(原題:『三国演义』)
監督:王扶林(ワン・フーリン)


中国ドラマ『三国志(さんごくし) Three Kingdoms』(原題:『三國』)
監督:高希希(ガオ・シーシー)


漫画『三国志(さんごくし)』/ 潮出版社
作者:横山光輝(よこやまみつてる)


漫画『蒼天航路(そうてんこうろ)』/ 講談社
原作・原案:李學仁(イ・ハギン)
作画:王欣太(KING☆GONTA)


小説『三国志(さんごくし)』/ 講談社
作者:吉川英治(よしかわえいじ)

晋(しん)(西晋(せいしん))(280年〜317年)

武帝(ぶてい)(司馬炎(しばえん))の死後、暗愚(あんぐ)な恵帝(けいてい)が跡を継ぐと、外戚の楊駿(ようしゅん)による専横が顕著(けんちょ)になり、これに反発する諸侯王(しょこうおう)による「八王の乱」を招(まね)きました。

五胡十六国(ごこじゅうろっこく)時代(317年〜439年)

五胡十六国時代の地図

五胡十六国(ごこじゅうろっこく)時代の地図


「八王の乱」をきっかけに晋(しん)に従っていた異民族たちが反乱を起こすと、首都・洛陽(らくよう)に続いて長安(ちょうあん)も陥落した晋(しん)(西晋(せいしん))は滅び、司馬懿(しばい)のひ孫に当たる司馬睿(しばえい)が建康(けんこう)(建業(けんぎょう))に首都を移して東晋(とうしん)を建国しました。

この時反乱を起こした匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、羯(けつ)、羌(きょう)、氐(てい)の5つの異民族を「五胡(ごこ)」、彼らが建国した国を総称して「十六国(じゅうろっこく)」と言います。

南北朝(なんぼくちょう)時代(439年〜589年)

その後、鮮卑族(せんぴぞく)が建国した北魏(ほくぎ)が華北(かほく)を統一しますが、やがて東魏(とうぎ)と西魏(せいぎ)に分裂し、東魏(とうぎ)は北斉(ほくせい)に、西魏(せいぎ)は北周(ほくしゅう)に取って代わられ、577年には北周(ほくしゅう)が北斉(ほくせい)を滅ぼして、再び華北(かほく)を統一しました。

その間江南(こうなん)では、東晋(とうしん) → 宋(そう) → 斉(せい) → 梁(りょう) → 陳(ちん)と王朝が交代していましたが、北周(ほくしゅう)から禅譲(ぜんじょう)を受けた隋(ずい)の侵攻を受け、中国大陸は鮮卑(せんぴ)系の隋(ずい)によって統一されました。

南北朝時代の代表的な作品

中国ドラマ『北魏馮太后(ほくぎふうたいごう)』(原題:『北魏馮太后』)
監督:ウェイ・ハンタオ

隋(589年〜618年)

隋の地図

隋(ずい)の地図


隋(ずい)は人材登用制度として科挙(かきょ)を導入したことと、日本が遣隋使(けんずいし)を派遣したことで有名ですが、わずか30年足らずで滅びてしまった短命な王朝でした。

2代皇帝・煬帝(ようだい)が行った大規模な土木事業と周辺国への盛んな遠征は民衆の疲弊と不満を招き、各地で反乱を起こした豪族たちは群雄化していきます。

煬帝(ようだい)はその現実から逃避して江南(こうなん)に行幸し、酒色に耽(ふけ)るようになりました。

隋(ずい)時代の代表的な作品

中国ドラマ『隋唐演義(ずいとうえんぎ) 〜集(つど)いし46人の英雄と滅びゆく帝国〜』(原題:『隋唐演義(ずいとうえんぎ)』)
監督:鍾少雄(ビリー・チョン)

唐(618年〜907年)

唐の地図

唐(とう)の最大版図(660年頃)


618年、煬帝(ようだい)が殺害されると、群雄の1人である李淵(りえん)は自(みずか)ら擁立(ようりつ)した恭帝(きょうてい)から禅譲(ぜんじょう)を受け、唐(とう)を建国しました。高祖(こうそ)(李淵(りえん))の出自については、鮮卑(せんぴ)族とする説と漢民族とする両方の説があります。

2代皇帝・太宗(たいそう)(李世民(りせいみん))、3代皇帝・高宗(こうそう)(李治(りち))の時代には、北方異民族の突厥(とっけつ)や、高句麗(こうくり)征伐を成し遂(と)げ、異民族に対して唐(とう)の法律や慣習を強制しない羈縻政策(きびせいさく)によって従属させました。


その後、3代皇帝・高宗(こうそう)(李治(りち))の皇后(こうごう)・武則天(ぶそくてん)(則天武后(そくてんぶこう))が帝位を簒奪(さんだつ)し、国号を「周(しゅう)」と改める「武周革命(ぶしゅうかくめい)」が起こりましたが、武則天(ぶそくてん)が退位すると、高宗(こうそう)の子・中宗(ちゅうそう)(李顕(りけん))が再び帝位に就きます。

9代皇帝・玄宗(げんそう)(李隆基(りりゅうき))の時代は開元(かいげん)の治(ち)と呼ばれる全盛期を迎えますが、玄宗(げんそう)が楊貴妃(ようきひ)を溺愛(できあい)するようになると、辺境を守る節度使(せつどし)の反乱・安史(あんし)の乱を招(まね)いてしまいました。

安史(あんし)の乱によって疲弊(ひへい)した唐(とう)は次第に征服した土地を失(うしな)い、国内でも反乱が続発するようになると、黄巣(こうそう)の乱で頭角を現した朱全忠(しゅぜんちゅう)によって滅亡に追いやられました。

有名な詩人、杜甫(とほ)、李白(りはく)、王維(おうい)たちが活躍し、日本から「遣唐使(けんとうし)」が送られていたのはこの時代です。

唐(とう)時代の代表的な作品

中国ドラマ『楊貴妃(ようきひ)』(原題:『大唐芙蓉園』)
総監督:リュウ・ビン
監督:シュウ・ショウブン


中国ドラマ『剣武侠侶(けんぶきょうりょ)』
監督:ビリー・チョン


中国ドラマ『西遊記(さいゆうき)』
監督:楊浩(ヤン・ジエ)

五代十国時代(907年〜960年)

五代十国時代の地図

五代十国(ごだいじゅっこく)時代の地図


唐(とう)の滅亡後、各地の節度使(せつどし)が独立して群雄化すると、中国大陸はまた戦乱の時代になります。

この時代、華北(かほく)には、後梁(こうりょう)、後唐(こうとう)、後晋(こうしん)、後漢(こうかん)、後周(こうしゅう)の5つの国が興(おこ)り、江南(こうなん)を中心に前蜀(ぜんしょく)、後蜀(こうしょく)、呉(ご)、南唐(なんとう)、荊南(けいなん)、呉越(ごえつ)、閩(びん)、楚(そ)、南漢(なんかん)、北漢(ほくかん)の10の国が興(おこ)ったことから、この時代を五代十国(ごだいじゅっこく)時代と言います。

宋(960年〜1279年)

北宋(ほくそう)(960年〜1127)

北宋の地図

宋(そう)(北宋(ほくそう))の地図


960年、五代(ごだい)最後の王朝・後周(こうしゅう)に仕える趙匡胤(ちょうきょういん)が禅譲(ぜんじょう)を受けて宋(そう)を建国します。

そして、唐(とう)の失敗に学んだ宋(そう)は、節度使(せつどし)の権限の縮小と科挙(かきょ)の改革を行って武断政治から文治政治への転換を図ると、次々に十国(じゅっこく)を滅ぼし、979年、2代皇帝・太宗(たいそう)の時代に中国大陸の統一を果たしました。

またこの頃北方には、モンゴル系の契丹(きったん)族による「遼(りょう)」、チベット系のタングート族(羌(きょう)族)による「西夏(せいか)」が建国されていました。

遼(りょう)の侵攻を受けた宋(そう)はこれを撃退することができず、毎年絹20万疋(ひき)・銀10万両を贈ることで不戦同盟を結びました。

宋(そう)(北宋(ほくそう))時代の代表的な作品

中国ドラマ『大敦煌(だいとんこう)–西夏来襲(せいからいしゅう)-』
監督:陳家林(チェン・ジアリン)


中国ドラマ『水滸伝(すいこでん)』
監督:鞠覚亮(ジュ・ジャオリァン)


漫画『水滸伝(すいこでん)』/ 潮出版社
作者:横山光輝(よこやまみつてる)

南宋(なんそう)(1127年〜1279年)

金・宋(南宋)の地図

金(きん)・宋(そう)(南宋(なんそう))の地図


1115年、ツングース系の女真(じょしん)族による「金(きん)」が建国されると、金(きん)は遼(りょう)を滅ぼしてさらに南下。

1126年の靖康(せいこう)の変によって首都・開封(かいほう)は陥落し、9代皇帝・欽宗(きんそう)は捕らえられ、宋(そう)(北宋(ほくそう))は滅ぼされました。

これを受け、翌年の1127年、欽宗(きんそう)の弟・高宗(こうそう)は南京(なんきん)で即位して宋(そう)を再興します。これが南宋(なんそう)です。

元(1271年〜1368年)

元の地図

元(げん)の地図


モンゴルの遊牧民を統一したテムジンは部族長会議の決定によってチンギス・ハンの称号を受け、1206年にはモンゴル帝国が誕生していました。

モンゴル帝国は華北(かほく)を支配していた西夏(せいか)と金(きん)を滅ぼすと、東ヨーロッパにまで及ぶ広大な地域に領土を広げ、モンゴル皇帝(大ハーン)を中心にチンギス・ハンの子孫を王とする連合国家を形成します。

そして1271年、5代モンゴル皇帝・フビライ・ハンがついに南宋(なんそう)に侵攻し、元(げん)を建国しました。

元(げん)は属国であった高麗(こうらい)とともに、1274年の文永(ぶんえい)の役(えき)と1281年の弘安(こうあん)の役(えき)の2度に渡って日本へも侵攻を行っています。

フビライ・ハンが亡くなり1300年代に入ると、皇帝の座を巡ってモンゴル貴族同士の争いが頻発(ひんぱつ)するようになり、元(げん)は次第に弱体化していきました。

元(げん)時代の代表的な作品

中国ドラマ『大明帝国(だいみんていこく) 朱元璋(しゅげんしょう)』(原題:『朱元璋』)
監督:馮小寧(フォン・シャオニン)

明(1368年〜1644年)

明の地図

明(みん)の地図(1580年)


1351年に起こった紅巾(こうきん)の乱で頭角を現し、江南(こうなん)を支配した朱元璋(しゅげんしょう)(洪武帝(こうぶてい))は、明(みん)を建国。北伐を行って漢民族による中国大陸の統一を果たします。

洪武帝(こうぶてい)は、皇帝1代につき1元号とする一世一元(いっせいいちげん)の制や、領民を把握するために魚鱗図冊(ぎょりんずさつ)(土地台帳)と賦役黄冊(ぶえきこうさつ)(租税・戸籍台帳)を整えて支配体制の強化に務(つと)めると、3代永楽帝(えいらくてい)は積極的に領土を広げ、4代洪熙帝(こうきてい)、5代宣徳帝(せんとくてい)の時代には仁宣(じんせん)の治(ち)と呼ばれる明(みん)の最盛期を迎えます。

その後、北虜南倭(ほくりょなんわ)と呼ばれる外敵の侵入に苦しめられた明(みん)の財政は破綻(はたん)し、李自成(りじせい)の乱という農民反乱によって首都・北京(ぺきん)は陥落、17代皇帝・崇禎帝(すうていてい)は自害して明(みん)は滅びました。

清(1644年〜1912年)

清の地図

清(しん)の最大版図(1820年頃)


1616年に女真(じょしん)族(満州(まんしゅう)族)のヌルハチによって建国された後金(こうきん)は、南モンゴルを征服すると国号を清(しん)に変更。1644年に明(みん)が滅びると南下を開始して李自成(りじせい)を破り、3代皇帝・順治帝(じゅんちてい)の時に中国大陸の統一を果たします。

清(しん)は満州(まんしゅう)族の風習である辮髪(べんぱつ)を強要し、清(しん)に批判的な思想を弾圧する一方で、漢民族と満州(まんしゅう)族を同人数役人に採用する満漢併用制(まんかんへいようせい)を実施して、大多数の漢民族を支配しました。

清(しん)は北モンゴル、チベット、東トルキスタン(新疆(しんきょう))にまで版図を広げますが、やがて産業革命を果たしたヨーロッパ諸国の侵略を受けるようになります。

1900年、外国勢力の排斥を強行する義和団(ぎわだん)の乱が起こると、これを支持した西太后(せいたいごう)は欧米列強に宣戦布告。イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア、日本の8ヶ国によって鎮圧され、これによって列強による分割や港湾の租借がさらに進みました。

清(しん)時代の代表的な作品

中国ドラマ『大敦煌(だいとんこう)–異国介入(いこくかいにゅう)-』
監督:陳家林(チェン・ジアリン)


中国ドラマ『末代皇妃(まつだいこうき)–紫禁城(しきんじょう)の落日(らくじつ)-』
監督:滕文驥(トン・ウエンジー)

中華民国(1912年〜)

1911年、武昌(ぶしょう)で起こった反乱がきっかけとなった辛亥革命(しんがいかくめい)によって、漢民族による民主主義国家の建国を唱(とな)える孫文(そんぶん)が中華民国(ちゅうかみんこく)臨時政府を設立します。

この討伐に当たった清(しん)の袁世凱(えんせいがい)は臨時政府と秘密裏に交渉し、中華民国(ちゅうかみんこく)臨時大総統の地位と引き替えに12代皇帝・宣統帝(せんとうてい)(愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ))を退位させたため、これによって清(しん)は滅亡しました。

清(しん)が滅亡すると、モンゴル、チベット、東トルキスタン(新疆(しんきょう))は次々に独立。愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)は満州(まんしゅう)に亡命して満州国(まんしゅうこく)を建国します。


袁世凱(えんせいがい)の死後、中国大陸は複数の軍閥(ぐんばつ)に分割統治されていましたが、1937年の盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)を発端に日中戦争に突入すると、軍閥(ぐんばつ)たちは協力して日本と戦いました。

その後、太平洋戦争の終結によって日本軍が撤退すると、蔣介石(しょうかいせき)の中国国民党と毛沢東(もうたくとう)の中国共産党の対立が再燃し、ソ連の支援を受けた中国共産党に敗北した中国国民党は、台湾(たいわん)に政府を移しました。

中華民国(ちゅうかみんこく)時代の代表的な作品

中国ドラマ『大敦煌(だいとんこう)–秘宝奪還(ひほうだっかん)-』
監督:陳家林(チェン・ジアリン)

中華人民共和国(1949年〜)

中華人民共和国の地図

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)の地図


1949年、中国国民党に勝利した中国共産党は中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)を建国し、毛沢東(もうたくとう)が主席の座に就(つ)きます。

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)は清(しん)時代の支配地域を自国の領土と主張し、建国と同時に満州(まんしゅう)と内(うち)モンゴルを併合し、東トルキスタン(新疆(しんきょう))に侵攻します。

そして、1951年にはチベット全土を制圧したため、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、チベット亡命政府を打ち立てました。

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)は中国共産党による事実上の一党独裁体制により、その後も拡張主義をとっており、現在でも周辺諸国との領土問題が存在しています。


スポンサーリンク


知っておいた方が絶対面白い!

中国の歴代王朝と代表的な歴史作品の時代背景はご理解いただけましたでしょうか?

動画配信サービスが普及したお陰で、小説や漫画だけでなく、中国ドラマでも中国の歴史を扱った作品に触れる機会が多くなりました。

もちろんどの作品も基礎知識がないまま観ても十分楽しめるのですが、中国では人を説得する時などに過去の出来事や人物の行いを例えに出すことが多いので、中国の歴代王朝の流れと作品の時代背景を頭に入れておくと、より楽しめると思います。

地図出典一覧

中国まるごと百科事典
  • 夏(か)王朝全盛期の地図(B.C.2050年頃)
  • 商(しょう)(殷(いん))の地図(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)
  • 周(しゅう)(西周(せいしゅう))の地図(B.C.1047年頃〜B.C.771年)
  • 春秋(しゅんじゅう)時代の地図(B.C.770〜B.C.403)
  • 戦国(せんごく)時代の地図(B.C.403〜B.C.221)
  • 秦(しん)の地図(B.C.210年頃)
  • 前漢(ぜんかん)の地図(B.C.206年〜A.D.8年)
  • 後漢(ごかん)の地図(25年〜220年)
  • 三国(さんごく)時代の地図(220年〜280年)
世界の歴史まっぷ
  • 五胡十六国(ごこじゅうろっこく)時代の地図
  • 五代十国(ごだいじゅっこく)時代の地図
  • 元(げん)の地図
コトバンク
  • 隋(ずい)の地図
  • 唐(とう)の最大版図(660年頃)
  • 宋(そう)(北宋(ほくそう))の地図
Wikipedia
  • 金(きん)・宋(そう)(南宋(なんそう))の地図
  • 明(みん)の地図(1580年)
  • 清(しん)の最大版図(1820年頃)