正史せいし三国志さんごくし三国志演義さんごくしえんぎに登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「か」から始まる人物の一覧(108)介象かいしょうです。

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凡例・目次

凡例

後漢ごかん〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史せいし三国志さんごくしに名前が登場する人物はオレンジの枠、三国志演義さんごくしえんぎにのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。


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か(108)

介象(かいしょう)

介象かいしょう元則げんそく

生没年不詳。揚州ようしゅう会稽郡かいけいぐんの人。仙人。

東嶽に入る

学は五経ごきょうに通じ、ひろ百家ひゃっかの書に目を通し、文章に堪能たんのうであった。

その後、道法を修めて東嶽とうがく*1に入った介象かいしょうは、度世禁気どせいきんきの術*2を得意とし、*3

  • かやの上で火を燃やしてにわとりても、かやがさずににわとりを熱する。
  • 1里(100戸程度の集落)の内で(穀物こくもつを)くこともすこともできなくする。
  • にわとりや犬を3日間、鳴いたりえたりできなくする。
  • 市中の人がみな座ったまま立つことができなくする。
  • 身を隠して草木鳥獣に変化へんげする。

ことができた。

脚注

*1五嶽ごがくの1つ。泰山たいざんの別称。

*2度世どせいは世俗を超越すること。禁気きんきは導引の際に行ってはいけない方術。

*3wikisource原文:陰修道法,入東嶽受氣禁之術。
明徳出版社めいとくしゅっぱんしゃ神仙伝しんせんでん原文:後,学道入東山,善度世禁気之術。
後者を採用した。

不思議な虎

介象かいしょう九丹きゅうたんきょう*4という書があると聞き、数千里を周遊してこれを探し求めたが、師に値する者にめぐり会うことができなかった。

そこで介象かいしょうは山に入って思念をらし、ひたすら神仙に遭遇そうぐうすることを願っていたが、ある時、疲れ果てて石の上にしていると、1頭の虎が現れて介象かいしょうひたいめた。

目を覚まして虎を見た介象かいしょうが、

「天がおまえわたしの護衛としてつかわしたのならば、しばらくいても良い。もし山の神がわたしを試そうとしておまえつかわしたのならば、すぐに立ち去れ」

と言うと、虎は立ち去った。

脚注

*4丹華たんか神符しんぷ神丹しんたん還丹かんたん餌丹じたん錬丹れんたん柔丹じゅうたん伏丹ふくたん寒丹かんたんの9つのたん
不老長生を得るには金丹きんたんを服薬することが最も肝要であり、たんの最高のものはこの「九転きゅうてんたん」で、焼けば焼くほど霊妙に変化し、服薬すると3日で仙人になれるという。しん葛洪かつこう抱朴子ほうぼくしより。

『還丹経』1巻を得る

介象かいしょうが山に入ると、谷間には紫色の光彩を放つ、鶏卵けいらんほどの大きさの丸い石が無数*5にあった。

谷が深くてそれ以上前に進めなかったので、介象かいしょうはその石を2つ手にとって引き返すと、山中で1人の美女に出遭であった。年の頃は15〜6歳。その顔は非凡な美しさで、五色ごしきの衣服を着ていた。

介象かいしょうは「これぞ仙人であろう」と見て、叩頭こうとう(頭を地面につけた土下座)して「長生の法」をたずねると、女は、

そなたが手にしている物を元の場所に戻してくるが良い。それはまだ、そなたが手にして良い物ではないゆえ、ここでそなたを待っておったのじゃ」

と言った。

すぐさま石を戻してかえって来ると、女はまだ元の場所にいたので、介象かいしょうはまた叩頭こうとうした。

すると女は、

そなたはまだ『血食の気』が抜けきっていない。3年の間 穀物こくもつを断ってからまた来るが良い。われはここで待っていようほどに」

と言った。

介象かいしょうは帰って3年の間 穀物こくもつを断ち、再び出掛けて行くと、はたしてその女は元の場所にいた。

すると女は、還丹経せんたんきょう1しゅ(1巻)を介象かいしょうさずけて、

「これを得たからには仙人になれるであろう。もはや他のことはせずとも良い」

と言った。

介象かいしょうはそれを受け取ると礼を言って帰った。

脚注

*5原文:不可称数。不可称ふかしょうは数字の単位の1つ。10の72692156019487586799426948609081344乗。

孫権に蔽形の術を教える

介象かいしょうはよく弟子の駱延雅らくていがの家に出掛けて行き、とばりを下ろした寝床ねどこの中にいた。

ある時、書生たち数人が左伝さでん春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん)』について論じていたが、介象かいしょうはそれをかたわらで聞いていて、彼らが見当違いのことを言っているのが我慢できなくなり、憤然ふんぜんとしてその間違いを正した。

書生たちは「介象かいしょうが凡人ではない」と知り、秘かに介象かいしょう孫権そんけんに推薦した。介象かいしょうはそれを知ると「わしは官事に拘束されことを恐れる」と言って立ち去ろうとしたが、駱延雅らくていがが固くとどめていた。


孫権そんけん介象かいしょうのことを伝え聞くと、彼を武昌ぶしょうまでまねきに来て極めて丁重に待遇し、「介君かいくん」と尊称して彼のために邸宅を建て、御帳みちょうを支給した。介象かいしょう下賜かしした額は合わせて千金にのぼった。

孫権そんけん介象かいしょうから蔽形へいけいの術(姿を隠す術)を学び、試しに姿を隠して後宮にかえったり殿門を出たりしたが、その姿を見ることができた者は誰もいなかった。

また、介象かいしょうに命じてうり・野菜・種々の果物くだもの変化へんげの術をかけて植えさせると、みなまたたく間に成長して食べられるようになった。

鯔の生鱠と蜀の薑

黄武こうぶ3年(224年)夏、孫権そんけんが「鱠魚なます(刺身)はどの魚が最も美味うまいか」を論じ合った時のこと。

介象かいしょう鯔魚ぼらが最上でございます」

孫権そんけん「今はこの近くでれる魚を論じているのだ。鯔魚ぼらは海の魚だ。ここでは手に入れることはできないであろう?」

介象かいしょう「手に入れることができます。宮殿の前庭の真ん中に四角い穴を掘らせ、水で満たしてください。それともう1つ、つりばりが必要です」

それらの用意ができると、介象かいしょうち上がりつりばりえさをつけて穴の中にらすと、しばらくして本当に鯔魚ぼらを釣り上げた。

孫権そんけんが驚き喜んで「食べられるのか?」とうと、介象かいしょうは、

「陛下(孫権そんけん)のために生鱠なます(刺身)にするためにったのです。どうして食べられないことがあるでしょうかっ!」

と言い、厨下ちゅうか(台所)で鯔魚ぼら生鱠なます(刺身)をつくるように命じた。

その様子を見ていた孫権そんけんが、

「以前、しょくの使者が来た際、献上されたしょくみょうがあえものをつくったところ、とても美味うまかったと聞く。今、そのしょくみょうがでつくったあえものがないのが残念だ」

と言うと、介象かいしょうは、

しょくみょうが得難えがたいものではありません。1人の使者を立てられ、その者にみょうがの代金をお与えください」

と言った。

そこで孫権そんけんが側近の1人を選んで50銭を持たせると、介象かいしょうは1枚の御札おふだ)を書いて青竹のつえの中に仕込み、使者に立つ者に次のように命じて言った。

「目を閉じてつえまたがり、つえが止まったらそこでみょうがを買い、終わったらまたつえまたがって目を閉じよ」

使者がその言葉の通りつえまたほどなくしてつえが止まると、そこはすでに成都せいとで、「しょくの市の中だ」と聞いて、使者はみょうがを買った。

ちょうどこの時、輔義中郎将ほぎちゅうろうしょう張温ちょうおんの使者としてしょくにいたが、市中でみょうがを買った使者と出会って大いに驚き、そこでその場で手紙を書いて、家に届けてくれるようにことづけた。

使者は張温ちょうおんの手紙を手にみょうがを背負い、来た時のようにつえまたがり目を閉じると、ほどなくしてかえり着いたが、ちょうど厨下ちゅうか(台所)で生鱠なます(刺身)が出来上がるところであった。

その他の幻法

介象かいしょうはまたもろもろ護符ごふ)の文字を、まるで書物をあやまりなく読むように読むことができた。

これを疑う者が、雑多な護符ごふ)から標註ひょうちゅう(注釈)を除いて介象かいしょうに見せたところ、介象かいしょうはみな一つ一つこれを識別した。


また、山中できびを栽培している者が、獼猴びこう(猿)にきびを食べられてしまうことに悩み、介象かいしょうに相談したことがあった。

すると介象かいしょうは「大したことではない。明日、おまえきびを見に行って、もしそこに獼猴びこう(猿)が群れていたら、『介君かいくん介象かいしょう)は、おまえたちにきびを食べてはいけないと教えたはずだ』と大声で叫んでみよ」と言った。

その者はつい介象かいしょうに「私を愚弄ぐろうしているのですかっ!」と言ってしまったが、次の日、きびの所へ行って、試しに介象かいしょうに言われた通り獼猴びこう(猿)に告げると、獼猴びこう(猿)たちはすぐさま姿を消した。

こうした幻法は変化多様で数え切れない程であった。

尸解する

ある時、介象かいしょうを去ることを求めたが、孫権そんけんは許さなかった。

介象かいしょうが「(自分は)某月某日にやまいとなる」と言うと、孫権そんけんは左右の姫侍きじしょう)をつかわしてれん香箱こうばこ)1箱のなし介象かいしょうたまわったが、介象かいしょうはそのなしを食べると程なくして死んでしまった。

孫権そんけんはこれを埋葬まいそうしたが、介象かいしょうは日中に死んだはずなのに、その日の餔時ほじ(夕食時)には建鄴けんぎょうに現れて、たまわったなし御苑ぎょえんの役人に渡して種を植えさせていた。

のちにこのことが御苑ぎょえんの役人によって孫権そんけんに上表されると、孫権そんけんはすぐにひつぎの中を確認してみたが、そこにはただ1枚の護符ごふがあるだけであった。

孫権そんけん介象かいしょう追慕ついぼして彼の住居があった所にびょうを建て、時にはみずかおもむいてこれをまつったが、その時にはいつも、その座上に白鵠はくこく(白い鶴)が飛んできては、ゆっくり舞って去って行った。

のち介象かいしょうの弟子が蓋竹がいちくの山中で介象かいしょう出遭であったが、その顔色は当時よりも若く見えたという。


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【三国志人物伝】総索引