『三国志』や『キングダム』、『項羽と劉邦』など、中国の歴史を題材とした作品の前後関係が分からないまま観ている人も多いのではないでしょうか?
中国の歴代王朝と日本の時代区分を確認し、それぞれの王朝の代表的な作品をご紹介します。
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目次
- 1 中国の歴代王朝と日本の時代区分
- 2 中国の歴代王朝と代表的な作品
- 2.1 三皇五帝(〜B.C.2000年頃)
- 2.2 夏(B.C.2000年頃〜B.C.1600年頃)
- 2.3 商(殷)(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)
- 2.4 周(西周)(B.C.1046年頃〜B.C.770年)
- 2.5 春秋戦国時代(B.C.770年〜B.C.221年)
- 2.6 秦(B.C.221年〜B.C.206年)
- 2.7 前漢(B.C.206年〜A.D.8年)
- 2.8 新(8年〜25年)
- 2.9 後漢(25年〜220年)
- 2.10 魏晋南北朝時代
- 2.11 隋(589年〜618年)
- 2.12 唐(618年〜907年)
- 2.13 五代十国時代(907年〜960年)
- 2.14 宋(960年〜1279年)
- 2.15 元(1271年〜1368年)
- 2.16 明(1368年〜1644年)
- 2.17 清(1644年〜1912年)
- 2.18 中華民国(1912年〜)
- 2.19 中華人民共和国(1949年〜)
- 3 知っておいた方が絶対面白い!
中国の歴代王朝と日本の時代区分
※中国の歴代王朝の境界線と日本の時代の境界線は完全に一致していません。大まかなイメージとしてご覧ください。
西暦 | 中国 | 日本 | |||
---|---|---|---|---|---|
B.C.2070年 | 三皇五帝 | 縄文 | |||
B.C.1600年 | 夏 | ||||
B.C.1046年 | 商(殷) | ||||
B.C.770年 | 周(西周) | ||||
弥生 | |||||
B.C.403年 | 春秋 | 周 (東周) |
|||
B.C.221年 | 戦国 | ||||
B.C.206年 | 秦 | ||||
A.D.8年 | 漢(前漢) | ||||
23年 | 新 | ||||
220年 | 漢(後漢) | ||||
280年 | 魏 | 呉 | 蜀 | ||
317年 | 西晋 | ||||
439年 | 五胡十六国 | 東晋 | 古墳 | ||
589年 | 南北朝 | ||||
618年 | 隋 | 飛鳥 | |||
907年 | 唐 | ||||
奈良 | |||||
平安 | |||||
960年 | 五代十国 | ||||
1271年 | 宋(北宋) | ||||
遼 | 宋 (南宋) |
鎌倉 | |||
金 | |||||
1368年 | 元 | ||||
1644年 | 明 | 室町 | |||
安土桃山 | |||||
江戸 | |||||
1912年 | 清 | ||||
明治 | |||||
1949年 | 中華民国 | 大正 | |||
2021年 | 中華人民共和国 | 昭和 | |||
平成 | |||||
令和 |
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中国の歴代王朝と代表的な作品
三皇五帝(〜B.C.2000年頃)
古代中国の神話における8人の帝王が存在した時代。三皇五帝に誰を挙げるかは諸説ありますが、代表的な説をご紹介します。
三皇:伏義、神農、女媧
五帝:黄帝、顓頊、嚳、尭、舜
秦の始皇帝・嬴政が、中国を統一した後に称した「皇帝」という称号は、三皇五帝より貴い存在という意味を込めて、三皇の「皇」と五帝の「帝」を合わせて「皇帝」としたと伝えられています。
夏(B.C.2000年頃〜B.C.1600年頃)
夏王朝全盛期の地図(B.C.2050年頃)
『呂氏春秋』や『史記』に黄河中流域に存在したと記されている最古の世襲王朝。尭、舜の時代、たびたび氾濫を起こす黄河の治水に成功した禹が、舜の跡を継いで建国したと言われています。
17代桀王の時代、武勇に優れた桀王に降伏した山東の有施氏は、末喜という絶世の美女を献上しました。
末喜を寵愛した桀王は、末喜の歓心を買うために宮殿や楼台を増築し、その内装を宝玉で飾り立てます。そして、肉を山のように盛りつけ、干し肉を林のように吊した豪華な宴会を催し、末喜に引き裂く音を聞かせるためだけに毎日100疋(200反)の絹を貢がせました。
そんな桀王を諫言した関竜逢は処刑され、関竜逢を弔った商(現:河南省)の湯王は投獄されてしまいます。釈放された湯王は軍を起こして桀王を追放し、すでに桀王から心が離れていた諸侯を従えて商を建国しました。
商(殷)(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)
商(殷)の地図(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)
商は考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝で、次の周王朝は前王朝の商のことを殷と呼んでいたため、殷の方が一般的な国号として知られています。
占いに基づく神権政治が行われ、甲骨文字が使われていました。氏族共同体である都市国家が複数存在し、商を頂点とする複数の都市国家が連合していた王朝と言えます。
4代太甲王の時代、商建国の功臣・伊尹は暴虐非道な行いを好む太甲王を一時的に追放しました。この伊尹と前漢の霍光は、後世に皇帝を廃位した前例として語られることになります。
30代紂王の時代、絶世の美女・妲己を寵愛した紂王は、干し肉を林のようにぶら下げ、酒で満たした池をつくって宴を催し、炮烙という刑罰で罪人が苦しみながら焼け死んでいく様子を見世物として楽しみました。
紂王が三公に謀反の疑いをかけ、九侯と鄂侯が処刑されると、残された西伯昌(姫昌 / 文王)の子・姫発(武王)は、諸侯を味方につけて軍を起こし、紂王を自害に追い込んで周を建国します。
紂王が催した宴会の様子は「酒池肉林」の語源となりました。また、夏の桀王と殷の紂王は、暴君の代名詞となっています。
この殷代末期の殷周革命を舞台にした作品に、文王に仕えた姜子牙(太公望)が活躍する『封神演義』があります。
殷(商)時代の代表的な作品
中国ドラマ『封神演義』(原題:『封神傍之鳳鳴岐山』)
監督:金国釗(ジン・グオジャオ)
漫画『封神演義』/ 集英社
作者:藤崎竜
漫画『殷周伝説・太公望伝奇』/ 潮出版社
作者:横山光輝
小説『封神演義』/ 講談社文庫
翻訳:安能務
周(西周)(B.C.1046年頃〜B.C.770年)
周(西周)の地図(B.C.1047年頃〜B.C.771年)
周を建国した武王は建国後まもなく亡くなってしまいますが、武王の弟・周公旦が跡を継いだ成王を支えて諸侯をまとめ、封建制による支配を確立します。
12代幽王の時代、幽王は絶世の美女・褒姒を寵愛するあまり、民心を失ってしまいました。
そして、幽王が皇后の申氏を廃位するに至ると、怒った申侯は西方の異民族(犬戎)と連合して反乱を起こし、敗北した周は鎬京(長安)から洛邑(洛陽)に首都を移します。
春秋戦国時代(B.C.770年〜B.C.221年)
春秋時代
春秋時代の地図(B.C.770〜B.C.403)
周の敗北によってその支配力は低下し、多数の諸侯が並び立つ群雄割拠の時代に突入します。
周の他に晋・燕・衛・魯・鄭・曹・秦・斉・楚・宋・陳・蔡・呉・越などの諸侯が互いに争いを繰り返し、その中でも大きな勢力を誇っていた晋が、韓・魏・趙の3国に分かれました。
この、晋が3国に分かれる以前を「春秋時代」、分かれた以後を「戦国時代」と言います。
戦国時代
戦国時代の地図(B.C.403〜B.C.221)
その後、諸侯は戦国七雄と呼ばれる秦・韓・趙・魏・楚・秦・斉の7国に淘汰され、この頃になると、七雄の君主それぞれが「王」を称するようになりました。
またこの頃になると、鉄製の農具の発展によって食料の増産が進むようになります。
B.C.247年、秦王・嬴政が13歳で即位すると、B.C.230年には韓を、B.C.228年には趙を、B.C.225年には魏を、B.C.223年には楚を、B.C.222年には燕を、そしてB.C.221年には斉を滅ぼし、中国史上初めての統一王朝「秦」が誕生しました。
礼儀と徳に基づいた秩序を重んじる儒教の始祖・孔子や、戦争における軍略や政略などの兵法を編み出した孫子など、後の中国の思想や哲学に多大な影響を与えた「諸子百家」と呼ばれる学者や学派が多数現れたのはこの時代です。
関連記事
春秋戦国時代の代表的な作品
中国ドラマ『恕の人-孔子伝-』(原題:『孔子』)
監督:ハン・ガン
中国ドラマ『大秦帝国』(原題:『大秦帝国』)
監督:黄健中(ホアン・ジェンジョン)
漫画『東周英雄伝』/ 講談社
作者:鄭問(チェンウェン)
漫画『キングダム』/ 集英社
作者:原泰久
秦(B.C.221年〜B.C.206年)
秦の地図(B.C.210年頃)
秦の始皇帝(嬴政)は、度量衡や文字を統一し、封建制よりも中央集権の性格が強い郡県制を導入します。
また一方で、北方騎馬民族の侵入に備えた万里の長城や、壮大な宮殿・阿房宮、秦始皇帝陵や兵馬俑を建設したことに加え、焚書坑儒による思想の弾圧によって、民衆の不満が高まっていきました。
B.C.206年、巡幸中に始皇帝が亡くなると、跡を継いだ二世皇帝・胡亥は丞相・李斯と宦官・趙高の傀儡となって暴政を行い「陳勝・呉広の乱」を引き起こします。
この「陳勝・呉広の乱」は秦によって鎮圧されたものの、反秦勢力は楚の国を復興して秦と戦い続けました。この戦いで活躍したのが、項羽と劉邦です。
秦の首都・咸陽を落とし、胡亥の跡を継いだ秦王・子嬰を降伏させた劉邦は、その後に起こった項羽との争い(楚漢戦争)に勝利して漢(前漢)を建国しました。
秦時代の代表的な作品
中国ドラマ『項羽と劉邦 King’s War』(原題:『楚漢伝奇』)
監督:高希希(ガオ・シーシー)
漫画『項羽と劉邦』/ 潮出版社
作者:横山光輝
小説『項羽と劉邦』/ 新潮文庫
作者:司馬遼太郎
前漢(B.C.206年〜A.D.8年)
前漢の地図(B.C.206年〜A.D.8年)
高祖(劉邦)は大きな力を持つ建国の功臣たちを粛清し、親族を諸侯王に封じて、郡県制と封建制が混在する郡国制を導入し、劉氏による支配体制を強化しました。
ですが高祖の死後、高祖の皇后・呂后(呂雉)の一族が実権を握るようになったため、5代皇帝・文帝の頃より諸侯王の権限を縮小する政策を行います。
また、7代皇帝・武帝は郷挙里選という人材登用制度を採用し、秦の時代から版図を広げ、西域との交易(シルクロード)が可能となりました。
前漢時代の代表的な作品
中国ドラマ『劉邦の大風歌 –巻建国記-』(原題:『大风歌』)
監督:ホアン・ジェンチョン
新(8年〜25年)
前漢第14代皇帝・平帝が亡くなると、外戚の王莽はわずか2歳の劉嬰を皇太子に立て、自分は「摂皇帝」として実権を掌握します。8年、王莽は「高祖の霊から禅譲を受けた」として皇帝に即位し、新を建国しました。
ですが、王莽の行った古典を重んじた理想主義的な政策は国内の混乱を招き、「呂母の乱」を切っ掛けに新に不満を持つ民衆や豪族が蜂起することになり、王莽は殺され、この反乱を鎮圧した皇族傍系の劉秀が、漢を再興しました。
後漢(25年〜220年)
後漢の地図(25年〜220年)
光武帝(劉秀)によって再興された漢(後漢)の皇帝は早世することが多く、4代皇帝・和帝以降幼少の皇帝が続き、外戚が政治の実権を握るようになりました。
そして、11代皇帝・桓帝の時代、宦官の力を借りて外戚の排除に成功すると、宦官に特権が与えられるようになり、宦官たちは賄賂を横行させて私腹を肥やすことに夢中になります。
これによって、漢(後漢)の国力は弱体化し、異民族の侵入や国内の反乱が多発するようになり、184年には大規模な農民反乱である黄巾の乱を引き起こしました。
魏晋南北朝時代
三国時代(220年〜280年)
三国時代の地図(220年〜280年)
12代皇帝・霊帝の死後、朝廷で権力を握った董卓に反発する諸侯によって群雄割拠の状態となります。
その後、いち早く14代皇帝・献帝を保護した曹操が河北一帯を支配して魏王となると、跡を継いだ曹丕が献帝から禅譲を受けて魏を建国しました。
ですが、それを認めない劉備が蜀を、孫権が呉を建国し、3国が鼎立する三国時代が訪れます。
帝位に就いた魏の曹丕は、郷挙里選に代わる人材登用制度として九品官人法を採用しました。
魏では、皇帝・曹丕が在位6年で亡くなり、跡を継いだ皇帝も皆早世すると、配下の司馬懿が実権を握るようになります。
魏は263年に蜀を降伏させると、司馬炎が魏の皇帝・曹奐から禅譲を受けて晋を建国し、280年には呉を降伏に追い込みました。
三国時代の代表的な作品
中国ドラマ『三国志』(原題:『三国演义』)
監督:王扶林(ワン・フーリン)
中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』(原題:『三國』)
監督:高希希(ガオ・シーシー)
漫画『三国志』/ 潮出版社
作者:横山光輝
漫画『蒼天航路』/ 講談社
原作・原案:李學仁(イ・ハギン)
作画:王欣太
小説『三国志』/ 講談社
作者:吉川英治
晋(西晋)(280年〜317年)
武帝(司馬炎)の死後、暗愚な恵帝が跡を継ぐと、外戚の楊駿による専横が顕著になり、これに反発する諸侯王による「八王の乱」を招きました。
五胡十六国時代(317年〜439年)
五胡十六国時代の地図
「八王の乱」をきっかけに晋に従っていた異民族たちが反乱を起こすと、首都・洛陽に続いて長安も陥落した晋(西晋)は滅び、司馬懿のひ孫に当たる司馬睿が建康(建業)に首都を移して東晋を建国しました。
この時反乱を起こした匈奴、鮮卑、羯、羌、氐の5つの異民族を「五胡」、彼らが建国した国を総称して「十六国」と言います。
南北朝時代(439年〜589年)
その後、鮮卑族が建国した北魏が華北を統一しますが、やがて東魏と西魏に分裂し、東魏は北斉に、西魏は北周に取って代わられ、577年には北周が北斉を滅ぼして、再び華北を統一しました。
その間江南では、東晋 → 宋 → 斉 → 梁 → 陳と王朝が交代していましたが、北周から禅譲を受けた隋の侵攻を受け、中国大陸は鮮卑系の隋によって統一されました。
南北朝時代の代表的な作品
中国ドラマ『北魏馮太后』(原題:『北魏馮太后』)
監督:ウェイ・ハンタオ
隋(589年〜618年)
隋の地図
隋は人材登用制度として科挙を導入したことと、日本が遣隋使を派遣したことで有名ですが、わずか30年足らずで滅びてしまった短命な王朝でした。
2代皇帝・煬帝が行った大規模な土木事業と周辺国への盛んな遠征は民衆の疲弊と不満を招き、各地で反乱を起こした豪族たちは群雄化していきます。
煬帝はその現実から逃避して江南に行幸し、酒色に耽るようになりました。
隋時代の代表的な作品
中国ドラマ『隋唐演義 〜集いし46人の英雄と滅びゆく帝国〜』(原題:『隋唐演義』)
監督:鍾少雄(ビリー・チョン)
唐(618年〜907年)
唐の最大版図(660年頃)
618年、煬帝が殺害されると、群雄の1人である李淵は自ら擁立した恭帝から禅譲を受け、唐を建国しました。高祖(李淵)の出自については、鮮卑族とする説と漢民族とする両方の説があります。
2代皇帝・太宗(李世民)、3代皇帝・高宗(李治)の時代には、北方異民族の突厥や、高句麗征伐を成し遂げ、異民族に対して唐の法律や慣習を強制しない羈縻政策によって従属させました。
その後、3代皇帝・高宗(李治)の皇后・武則天(則天武后)が帝位を簒奪し、国号を「周」と改める「武周革命」が起こりましたが、武則天が退位すると、高宗の子・中宗(李顕)が再び帝位に就きます。
9代皇帝・玄宗(李隆基)の時代は開元の治と呼ばれる全盛期を迎えますが、玄宗が楊貴妃を溺愛するようになると、辺境を守る節度使の反乱・安史の乱を招いてしまいました。
安史の乱によって疲弊した唐は次第に征服した土地を失い、国内でも反乱が続発するようになると、黄巣の乱で頭角を現した朱全忠によって滅亡に追いやられました。
有名な詩人、杜甫、李白、王維たちが活躍し、日本から「遣唐使」が送られていたのはこの時代です。
唐時代の代表的な作品
中国ドラマ『楊貴妃』(原題:『大唐芙蓉園』)
総監督:リュウ・ビン
監督:シュウ・ショウブン
中国ドラマ『剣武侠侶』
監督:ビリー・チョン
中国ドラマ『西遊記』
監督:楊浩(ヤン・ジエ)
五代十国時代(907年〜960年)
五代十国時代の地図
唐の滅亡後、各地の節度使が独立して群雄化すると、中国大陸はまた戦乱の時代になります。
この時代、華北には、後梁、後唐、後晋、後漢、後周の5つの国が興り、江南を中心に前蜀、後蜀、呉、南唐、荊南、呉越、閩、楚、南漢、北漢の10の国が興ったことから、この時代を五代十国時代と言います。
宋(960年〜1279年)
北宋(960年〜1127)
宋(北宋)の地図
960年、五代最後の王朝・後周に仕える趙匡胤が禅譲を受けて宋を建国します。
そして、唐の失敗に学んだ宋は、節度使の権限の縮小と科挙の改革を行って武断政治から文治政治への転換を図ると、次々に十国を滅ぼし、979年、2代皇帝・太宗の時代に中国大陸の統一を果たしました。
またこの頃北方には、モンゴル系の契丹族による「遼」、チベット系のタングート族(羌族)による「西夏」が建国されていました。
遼の侵攻を受けた宋はこれを撃退することができず、毎年絹20万疋・銀10万両を贈ることで不戦同盟を結びました。
宋(北宋)時代の代表的な作品
中国ドラマ『大敦煌–西夏来襲-』
監督:陳家林(チェン・ジアリン)
中国ドラマ『水滸伝』
監督:鞠覚亮(ジュ・ジャオリァン)
漫画『水滸伝』/ 潮出版社
作者:横山光輝
南宋(1127年〜1279年)
金・宋(南宋)の地図
1115年、ツングース系の女真族による「金」が建国されると、金は遼を滅ぼしてさらに南下。
1126年の靖康の変によって首都・開封は陥落し、9代皇帝・欽宗は捕らえられ、宋(北宋)は滅ぼされました。
これを受け、翌年の1127年、欽宗の弟・高宗は南京で即位して宋を再興します。これが南宋です。
元(1271年〜1368年)
元の地図
モンゴルの遊牧民を統一したテムジンは部族長会議の決定によってチンギス・ハンの称号を受け、1206年にはモンゴル帝国が誕生していました。
モンゴル帝国は華北を支配していた西夏と金を滅ぼすと、東ヨーロッパにまで及ぶ広大な地域に領土を広げ、モンゴル皇帝(大ハーン)を中心にチンギス・ハンの子孫を王とする連合国家を形成します。
そして1271年、5代モンゴル皇帝・フビライ・ハンがついに南宋に侵攻し、元を建国しました。
元は属国であった高麗とともに、1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2度に渡って日本へも侵攻を行っています。
フビライ・ハンが亡くなり1300年代に入ると、皇帝の座を巡ってモンゴル貴族同士の争いが頻発するようになり、元は次第に弱体化していきました。
元時代の代表的な作品
中国ドラマ『大明帝国 朱元璋』(原題:『朱元璋』)
監督:馮小寧(フォン・シャオニン)
明(1368年〜1644年)
明の地図(1580年)
1351年に起こった紅巾の乱で頭角を現し、江南を支配した朱元璋(洪武帝)は、明を建国。北伐を行って漢民族による中国大陸の統一を果たします。
洪武帝は、皇帝1代につき1元号とする一世一元の制や、領民を把握するために魚鱗図冊(土地台帳)と賦役黄冊(租税・戸籍台帳)を整えて支配体制の強化に務めると、3代永楽帝は積極的に領土を広げ、4代洪熙帝、5代宣徳帝の時代には仁宣の治と呼ばれる明の最盛期を迎えます。
その後、北虜南倭と呼ばれる外敵の侵入に苦しめられた明の財政は破綻し、李自成の乱という農民反乱によって首都・北京は陥落、17代皇帝・崇禎帝は自害して明は滅びました。
清(1644年〜1912年)
清の最大版図(1820年頃)
1616年に女真族(満州族)のヌルハチによって建国された後金は、南モンゴルを征服すると国号を清に変更。1644年に明が滅びると南下を開始して李自成を破り、3代皇帝・順治帝の時に中国大陸の統一を果たします。
清は満州族の風習である辮髪を強要し、清に批判的な思想を弾圧する一方で、漢民族と満州族を同人数役人に採用する満漢併用制を実施して、大多数の漢民族を支配しました。
清は北モンゴル、チベット、東トルキスタン(新疆)にまで版図を広げますが、やがて産業革命を果たしたヨーロッパ諸国の侵略を受けるようになります。
1900年、外国勢力の排斥を強行する義和団の乱が起こると、これを支持した西太后は欧米列強に宣戦布告。イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリア、日本の8ヶ国によって鎮圧され、これによって列強による分割や港湾の租借がさらに進みました。
清時代の代表的な作品
中国ドラマ『大敦煌–異国介入-』
監督:陳家林(チェン・ジアリン)
中国ドラマ『末代皇妃–紫禁城の落日-』
監督:滕文驥(トン・ウエンジー)
中華民国(1912年〜)
1911年、武昌で起こった反乱がきっかけとなった辛亥革命によって、漢民族による民主主義国家の建国を唱える孫文が中華民国臨時政府を設立します。
この討伐に当たった清の袁世凱は臨時政府と秘密裏に交渉し、中華民国臨時大総統の地位と引き替えに12代皇帝・宣統帝(愛新覚羅溥儀)を退位させたため、これによって清は滅亡しました。
清が滅亡すると、モンゴル、チベット、東トルキスタン(新疆)は次々に独立。愛新覚羅溥儀は満州に亡命して満州国を建国します。
袁世凱の死後、中国大陸は複数の軍閥に分割統治されていましたが、1937年の盧溝橋事件を発端に日中戦争に突入すると、軍閥たちは協力して日本と戦いました。
その後、太平洋戦争の終結によって日本軍が撤退すると、蔣介石の中国国民党と毛沢東の中国共産党の対立が再燃し、ソ連の支援を受けた中国共産党に敗北した中国国民党は、台湾に政府を移しました。
中華民国時代の代表的な作品
中国ドラマ『大敦煌–秘宝奪還-』
監督:陳家林(チェン・ジアリン)
中華人民共和国(1949年〜)
中華人民共和国の地図
1949年、中国国民党に勝利した中国共産党は中華人民共和国を建国し、毛沢東が主席の座に就きます。
中華人民共和国は清時代の支配地域を自国の領土と主張し、建国と同時に満州と内モンゴルを併合し、東トルキスタン(新疆)に侵攻します。
そして、1951年にはチベット全土を制圧したため、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、チベット亡命政府を打ち立てました。
中華人民共和国は中国共産党による事実上の一党独裁体制により、その後も拡張主義をとっており、現在でも周辺諸国との領土問題が存在しています。
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知っておいた方が絶対面白い!
中国の歴代王朝と代表的な歴史作品の時代背景はご理解いただけましたでしょうか?
動画配信サービスが普及したお陰で、小説や漫画だけでなく、中国ドラマでも中国の歴史を扱った作品に触れる機会が多くなりました。
もちろんどの作品も基礎知識がないまま観ても十分楽しめるのですが、中国では人を説得する時などに過去の出来事や人物の行いを例えに出すことが多いので、中国の歴代王朝の流れと作品の時代背景を頭に入れておくと、より楽しめると思います。
地図出典一覧
中国まるごと百科事典
- 夏王朝全盛期の地図(B.C.2050年頃)
- 商(殷)の地図(B.C.1600年頃〜B.C.1046年)
- 周(西周)の地図(B.C.1047年頃〜B.C.771年)
- 春秋時代の地図(B.C.770〜B.C.403)
- 戦国時代の地図(B.C.403〜B.C.221)
- 秦の地図(B.C.210年頃)
- 前漢の地図(B.C.206年〜A.D.8年)
- 後漢の地図(25年〜220年)
- 三国時代の地図(220年〜280年)
世界の歴史まっぷ
- 五胡十六国時代の地図
- 五代十国時代の地図
- 元の地図
コトバンク
- 隋の地図
- 唐の最大版図(660年頃)
- 宋(北宋)の地図
Wikipedia
- 金・宋(南宋)の地図
- 明の地図(1580年)
- 清の最大版図(1820年頃)