正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「か」から始まる人物の一覧(83)北海(営陵)管氏(管彦・管馥)です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
北海(営陵)管氏②系図
北海(営陵)管氏系図
※親が同一人物の場合、左側が年長。
この記事では北海(営陵)管氏の人物、
についてまとめています。
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か(83)北海(営陵)管氏
第1世代(管彦)
管彦
生没年不詳。青州・北海国・営陵県の人。弟に管馥。
若い頃から才能と力量を有していても名を知られていなかったが、王襃*1だけは「彼は出世するに違いない」と見込んで常に友人として愛し、(管彦と王襃*1に)それぞれ男の子と女の子が生まれたならば、結婚させる約束をした。
果たして管彦は(王襃*1が予想した通り)西夷校尉となったが、その後王襃*1は(管彦との)約束を違えて女を他の人に嫁入りさせた。
その理由に関しては、次の管彦の弟・管馥の項目に記載する。
脚注
*1孔融・袁譚・曹操に仕えた王脩(王修)の孫。
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第2世代(管馥)
管馥
生没年不詳。青州・北海国・営陵県の人。兄に管彦。
兄・管彦の友人の王襃*1は、(管彦と王襃*1に)それぞれ男の子と女の子が生まれたならば結婚させる約束をしたが、その後王襃は(管彦との)約束を違えて女を他の人に嫁入りさせた。
管彦の弟の管馥がそのことを問い質すと、王襃は次のように答えた。
「吾は意志が弱く、山藪(山沢)*2に身を置ければそれで満足です。姉と妹はみな遠くに(嫁いだため)吉凶(冠婚葬祭)も途絶しておりので、自ら誓いました。賢兄(管彦)のご子息は父上を帝都(洛陽)に葬られました。これは則ち洛陽の人になったということです。吾が(女を)彼(管彦の息子)と結婚させたいと思った本来の趣旨(近隣に嫁がせること)に沿っているでしょうか?」
これに管馥が、
「嫂(管彦の妻)は青州・斉国の出身です。斉国・臨菑県に帰って来るに違いありません」
と言うと王襃は、
「どうして父を司隷・河南尹(洛陽)に葬り、母を連れて斉国に帰ることなどありましょうかっ!そんなお心配り(父を洛陽に葬ったこと)をなさるようでは、どうして結婚させる必要がありましょう」
と言い、結局結婚させなかった。
脚注
*1孔融・袁譚・曹操に仕えた王脩(王修)の孫。
*2故郷の青州・北海国・営陵県。
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