後漢・三国時代の異民族である西域諸国の内、姑墨国・温宿国についてまとめています。
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西域諸国⑧
西域(後漢時代)
姑墨国(前漢期)
姑墨国*1
所在地・戸数・人口・兵力
姑墨国*1の王の治所・南城は、長安から8,150里(約3,504.5km)の場所にあります。
東の都護(西域都護)の治所(烏塁城)までは2,021里(約869.03km)、亀茲国までは670里(約288.1km)、南は于闐国(于窴国)*2まで馬で15日、北は烏孫国*3と接しています。
- 戸数:2,200戸*4
- 人口:24,500人
- 勝兵(訓練済みの戦闘に堪え得る兵士):4,500人
脚注
*1新疆ウィグル自治区・阿克蘇。
*2新疆ウィグル自治区・和田の南西。
*3漢代の西域最大の国。新疆・温宿以北、伊黎以南の地。その民は青眼赤須(赤ひげ)で、トルコ族の一種。初め大月氏と共に敦煌・祁連の間にいたが、後に大月氏を破って烏孫国を建国し、漢と和親した。
*4wikisourceより。ちくま学芸文庫『漢書』西域伝下では「戸数三千五百」となっている。
風土
- 銅・鉄・雌黃(石黄)を産出します。
官職
- 姑墨侯:1人
- 輔国侯:1人
- 都尉:1人
- 左右の大将:各1人
- 左右の騎君:各1人
- 訳長:2人
姑墨国の歴史
王莽の時代、姑墨王・丞が温宿王を殺害し、温宿国を併合しました。
温宿国(前漢期)
温宿国*5
所在地・戸数・人口・兵力
温宿国*5の王の治所・温宿城は、長安から8,350里(約3,590.5km)の場所にあります。
東の都護(西域都護)の治所(烏塁城)までは2,380里(約1,023.4km)、姑墨国*1までは270里(約116.1km)、西は尉頭国*6まで300里(約129km)、北は烏孫国*3の赤谷城まで610里(約262.3km)あります。
- 戸数:2,200戸
- 人口:8,400人
- 勝兵(訓練済みの戦闘に堪え得る兵士):1,500人
風土
- 土地のあらゆる物は鄯善諸国と同じです。
官職
- 輔国侯:2人
- 左右の将:各2人
- 左右の都尉:各2人
- 左右の騎君:各2人
- 訳長:2人
脚注
*1新疆ウィグル自治区・阿克蘇。
*3漢代の西域最大の国。新疆・温宿以北、伊黎以南の地。その民は青眼赤須(赤ひげ)で、トルコ族の一種。初め大月氏と共に敦煌・祁連の間にいたが、後に大月氏を破って烏孫国を建国し、漢と和親した。
*5新疆ウィグル自治区・阿克蘇の境、温宿。
*6新疆ウィグル自治区・烏什。
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