正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「か」から始まる人物の一覧(109)(虢仲・虢叔)です。
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凡例・目次
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
目次
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か(109)
虢(かく)
虢仲
生没年不詳。周の文王の弟。季歴の第2子。弟に虢叔。後裔に虢恵叔大林、虢叔旅。
兄の虢叔と共に文王の卿士となり、甥の武王が紂王を討伐して商(殷)を滅ぼすと、虢仲と虢叔は虢(虢国)の国君に封ぜられた。
この時、虢仲は制の地(河南・滎陽)に封ぜられて国号を「東虢」と称し、虢叔は雍の地(陝西・宝鶏)に封ぜられて国号を「西虢」と称した。
東・西の虢国は王畿(王城の周囲の地)の左右にあって周の王室の藩屏(王家を守備する防壁)となった。
備考
魏の太和2年(228年)と太和5年(231年)に上奏された曹植の上奏文の中で「弟が兄を支えた例」として、虢叔と共に登場する。
「虢仲」の関連記事
虢叔
生没年不詳。周の文王の弟。季歴の第3子。兄に虢仲。
兄の虢仲と共に文王の卿士となり、甥の武王が紂王を討伐して商(殷)を滅ぼすと、虢叔と虢仲は虢(虢国)の国君に封ぜられた。
この時、虢叔は雍の地(陝西・宝鶏)に封ぜられて国号を「西虢」と称し、虢仲は制の地(河南・滎陽)に封ぜられて国号を「東虢」と称した。
東・西の虢国は王畿(王城の周囲の地)の左右にあって周の王室の藩屏(王家を守備する防壁)となった。
備考
魏の太和2年(228年)と太和5年(231年)に上奏された曹植の上奏文の中で「弟が兄を支えた例」として、虢仲と共に登場する。
「虢叔」の関連記事
東虢・西虢の始君問題
東虢・西虢のそれぞれに虢仲・虢叔のどちらが封君されたかは、史料によって相違がある。
①虢叔:西虢・虢仲:東虢(有力)
史料
- 『春秋左氏伝』
- 『国語』鄭語
- 『水経注』渭水注巻18(『太康地記』)
- 『史記』秦本紀(『輿地誌』)
- 『史記』周本紀
- 『太平環字記』巻30
- 『元和郡県志』
研究
- 陳夢家
- 李学勤『西周中期青銅器的重要標尺』
- 梁寧森『虢国研究』
②虢仲:西虢・虢叔:東虢
史料
- 『郡国志』
- 『左伝正義』
- 『太平御覧』巻159・『太平環字記』巻6虢州(『帝王世紀』)
- 『括地誌』
研究
- 郭沫若『班簋的再発現』
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