後漢ごかん・三国時代の異民族である西域さいいき諸国の内、烏弋山離国うよくさんりこく条支国じょうしこく安息国あんそくこくについてまとめています。

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西域諸国⑤都護の管轄外②

烏弋山離国・条支国・安息国

烏弋山離国うよくさんりこく*1条支国じょうしこく安息国あんそくこく*4

烏弋山離国

前漢ぜんかん

烏弋山離国(前漢)

烏弋山離国うよくさんりこく*1

※国境線は現代のもの。

所在地・戸数・人口・兵力

烏弋山離国うよくさんりこく*1王治おうちおうの治所)は、長安ちょうあんから12,200里(約5,246km)の場所にあり、都護とご西域都護さいいきとご)の管轄に属していません。

東北の都護とご西域都護さいいきとご)の治所(烏塁城うるいじょう)まで徒歩とほで60日、東は罽賓国けいひんこく*2、北は撲挑国ぼくとうこく(不詳)、西は犁靬国りけんこく*3大秦国だいしんこく)、条支国じょうしこく(シリア)とそれぞれ国境を接し、条支国じょうしこく(シリア)へは(馬で)100余日で到着します。北に転じて東に進むと安息国あんそくこく*4に通じています。

玉門関ぎょくもんかん陽関ようかんから鄯善国ぜんぜんこくて南に進み、烏弋山離国うよくさんりこく*1いたって南道なんどうの終点となりますが、絶縁の地のため、かん前漢ぜんかん)の使者が来ることはまれです。

烏弋山離国うよくさんりこく*1は戸数、人口、勝兵しょうへい(訓練済みの戦闘にる兵士)が多く、大国です。

風土・風俗
  • 烏弋うよく烏弋山離国うよくさんりこく*1)の地は熱暑の莽蒼あおあおとした平地です。
  • 草木、畜産、五穀、果物・野菜、飲食、宮室、市場につらなる店、銭貨、兵器、金珠のたぐいはみな罽賓国けいひんこく*2と同じであるが、桃抜とうばつ(鹿に似た長尾一角のけもの)・師子しし獅子しし・ライオン)・犀子さいし(サイ)が生息しています。
  • 習俗としてみだりに殺すことをはばかります。
  • 烏弋うよく烏弋山離国うよくさんりこく*1)のぜにおもて面には人の頭のみが、裏面には騎馬の文様があります。
  • 金銀で杖(剣・槍などの携帯武器)を装飾しています。
脚注

*1アフガニスタン南部のカンダハール

*2カシミール地方のシュリーナガル付近。

*3後漢書ごかんじょ西域伝せいいきでん大秦国だいしんこくに「大秦国だいしんこくいちめいを『犁鞬りけん犁靬りけん)』と言う」とある。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

後漢ごかん

烏弋山離国(後漢)

烏弋山離国うよくさんりこく*1

※国境線は現代のもの。

所在地・戸数・人口・兵力

皮山国ひざんこく*5から烏秅国あんだこく*6県度国けんどこく*7罽賓国けいひんこく*2を過ぎて60余日進むと烏弋山離国うよくさんりこく*1に到着し、烏弋山離国うよくさんりこく*1にから西南に馬で百余日進むと条支国じょうしこく(シリア)に到着します。

烏弋山離国うよくさんりこく*1の領土は数千里四方、時に「排持国はいじこく」と名を改めました。

脚注

*1アフガニスタン南部のカンダハール

*2カシミール地方のシュリーナガル付近。

*5新疆しんきょうウィグル自治区皮山ピシャンけん一帯。

*6新疆しんきょうウィグル自治区莎車スオチョの南西。漢書かんじょ西域伝上さいいきでんじょう鄭氏ていし注)漢書音義かんじょおんぎに「発音は鷃拏あんだ(と同じ)である」とある。

*7パキスタン東部。アフガニスタンのカフェリスタン地方。

条支国(條支国)

前漢ぜんかん

条支国(條支国)前漢

条支国じょうしこく條支国じょうしこく

※国境線は現代のもの。

所在地

条支国じょうしこく(シリア)には烏弋山離国うよくさんりこく*1から西に(馬で)100余日でに到着し、西海せいかい*8に面しています。条支国じょうしこく(シリア)から川を(舟で)西に百余日進むと、日がしずむ場所に近づくと言われています。

  • 条支国じょうしこく(シリア)は安息国あんそくこく*4に従属し、その蕃国はんこく*9となっています。
  • 安息国あんそくこく*4長老ちょうろうは「条支国じょうしこく(シリア)には弱水じゃくすい*10が流れ、西王母せいおうぼ*11がいる」と伝え聞いていますが、いまだかつて見た者はいません。
風土・風俗
  • 熱暑ねっしょ湿潤しつじゅんな気候で稲を耕作しています。
  • 大鳥だいちょう(大きな鳥)が生息し、かめのような大きな卵を産みます。
  • その民はとても多く、あちこちに小君長しょうくんちょうがいます。
  • 人々はたくみに魔法を使います*12
脚注

*3後漢書ごかんじょ西域伝せいいきでん大秦国だいしんこくに「大秦国だいしんこくいちめいを『犁鞬りけん犁靬りけん)』と言う」とある。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*8地中海ちちゅうかいとされるが、黒海こっかいとの説もある。

*9諸侯しょこうが治める領地。

*10仙境[大秦国だいしんこく*3の西とも崑崙山こんろんさんとも言う]にあって、鴻毛こうもうおおとりの羽毛・非常に軽い物の例え)さえしずむという川。

*11神仙の1人。崑崙山こんろんさんに住み、人面獣体であると言う。しゅう穆王ぼくおうと会談したり、前漢ぜんかん武帝ぶていに桃をさずけたりするなど様々な伝説が残されている。

*12原文:善眩(げんくす)。げんげん、魔法・奇術のこと。その術者を幻人げんじんと言う。

後漢ごかん

条支国(條支国)後漢

条支国じょうしこく條支国じょうしこく

※国境線は現代のもの。

所在地

条支国城じょうしこくじょうは山上にあって、その周囲は40余里(約17.2km)あります。西海せいかい*8の海水がその南・東・北を囲んでいるため、ただ西北の隅にだけ陸の道が通じています。

北に転じて東に馬で60余日進むと安息国あんそくこく*4に通じています。のち安息国あんそくこく*4条支国じょうしこく(シリア)を従属させ、大将を置いてもろもろの小城を監督させました。

風土・風俗
  • 条支国じょうしこく(シリア)は熱暑ねっしょ湿潤しつじゅんな気候です。
  • 師子しし獅子しし・ライオン)・犀牛さいぎゅう(サイ)・封牛ほうぎゅう*13孔雀くじゃく大雀たいじゃく(大きな鳥)が生息しており、大雀たいじゃく(大きな鳥)はかめのような大きな卵を産みます。
脚注

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*8地中海ちちゅうかいとされる。黒海こっかいとの説もある。

*13うなじの上部が隆起している牛。

安息国

前漢ぜんかん

安息国(前漢)

安息国あんそくこく*4

※国境線は現代のもの。

所在地

安息国あんそくこく*4王治おうちおうの治所)の番兜城ばんとうじょうは、(前漢ぜんかんの都)長安ちょうあんから11,600里(約4,988km)の場所にあり、都護とご西域都護さいいきとご)の管轄に属していません。

北は康居国こうきょこく*14、東は烏弋山離国うよくさんりこく*1、西は条支国じょうしこく(シリア)とそれぞれ国境を接し、また安息国あんそくこく*4の東には大月氏国だいげっしこく*15があります。

安息国あんそくこく*4には大小数百の城邑じょうゆうと数千里四方に及ぶ領土を有する最大の国で、媯水きすい*16に面し、商賈しょうこ(商人)の車や船が近隣諸国を行きっていました。

風土・風俗
  • 土地・気候・その他万物・民俗は烏弋うよく烏弋山離国うよくさんりこく*1)・罽賓国けいひんこく*2と同じです。
  • 大きな馬と大爵だいしゃく(ダチョウ)が生息しています。
  • 銀で作られたぜにおもて面にはおうの顔のみが、裏面には夫人ふじんの顔の文様があり、おうが亡くなるとすぐにぜに改鋳かいちゅうします。
  • かわに文字を書き、横書きに書きしるします。
脚注

*1アフガニスタン南部のカンダハール

*2カシミール地方のシュリーナガル付近。

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*14カザフスタン南部。

*15新疆しんきょうウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアアムール川上流一帯にうつり、今日にいたる。王治おうちおうの治所)・監氏城らんしじょうアフガニスタンマザーリシャリーフ媯水きすい*16の北、布哈爾の地。莎車国さしゃこくから蒲犁国ほりこく無雷国ぶらいこくいたる。

*16中央アジアアム河葱嶺そうれいパミール高原)より出てアラル海そそぐ。

後漢ごかん

安息国・小安息国(後漢)

安息国あんそくこく*4小安息国しょうあんそくこく

※国境線は現代のもの。

所在地・戸数・人口・兵力
  • 安息国あんそくこく*4王治おうちおうの治所)の和椟城わとくじょうは、(後漢ごかんの都)洛陽らくよう雒陽らくよう)から25,000里(約10,750km)の場所にあり、北は康居国こうきょこく*14、南は烏弋山離国うよくさんりこく*1と国境を接しています。

安息国あんそくこく*4から西に3,400里(約1,462km)進むと阿蛮国あばんこく(アルメニアの国境)にいたり、阿蛮国あばんこく(アルメニアの国境)から西に3,600里(約1,548km)進むと斯賓国しひんこく*17いたります。

斯賓国しひんこく*17から南に進んで河を渡って西南に960里(約412.8km)進むと于羅国うらこく*18があり、そこが安息国あんそくこく*4もっとも西の境界となっています。

そこから南へ海を渡ると大秦国だいしんこく*3に通じ、その土地には海西かいせい地中海ちちゅうかい地域)の珍奇ちんきな異物がたくさんあります。

  • 安息国あんそくこく*4には数千里四方に及ぶ領土と数百の小城があり、戸数・人口・勝兵しょうへい(訓練済みの戦闘にる兵士)は最も多く盛んでさかえています。
  • 東の境界にあるの木鹿城ぼくろくじょう*19小安息国しょうあんそくこくと言い、洛陽らくよう雒陽らくよう)から20,000里(約8,600km)の場所にあります。
脚注

*1アフガニスタン南部のカンダハール

*3後漢書ごかんじょ西域伝せいいきでん大秦国だいしんこくに「大秦国だいしんこくいちめいを『犁鞬りけん犁靬りけん)』と言う」とある。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。

*14カザフスタン南部。

*17イラクのバグダットの南東・チグリス川の東岸。

*18イラク東南部のユーフラテス川下流域。

*19ウズベキスタンのブハラ付近。

安息国あんそくこくと中国の関係

前漢【武帝期】
  • 前漢ぜんかん武帝ぶてい(在位:B.C.141〜B.C.87)が初めて使者をつかわして安息国あんそくこく*4いたると、安息王あんそくおうしょうに命じ、2万騎をひきいて東の国境までむかえさせました。東の国境までは王都おうと番兜城ばんとうじょう)から数千里、そこに行き着くためには数十城を通過しなければならなかったのです。

かん前漢ぜんかん)の使者との会見が終わると、]安息王あんそくおうは使者を派遣して、帰還するかん前漢ぜんかん)の使者にともなってかん前漢ぜんかん)の地に来観させ、大鳥だいちょう(大きな鳥)の卵と犁靬国りけんこく*3大秦国だいしんこく)の眩人げんじん*20かん前漢ぜんかん)に献上したところ、天子てんし武帝ぶてい)は大いに喜びました。

脚注

*3後漢書ごかんじょ西域伝せいいきでん大秦国だいしんこくに「大秦国だいしんこくいちめいを『犁鞬りけん犁靬りけん)』と言う」とある。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*20幻人げんじんに同じ。魔法使い・奇術師。

後漢【章帝期】
  • 後漢ごかん章帝しょうてい章和しょうわ元年(87年)、(安息国あんそくこく*4は)使者を派遣して師子しし獅子しし・ライオン)と符抜ふばつ*21を献上しました。符抜ふばつ*21きりん麒麟きりん)に似ていてつのがない動物です。
後漢【和帝期】
  • 後漢ごかん和帝わてい永元えいげん9年(97年)、都護とご西域都護さいいきとご)の班超はんちょう甘英かんえい大秦国だいしんこく*3のに派遣しました。甘英かんえい条支国じょうしこくまで来て大海(西海せいかい*8)を渡ろうとした時のこと。安息国あんそくこく*4の西の境界の船乗りが甘英かんえいに、

「この海は広大です。い風(追い風)にえれば3ヶ月で渡ることができますが、遅風(無風)にえば2年かかることもあり、海に出る人はみな3年分の持っていきます。使者の中にはしばしば海中で懐郷病かいきょうびょう(ホームシック)にかかって亡くなる者もおります」

と言ったところ、甘英かんえいは海を渡るのをめました。

  • 永元えいげん13年(101年)、安息王あんそくおう満屈まんくつが再び師子しし獅子しし・ライオン)と条支国じょうしこくの大鳥を献上しました。当時、この大鳥のことを安息雀あんそくじゃくと言いました。
脚注

*1アフガニスタン南部のカンダハール

*3後漢書ごかんじょ西域伝せいいきでん大秦国だいしんこくに「大秦国だいしんこくいちめいを『犁鞬りけん犁靬りけん)』と言う」とある。所在地は諸説あり、エジプトのアレクサンドリアが有力視されている。

*4パルティア王国。イラン[ペルシャ(波斯国はしこく)]の北。葱嶺そうれいパミール高原)の西南。

*8地中海ちちゅうかいとされる。黒海こっかいとの説もある。

*21烏弋山離国うよくさんりこく*1に生息する桃抜とうばつ(鹿に似た長尾一角のけもの)の一種。


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【後漢・三国時代の異民族】目次