後漢(ごかん)・三国時代の異民族である西域(さいいき)諸国の内、皮山国(ひざんこく)・烏秅国(あんだこく)・県度国(けんどこく)・西夜国(せいやこく)(漂沙(ひょうさ))・子合国(しごうこく)・蒲犁国(ほりこく)・依耐国(いたいこく)・徳若国(とくじゃくこく)・無雷国(ぶらいこく)・難兜国(なんとうこく)についてまとめています。

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西域諸国③

西域(後漢時代)

西域(さいいき)(後漢(ごかん)時代)

皮山国

前漢(ぜんかん)期

皮山国

皮山国(ひざんこく)*1

所在地・戸数・人口・兵力

皮山国(ひざんこく)*1の王治(おうち)(王(おう)の治所)の皮山城(ひざんじょう)は、長安(ちょうあん)から10,050里(約4,321.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは4,292里(約1,845.56km)、西南は烏秅国(あんだこく)*2まで1,340里(約576.2km)、南は天篤(てんとく)(インド)に接し、北は姑墨国(こぼくこく)まで1,450里(約623.5km)、西南は罽賓国(けいひんこく)*3・烏弋山離(うよくさんり)*4への道に当たり、西北は380里(約163.4km)先の莎車国(さしゃこく)に通じています。

  • 戸数:500戸
  • 人口:3,500人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):500人

官職

皮山国(ひざんこく)*1には、

  • 左将(さしょう)・右将(ゆうしょう)
  • 左都尉(さとい)・右都尉(ゆうといあ
  • 騎君(きくん)
  • 訳長(やくちょう)(通訳官の長)

がそれぞれ1人いました。

脚注

*1新疆(しんきょう)ウィグル自治区・皮山(ピシャン)県(けん)一帯。

*2新疆(しんきょう)ウィグル自治区・莎車スオチョ)の南西。『漢書(かんじょ)』西域伝上(さいいきでんじょう)(鄭氏(ていし)注)『漢書音義(かんじょおんぎ)』に「発音は鷃拏(あんだ)(と同じ)である」とある。

*3カシミール地方のシュリーナガル付近。

*4罽賓国(けいひんこく)(北インド)の西南、インダス川上流の西、アフガンの東南。

烏秅国

前漢(ぜんかん)期

烏秅国

烏秅国(あんだこく)*2

所在地・戸数・人口・兵力

烏秅国(あんだこく)*2の王治(おうち)(王(おう)の治所)の烏秅城(うとじょう)は、長安(ちょうあん)から9,950里(約4,278.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは4,892里(約2,103.56km)、北は子合国(しごうこく)*5と蒲犁国(ほりこく)と、西は難兜国(なんとうこく)と国境を接しており、その西には県度国(けんどこく)*6があります。

  • 戸数:490戸、
  • 人口:2,733人、
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):740人
風土・風俗
  • 烏秅国(あんだこく)*2の民は高山に居住し、石ころだらけの土地を耕作しています。
  • その土地には白草(冬枯(が)れの草)が生えています。
  • 石を積み累(かさ)ねて室(へや)としています。
  • 民は手長猿のように手を繋(つな)ぎ合って谷間の水を飲んでいます。
  • 歩行に強い小型の馬を産出し、驢馬(ロバ)はいますが牛はいません。
脚注

*2新疆(しんきょう)ウィグル自治区・莎車スオチョ)の南西。『漢書(かんじょ)』西域伝上(さいいきでんじょう)(鄭氏(ていし)注)『漢書音義(かんじょおんぎ)』に「発音は鷃拏(あんだ)(と同じ)である」とある。

*5新疆(しんきょう)ウィグル自治区・葉城(イェチョン)の南西。

*6パキスタン東部。アフガニスタンのカフェリスタン地方。

県度国

前漢(ぜんかん)期

県度国

県度国(けんどこく)*6

所在地

烏秅国(あんだこく)*2の西には県度国(けんどこく)*6があり、陽関(ようかん)から5,888里(約2,531.84km)、都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))から5,200里(約2,236km)の場所にあります。

風土

県度国(けんどこく)*6は中央アジア・タリム盆地からパミール高原の南を通って北インドへ出る道の途中にあった難所で、険(けわ)しい岩山で渓谷の道が通じていないため、縄(なわ)や綱(つな)を張り渡し、それにすがって渡りました。

脚注

*2新疆(しんきょう)ウィグル自治区・莎車スオチョ)の南西。『漢書(かんじょ)』西域伝上(さいいきでんじょう)(鄭氏(ていし)注)『漢書音義(かんじょおんぎ)』に「発音は鷃拏(あんだ)(と同じ)である」とある。

*6パキスタン東部。アフガニスタンのカフェリスタン地方。

西夜国・子合国

西夜国(せいやこく)【前漢(ぜんかん)期】

西夜国(前漢)

西夜国(せいやこく)*7

所在地・戸数・人口・兵力

西夜国(せいやこく)*7の王(おう)・子合王(しごうおう)の王治(おうち)(王(おう)の治所)・呼犍谷(こけんこく)*8は、長安(ちょうあん)から10,250里(約4,407.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは5,046里(約2,169.78km)、東は皮山国(ひざんこく)*1、西南は烏秅国(あんだこく)*2、北は莎車国(さしゃこく)、西は蒲犁国(ほりこく)と国境を接しています。

  • 戸数:350戸
  • 人口:4,000人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):1,000人
風土・風俗
  • 子合(しごう)の土地(西夜国(せいやこく)*7)は玉石を産出します。
  • 西夜国(せいやこく)*7は胡(こ)と異なり、その種族は羌(きょう)・氐(てい)と同じで土着せず、家畜を隨(したが)え水や草を逐(お)って移動します。
  • 蒲犁国(ほりこく)・依耐国(いたいこく)・無雷国(ぶらいこく)はみな西夜国(せいやこく)*7と同類です。
脚注

*1新疆(しんきょう)ウィグル自治区・皮山(ピシャン)県(けん)一帯。

*2新疆(しんきょう)ウィグル自治区・莎車スオチョ)の南西。『漢書(かんじょ)』西域伝上(さいいきでんじょう)(鄭氏(ていし)注)『漢書音義(かんじょおんぎ)』に「発音は鷃拏(あんだ)(と同じ)である」とある。

*7新疆(しんきょう)ウィグル自治区・葉城(イェチョン)。

*8新疆(しんきょう)ウィグル自治区・葉城(イェチョン)の南西。

西夜国(せいやこく)(漂沙(ひょうさ))【後漢(ごかん)期】

西夜国(漂沙)後漢

西夜国(せいやこく)*7

所在地・戸数・人口・兵力

西夜国(せいやこく)*7はまたの名を「漂沙(ひょうさ)」と言い、洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))から14,400里(約6,192km)の場所にあります。

  • 戸数:2,500戸
  • 人口:10,000余人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):3,000人
風土・風俗
  • その土地には白草(冬枯(が)れの草)が生えており、毒があります。
  • 国人は白草の毒を煎(せん)じて薬として箭鏃(やじり)に塗(ぬ)るが、その毒には矢が当たった者が即死する程の効果があります。

子合国(しごうこく)【後漢(ごかん)期】

子合国

子合国(しごうこく)

所在地・戸数・人口・兵力

子合国(しごうこく)の王治(おうち)(王(おう)の治所)・呼犍谷(こけんこく)*8は疏勒国(そろくこく)から1,000里(約430km)の場所にあります。

  • 戸数:350戸
  • 人口:4,000余人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):1,000人。
脚注

*8新疆(しんきょう)ウィグル自治区・葉城(イェチョン)の南西。


『後漢書(ごかんじょ)』西域伝(せいいきでん)に、

「『漢書(かんじょ)』西域伝(せいいきでん)の中に、誤(あやま)って『西夜国(せいやこく)*7と子合国(しごうこく)は同一の国である』と言っているが、今はそれぞれ別に王(おう)がいる」

とあります。

西夜国(せいやこく)*7の記述は『漢書(かんじょ)』西域伝(せいいきでん)の内容をを基(もと)にしています。

蒲犁国

前漢(ぜんかん)期

蒲犁国

蒲犁国(ほりこく)*9

所在地・戸数・人口・兵力

蒲犁国(ほりこく)*9の王治(おうち)(王(おう)の治所)の蒲犁谷(ほりこく)は、長安(ちょうあん)から9,550里(約4,106.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは5,396里(約2,320.28km)、東は莎車国(さしゃこく)まで540里(約232.2km)、北は疏勒国(そろくこく)まで550里(約236.5km)、南は西夜国(せいやこく)*7・子合国(しごうこく)と接し、西は540里(約232.2km)先の無雷国(ぶらいこく)に通じています。

  • 戸数:650戸
  • 人口:5,000人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):2,000人

官職

蒲犁国(ほりこく)*9には、

  • 侯(こう)
  • 都尉(とい)

がそれぞれ1人いました。

風土・風俗

  • 莎車国(さしゃこく)に耕田を借りています。
  • 種族・風俗は子合国(しごうこく)と同じです。
脚注

*7新疆(しんきょう)ウィグル自治区・葉城(イェチョン)。

*9莎車国(さしゃこく)と英吉沙(イェンギサール)(新疆(しんきょう)ウィグル自治区・喀什噶爾(カシュガル))の間。

依耐国・徳若国

依耐国(いたいこく)【前漢(ぜんかん)期】

依耐国

依耐国(いたいこく)*10

所在地・戸数・人口・兵力

依耐国(いたいこく)*10の王治(おうち)(王(おう)の治所)は、長安(ちょうあん)から10,150里(約4,364.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは2,730里(約1,173.9km)、莎車国(さしゃこく)まで540里(約232.2km)、無雷国(ぶらいこく)まで540里(約232.2km)、北は疏勒国(そろくこく)まで650里(約279.5km)、南は子合国(しごうこく)と国境を接しています。

  • 戸数:125戸
  • 人口:670人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):350人

風土・風俗

  • 穀物(こくもつ)が乏(とぼ)しく、疏勒国(そろくこく)・莎車国(さしゃこく)に耕田を借りています。
  • 風俗は子合国(しごうこく)と同じです。
脚注

*10新疆(しんきょう)ウィグル自治区・英吉沙(イェンギサール)県(けん)の南界。

徳若国(とくじゃくこく)【後漢(ごかん)期】

徳若国(億若国)

徳若国(とくじゃくこく)(億若国(おくじゃくこく))

所在地・戸数・人口・兵力

徳若国(とくじゃくこく)は、東の長史(ちょうし)(西域長史(さいいきちょうし))の治所(柳中城(りゅうちゅうじょう)*11)から3,530里(約1,517.9km)、(後漢(ごかん)の都)洛陽(らくよう)(雒陽(らくよう))から12,150里(約5,224.5km)の場所にあり、子合国(しごうこく)と国境を接しています。

  • 戸数:100余戸
  • 人口:670人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):350人

風土・風俗

  • 風俗は子合国(しごうこく)と同じです。
脚注

*11新疆(しんきょう)ウィグル自治区・鄯善(シャンシャン)の南西の魯克沁(ルークチュン)。

無雷国

前漢(ぜんかん)期

無雷国

無雷国(ぶらいこく)*12

所在地・戸数・人口・兵力

無雷国(ぶらいこく)*12の王治(おうち)(王(おう)の治所)の盧城(ろじょう)*13は、長安(ちょうあん)から9,950里(約4,278.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは2,465里(約1,059.95km)、南は蒲犁国(ほりこく)まで540里(約232.2km)、南は烏秅国(あんだこく)*2、北は捐毒国(えんどくこく)*14、西は大月氏国(だいげっしこく)*15と国境を接しています。

  • 戸数:1,000戸
  • 人口:7,000人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):3,000人

風俗

  • 衣服は烏孫(うそん)のそれに類し、風俗は子合国(しごうこく)と同じです。
脚注

*2新疆(しんきょう)ウィグル自治区・莎車スオチョ)の南西。『漢書(かんじょ)』西域伝上(さいいきでんじょう)(鄭氏(ていし)注)『漢書音義(かんじょおんぎ)』に「発音は鷃拏(あんだ)(と同じ)である」とある。

*12新疆(しんきょう)ウィグル自治区・喀什噶爾(カシュガル)の西境、葱嶺(そうれい)(パミール高原)の山中。

*13wikisourceの原文では「無雷城(ぶらいじょう)」だが、ちくま学芸文庫『漢書(かんじょ)』、中国歴史地図集に倣(なら)って「盧城(ろじょう)」とした。

*14葱嶺(そうれい)(パミール高原)の東、布魯特(ブルート)の地。新疆(しんきょう)ウィグル自治区・喀什噶爾(カシュガル)の東北。

*15新疆(しんきょう)ウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアのアムール川上流一帯に遷(うつ)り、今日に至(いた)る。王治(おうち)(王(おう)の治所)・監氏城(らんしじょう)はアフガニスタンのマザーリシャリーフ。

難兜国

前漢(ぜんかん)期

難兜国

難兜国(なんとうこく)*16

中国歴史地図集では都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の管轄外となっていますが、『漢書(かんじょ)』西域伝(せいいきでん)には他の管轄外の国のように「都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の管轄に属していない」という記述はありません。

所在地・戸数・人口・兵力

難兜国(なんとうこく)*16の王治(おうち)(王(おう)の治所)は、長安(ちょうあん)から10,150里(約4,364.5km)の場所にあります。

東北の都護(とご)(西域都護(さいいきとご))の治所(烏塁城(うるいじょう))までは2,850里(約1,225,5km)、西は無雷国(ぶらいこく)*12まで340里(約146.2km)、西南は罽賓国(けいひんこく)*3まで330里(約141.9km)、南は婼羌国(じきょうこく)、北は休循国(きゅうじゅんこく)、西は大月氏国(だいげっしこく)*15と国境を接しています。

難兜国(なんとうこく)*16は罽賓国(けいひんこく)*3の属国となっています。

  • 戸数:5,000戸
  • 人口:31,000人
  • 勝兵(しょうへい)(訓練済みの戦闘に堪(た)え得(う)る兵士):8,000人

風俗

  • 五穀(ごこく)や蒲陶(ぶどう)などの果物を種(う)えています。
  • 金・銀・銅・鉄を産出します。
  • 兵(武器)の作り方は諸国と同じです。
脚注

*3カシミール地方のシュリーナガル付近。

*15新疆(しんきょう)ウィグル自治区西部のイリ河流域及びそれより西の地区。後に中央アジアのアムール川上流一帯に遷(うつ)り、今日に至(いた)る。王治(おうち)(王(おう)の治所)・監氏城(らんしじょう)はアフガニスタンのマザーリシャリーフ。

*16葱嶺(そうれい)(パミール高原)の西、巴達克山(バタコシャン)部(ぶ)の西境。


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【後漢・三国時代の異民族】目次