正史『三国志』、『三国志演義』に登場する人物たちの略歴、個別の詳細記事、関連記事をご案内する【三国志人物伝】の「え」から始まる人物の一覧⑱広陽郡閻氏(閻柔・閻志)です。
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系図
凡例
後漢〜三国時代にかけての人物は深緑の枠、それ以外の時代の人物で正史『三国志』に名前が登場する人物はオレンジの枠、『三国志演義』にのみ登場する架空の人物は水色の枠で表しています。
広陽郡閻氏系図
広陽郡閻氏系図
この記事では広陽郡閻氏の人物、
についてまとめています。
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え⑱(広陽閻氏)
第1世代(閻柔・閻志)
閻柔
生没年不詳。幽州・広陽郡の人。弟に閻志。烏丸校尉。
若い頃、烏丸や鮮卑の元に捕らわれていたが、やがて異民族たちの崇敬を集め、鮮卑族の力を借りて烏丸校尉の邢挙を殺害し、自らその官についた。
その後、袁紹に協力して劉虞を殺害した公孫瓚を滅ぼしたが、建安5年(200年)に袁紹と曹操が官渡で対峙すると曹操に帰順し、曹操が河北を平定すると正式に烏丸校尉に任命された。
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閻志
生没年不詳。幽州・広陽郡の人。兄に閻柔。魏の上谷太守。
魏の太和2年(228年)、護鮮卑校尉の田豫の使者・夏舎が鮮卑族の大人・軻比能の女婿・鬱築鞬に殺害されたため、田豫は西部鮮卑の蒲頭と泄帰泥を率いて長城を出て鬱築鞬を討ち、これを手酷く撃ち破った。
その帰還の途上、田豫の軍が馬城(馬邑の故城)まで来た時、軻比能が自ら3万騎を率いてこれを包囲した。
その包囲は7日に及んだが、明帝(曹叡)が平素から鮮卑族が信頼を寄せている閻志を派遣して諭したため、軻比能は馬城の包囲を解いて引き揚げた。
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