後漢・三国時代の異民族の内、西南夷に分類される冉駹夷(汶山夷)についてまとめています。
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冉駹夷
冉駹夷の領域
冉駹夷(汶山夷)
冉駹夷とは、前漢の武帝が開拓した地域に居住する夷人で、武帝はその地に汶山郡を置きました。
その西には三河・槃于の虜がおり、北には黄石・北地・盧水の胡がおり、その彼方は国境外(徼外)となっています。
統治・風土・風俗
統治
- その山には、6夷、7羌、9氐がおり、それぞれに部落がありました。
- その王侯はわずかに文書を理解し、法は厳格でした。
風土
- その気候は極寒で、盛夏(真夏)でも氷が溶けません。そのため夷人(冉駹夷)たちは、冬には寒さを避けるために蜀(益州)に入って賃金労働者(傭)となり、夏になると暑さを避けるためにその部落に帰りました。
- その土地は硬くて塩分を含み、穀粟(穀類)や麻、菽(豆類)が育たず、麦だけは収穫できますが、牧畜には適しています。
- 塩分を含む土を煮て塩を作り、麡*1・羊・牛・馬はこれを食べているのでみな肥えています。
- 旄牛(ヤク)が生息し、角がないものは、別名を「童牛」と言います。(1頭からとれる)肉の重さは千斤(約220kg)、その毛から毦*2を作ることができます。
- 名馬を産出します。
- 霊羊が生息し、その角で毒を治すことができます。*3
- 薬草を食べる鹿が生息し、身籠もっている鹿は、その腸内の糞でも毒を治すことができます。
- 五角の羊・麝香(ジャコウジカ)・軽毛の毼鶏*4が・牲牲(猩猩)*5が生息しています。
- 人々はよく旄氈[旄牛(ヤク)の毛織物]・班罽(模様入りのフェルト)・青頓・毞毲(獣毛の毛織物)・羊羧(羊毛の毛織物)の類を作ります。
- 特に多くの雑薬があります。
脚注
*1麡とは麡狼である。『異物志』に「形状は鹿に似て角は前に向き、林に入ると角を引っかけてしまうため、常に平坦で短い草の中にいる。肉は肥えて香りが高く、追いやって林に入れるとこれを捕まえることができる。その皮は靴を作ることができ、角はちょうど四方に張るような形をしており、南人はそれを用いて寝台を作る」とある。
*2毛を結んで飾りとしたもの。
*3『本草経』に「零羊の角の味は塩辛くて無毒であり、主に(瞳が開いていても目が見えない)青盲・蠱毒(呪術)を治療し、悪鬼を去り心気を安定させ、筋骨を強めるのである」とある。
*4郭璞は『山海経』中山経に注を附して「毼鶏は鶏に似て大きく、青色で毛と角がある。死ぬまで敵と戦い続ける」と言っている。
*5古代中国の想像上の動物。『水経注』に「猩猩は形が犬のようで人面をしている。顔立ちは端正であり、人と言葉を交わすことができ、その声は妙麗で、婦人が対話しているようである。これを聞いて悲しまない者はいない」とあり、また『南中志』に「酒と藁靴を好む」とある。現在では一般にオランウータンの別名とされる。
風俗
- 人々はみな山の中に住んでいます。
- 石を重ねて「邛籠」と呼ばれる部屋(室)を作り、高いものでは10丈(約23.1m)余りの高さがありました。
- 婦人を貴び、母系制の血族集団を形勢しています。
- 人が亡くなった際には、遺体を火葬にします。
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冉駹夷の歴史
冉駹夷と中国の関係
【前漢】武帝期
前漢・武帝の元鼎6年(紀元前111年)、冉駹夷が居住する地域に汶山郡を置きました。
【前漢】宣帝期
前漢・宣帝の地節3年(紀元前67年)に至ると、夷人(冉駹夷)たちは「郡が立てられてから賦税が重い」と考えるようになります。
そこで宣帝は、汶山郡を廃止して蜀郡に併合し、北部都尉としました。
【後漢】霊帝期
後漢・霊帝の時、また蜀郡の北部を分割して汶山郡としました。
冉駹夷と中国の関係年表
西暦 | 出来事 |
---|---|
B.C.111年 |
■前漢・武帝の元鼎6年
|
B.C.67年 |
■前漢・宣帝の地節3年
|
168年 〜 189年 |
■後漢・霊帝期
|
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